Side-S 空を穿つ弓
――同じ頃――
「ここであればルナ殿の邪魔にはなるまい」
走って屋敷の外までやってきたセラフィスは首飾りに魔力を注ぎ、魔弓ヘヌメネスを顕現させた。
「ようやく観念したか!」
「おとなしくお縄に頂戴しろ」
くるりと背後を振り返り、矢を十本錬成する。
転移魔法を使わずに外に逃げてきたのは、同じ部屋にいたルナの邪魔にならないようにするため、雑兵を連れ出す必要があると感じたからだ。
まさか彼女とオーガの戦いに加わろうとする馬鹿がいるとも思えなかったが、仮にルナが不殺を心がけているのであれば、烏合の衆が同じ部屋にいることで全力を出せないかもしれない。そう判断してのことだ。
可能な限り雑兵を連れ出すために精神操作系の幻術で自身を弱々しく見せていたセラフィスだったが、見事大勢の雑兵を誘導することに成功した。
「申し訳ないが貴公らに捕まるわけにはいかぬ」
冷静に言い放ったセラフィスの手から十本の矢が放たれる。
それらは正確に兵士達の太ももを貫き、一気に十人無力化することに成功する。
「魔王陛下に可能な限り殺さぬよう言われたゆえ、胸を狙いはせぬ。しばらくおとなしくしていることだ」
セラフィスが右手を振るえば、どこからか無数の魔力の矢が飛んできた。
「まっ、また来たぞ! 急いで障壁を――ぐっぎゃああああああ!!」
「うわぁぁああああああっ!」
彗星のように尾を引いて飛んでいった矢はその場にいた全ての兵士を貫いたかに思えたが、ふと違和感を覚えたセラフィスは新たに三本の矢を構える。
「や、やった! なんとか防げたぞっ」
地面に伏した兵士達の奥に、三つの人影が見えた。
「貴公らは……」
彼らの正体を確かめるためにセラフィスが矢を放つと、彼らはそれぞれの方法で魔力の矢を防いだ。
「貴公らの動きには見覚えがある。先の御前試合の各ランク優勝者であろう」
頷いた彼らはセラフィスの近くに歩み寄る。
「ぼっ、ぼくはEランクの部で優勝したクッソ・ザコタだ! おっ、お前の矢はこの魔盾・デルで防いだ」
「あたしはDランクの部優勝者ネル。ッハ、てかザコタっち、わざわざ手の内を明かすとかないっしょ。まじ卍だわ」
「オイラはCランクの部で優勝したツネナリでヤンス」
名乗りを終えた彼らは魔武器と思われるものを構える。
「吾輩は東の魔王軍四天王、【穿空】のセラフィス・リュードベリ」
セラフィスも礼に則って名乗ったのを合図に、丸眼鏡をかけた男・ツネナリが棒のような物を片手にセラフィスに襲いかかった。
「見たところオマエは遠距離タイプの魔族と推測するでヤンス。近接戦闘に持ち込めばこっちのもんでヤンス!」
「遠距離というのは的を射ている。だが残念であったな」
ツネナリの眼鏡が、砕けた。
「吾輩は四天王。いくら専門外とはいえ、近接戦闘も貴公ら中枢魔法協会でいうところのAランク並の実力は有している」
セラフィスの渾身の一撃を顔面に受けたツネナリはそのまま気を失った。
「こっ、これでもくらえ! ――“水流”!」
「……」
焦ったように栗毛の少年――クッソ・ザコタが水の魔法を放つが、セラフィスはそれを意に介さず魔弓から十本の矢を射る。
クッソ・ザコタが持つ魔盾・デルが怪しい光を発し彼の正面に障壁を張って矢を防ぐものの、転移で彼の背後に回り込んだセラフィスは容赦なくクッソ・ザコタの背骨に殴打の嵐を叩き込んだ。
「ッハ、二人とも魔王軍の幹部格っぽいお兄さん相手に油断しすぎっしょ」
倒れたクッソ・ザコタを一瞥して、ネルと名乗った褐色肌の少女はそう吐き捨てた。
「貴公は違うというのか」
「少なくともこの二人よりはマシっしょ」
セラフィスの正面にやって来た彼女は大きな谷間から一振りの短剣を取り出す。
「見たところ魔剣と推測する」
「うわっ、一瞬で見抜くとかマジやばだわ」
彼女が逆手に持って構えれば、短剣の刀身が煌々と輝いた。
「御前試合の優勝賞品、魔剣・ロロズ。またの銘を【暴れ馬】」
彼女が地面を蹴ったのと同時に、セラフィスは十本の矢を射出した。
大気を裂きながら迫る矢を、ネルは姿勢を低くして回避する。あっという間にセラフィスの懐へ飛び込んだ彼女は魔剣を一閃。
「しっ!」
「甘い」
魔剣ロロズと魔弓ヘヌメネスが火花を散らして激突する。
「いっやー、お兄さん強いわあ。こりゃああたしも本気を出さないとヤバめだわ」
「……何?」
セラフィスが眉間の皺を深くすると、薄桃色の唇を歪ませたネルの身体がブレた。
刹那動揺したセラフィスの背中に、熱い痛みが走る。
「あたしがDランクだと思って油断してたっしょ?」
「……馬鹿な……」
「言っとくけどあたしはそこらのAランカーよりもバリ強だかんな」
転移魔法陣を展開しようとする彼の背中に、ネルはより深く短剣を差し込む。
「“暴れろ”」
一言呟けばセラフィスの体内の魔力が暴走を始めた。
「ぐっ……」
荒れ狂う魔力は主人に牙を剥き、内から肉体を傷つけていく。
「ッハ、やっぱお兄さんパねーわ。ちょこっと暴れただけで自分の身体すら傷つける魔力量。下手したらSランクの人より魔力あるっしょ」
セラフィスの背中から短剣を引き抜き、逆手に構える。
彼女はそのままセラフィスの首を切り落とそうとしたがしかし、彼の傷口から黒煙のようなものが立ち昇ったかと思えば剣の形になり、ネルの短剣を受け止めた。
「……?」
やがて黒煙は人の形になり、ネルを殴り飛ばした。
煙が晴れれば、そこには身体がうっすら透けている金髪の少年の姿が現れた。
「……っ! 何でライトっちが出てきた!? 意味不明っしょ!」
うろたえる彼女へ、金髪の少年――ライトは容赦なく襲いかかった。
その様子を見届けたセラフィスは一つ息を吐き、そして左足に魔力を集中させる。少しして、彼の左足で魔力が爆ぜた。
「危ないところであった」
黒焦げになった左足を見つめながら呟く。もう、使い物にならないだろう。
しかしとっさに左足へ魔力を集めていなければ、全身が黒焦げになっていた。両手が使えるだけマシというものだ。
そんなことを考えながら魔弓に十本の矢をつがえた彼の瞳が、ふと何者かを捉えた。
「ホホホホホホホホホッ! そこまでですよ赤髪の魔族さん!」
屋敷の中から、鼻の下にチョビ髭を蓄えた男が現れる。
声高に笑うその男は、どさり、と何かを地面に転がした。
「オーガ様に面白い話を聞きましてねぇ。なんでも王都に沢山の魔族が潜んでいるとか」
チョビ髭男の足下に転がる者の正体に気が付き、セラフィスはこれでもかというほどに顔をしかめた。
「気になったので祝勝パーティーを途中で抜け出して王宮を探し回ったのですが……ご覧の通りです」
チョビ髭男の足下に転がっていたのは、頭部に黒角が生えている青年。セラフィスの配下である、“魔王の糸”の隊員であった。
「彼の他にも十名程見つけましたよ。いやはや、驚きましたね。これほど薄汚い魔族が潜んでいようとは」
「他の者はどうした」
「おっとお! 動かないでくださいねぇ。少しでも怪しい行動をとれば、即座にこの魔族の首を刎ねますよ。ホホホホホ! この者を助けたくば武器を捨てることです」
「質問に答えてくれないだろうか」
「ホホホホホ、いいでしょう。他の者は全員ズタボロに引き裂いて、牢屋にぶち込みましたよ! この、魔剣スピリチアによって――っっ!?」
煌めくレイピアを掲げたチョビ髭男の腹に、風穴が開く。
「吾輩が動けぬと、油断したようだな。Bランクの部優勝者・チャップリアン」
彼は何が起きたのかわからぬまま、夜空を仰ぐようにして倒れた。
「ッハ、お兄さんこそ油断してるっしょ!」
突如、セラフィスの背後から殺気立った声が聞こえてきた。
「あのライトっちが幻術だってことにはすぐ気づいた。ちょー強かったけど、偽物があたしに勝てるわけないっしょ」
甲高い音を鳴らして、魔剣と魔弓が再度ぶつかり合う。
「貴公、強いな」
「ッハ、当たり前っしょ。あたしはそこらの協会員とは才能が違うし」
「なるほど。では、手加減は必要あるまい」
彼が腕を振るえば、上空から無数の矢が雨のように降り注いできた。
「うわあ、これはマジやばだわ」
ネルは頭上に障壁を張るが、障壁は次々と降り注ぐ矢に耐えきれず瓦解する。さらに四方からも矢が迫る。
あらゆる方向から迫ってくる矢を避けることなど不可能。そう判断したネルは地面に短剣を突き刺した。
「“暴れろ”」
魔剣ロロズより魔力を供給された地面が激しく波打つ。
生き物のように蠢く地面はネルの周囲にドーム状の壁を築き、全ての矢を防いだ。
しかし、それが結果として勝敗を左右する要因となった。
「悪手であったな」
ドームの中に転移してきたセラフィスがネルの首を掴む。
「これだけ密閉した空間であれば、素早く動くことも、ましてや吾輩の背後を取ることも叶わない」
「っ……! ヤっバ、捕まった! 絶体絶命っしょ!」
「終わりだ」
魔物をも絞め殺せそうな握力をもって首を締めつける。
しばらくの間必死に抵抗していたネルだったが、セラフィスの頭突きを受け、ついに意識を手放した。
「残像が見える程のスピード、幻術に打ち勝つ精神力。どれをとっても素晴らしかった」
ガラガラとドームが崩れていき、満月の輝く夜空が見えてくる。
「しかし相手が悪かった。吾輩は東の魔王軍が誇る四天王の一角。魔王陛下の顔に泥を塗らぬためにも、負けるわけにはいかないのだ」