Side-L 気炎万丈
「よかった、まだ席空いてた」
王族が住まう王宮の庭に設置された御前試合の会場に足を踏み入れ、僕はホッと胸をなでおろした。
「後ろの方でいいですよね?」
一歩後ろを着いてきていた桃色髪の女性に確認すると、彼女はニッコリ頷いた。
彼女は中枢魔法協会の事務関係の仕事をしているエルフの女性・シルフィーネさんだ。
今日は何事も起こらなければ、彼女と一緒に行動することになっている。
昨日の夕方、依頼をこなして手続きを行っていると彼女に誘われたのだ。『明日一緒に試合を見に行かない?』と。
姉さんを守らなくてはいけないため少し躊躇したのだが、まさか試合中には何も起きないだろうと思い誘いを受けることにした。
「まだBランクの部かな」
現在は正午を少し回ったところだ。手元の日程表によれば、Bランクの部の試合が半分くらい終わっていることになっている。
「昼ご飯もう買っちゃいますか?」
「あ、いいわよドラゴニカくん。お弁当作ってきたから、よかったら食べて」
「いいんですか?」
「ええ。ドラゴニカくんのために作ってきたんですもの」
席に座ると、シルフィーネさんはトートバッグの中から大きな包みを2つ取り出した。
とてもバッグに入るような大きさではないから、魔法で小さくしていたのかもしれない。
Bランクの人のつまらない試合を眺めながら談笑していると、ふとシルフィーネさんの隣の席から舌打ちが聞こえてきた。
「なんで隣に来んのよ……」
見れば、ピアスをつけた短い銀髪の少女が座っていた。
「うわ、ルナじゃん」
「『うわ』って何よ『うわ』って! こっちのセリフよ! なんでわざわざ別行動することになってたのに、アタシの隣でイチャイチャするわけ!?」
「いちゃいちゃしてたつもりなんてないけど」
「ねえ?」とシルフィーネさんの顔を見る。
「デートするって聞いて驚いたけど、お相手がまさか巨乳エルフだったとはね!」
「デートってわけじゃないんだけど」
「ったく、男ってもんはそんなに大きい胸が好きなの!?」
いや聞いてよ。
シルフィーネさんの大きく膨らんでいる胸を睨みつけ、ルナは一気にまくしたてる。
自分の胸が小さいからってひがんでるのかな。
「あら、ルナちゃんだったかしら? また会ったわね」
ルナのひがみなどどこ吹く風で、シルフィーネさんはニッコリ微笑む。
「ふんっ、あんたみたいに女子力アピールする巨乳と仲良くするつもりはないから」
ぷいっとそっぽを向いて、ルナは近くに座っていたセラフィスから肉の挟まったパンを取り上げ、勢いよくかぶりついた。
彼は一瞬何が起きたのか理解が及ばず固まっていたが、僕と目が合うと状況を悟ったようで、小さく会釈をしてきた。
ルナとセラフィスの間に座っていたオラクだけはこちらに気づかず、じっと手元を見つめている。
「知り合いの方かしら?」
「はい。ルナの隣に座っている銀髪でオッドアイの人がオラク、その隣の赤髪の人がセラフィスです」
フルネームを教えるのはさすがにまずかろうと思い、ファーストネームだけ伝える。
というか手配書が出てるんだから、黒角だけじゃなく目とか髪とかにも幻術かければいいのに。オーガ兄さんみたいに怪しむ人がいてもおかしくはない。
幸いシルフィーネさんは特に何も思わなかったみたいで、爽やかにお辞儀をした。
その後はAランクの部が始まるまで、シルフィーネさんの持ってきた弁当やセラフィスが買ってきた焼き鳥などを食べながら時間を潰した。
* * *
――同じ頃――
「父上、馬車の用意ができたようです」
王都の中心部にあるドラゴニカ家の屋敷の前に止まっていた馬車に、金髪の男達が乗り込んだ。
彼らはこれから中枢魔法協会の御前試合に行くところだ。
先に乗り込んだドラゴニカ家当主は、屋敷の前でルシェルと言葉を交わしているアルベルトを眺めながら、ふと呟いた。
「アルベルトにもそろそろ身を固めて欲しいものだ」
同じように2人のやり取りを眺めていたオーガがそれに答える。
「まさかあの魔族と結ばせようってのか?」
「彼女は魔王。これ以上ない身分だ。魔界にも勢力を伸ばせれば、ドラゴニカ家の地位はこの国の王すらも凌駕するものとなるだろう……」
「だったらオリビアも魔王に嫁がせればいいんじゃねぇか? なぜかはわからねえけど、東の魔王と面識があるようだったし」
オーガがそう言うと、当主の口角が数ミリ上がる。
「悪くはない。しかし、【東の魔王】は我ら人間の敵。奴は殺さねばならん」
「そうかよ」
オーガは白い息を吐き、窓の外を見つめる。
もうすぐ春が来るとはいえ、まだまだ外は寒い。
「望むのであれば、貴様と結婚させてやってもいいのだぞ」
「バっ……!! だ、誰が魔族と結婚するかよ!! 貴族の綺麗なねーちゃんを連れてこいよ!」
「考えておこう……」
ちょうど会話が途切れたところでアルベルトが乗り込んできた。
「行きましょう。そろそろAランクの部が始まるはずです」
彼の言葉を合図に、馬車は王宮へ向けて走り始めた。
* * *
「会場の皆様、お待たせしました! Bランクの部優勝者が決まり、いよいよAランクの部へと移行します! 中枢魔法協会が誇る最強の戦士達、人並外れたその実力をしかとご覧いただきましょうっ!!」
Bランクの部決勝の興奮も冷め切らぬ会場に、大きな歓声が響き渡る。いよいよ真打ちだ。
「魔王陛下、Aランクの部が始まる」
「……」
「魔王陛下」
「ん? あ、始まるのか。そろそろBランクか?」
セラフィスに耳打ちされたオラクは冊子から目を離し、ぐぐーっと伸びをした。
「Aランクだ」
「もうそんなに時間経ってたのか」
セラフィスは数ミリ首を縦に動かす。
さっきからずっとオラクは冊子とにらめっこをしていた。それはもう、昼ご飯も食べないほど真剣に。
わからないのも無理はない。
「姉さんは優勝候補だから、第一試合から登場するはずだよ」
「なるほど」と頷いてから、オラクはハッとこちらを振り向いた。
「いつの間に来てたんだ?」
「昼頃から」
「……気づかなかった」
普通にルナ達と話してたのに。どんだけ冊子に夢中だったんだ。
まあどうでもいいか。もうすぐ姉さんの試合が始まるから、そっちに集中だ。
「Aランクの部第一試合はこの人! Aランクの部に初登場してから無傷の2年連続優勝。今最もSランクに近いと言われる、優勝候補筆頭! 五大貴族ドラゴニカ家の三女、オリビア・ドラゴニカ選手ですっ!!」
司会に紹介され、白地のローブに身を包んだ姉さんが姿を現した。金色に輝く髪はポニーテールにまとめられ、艶めかしいうなじがあらわになっている。
観客は刹那その美しさに息を飲むも、静寂はすぐに歓声へと変わる。
一瞬で観客を味方に付けた。今回も姉さんにとって楽な展開になりそうだ。
「対するは、過去ベスト4に進出したこともあるベテラン! その怪力は熊の骨すら砕く! 【熊殺し】の異名をとるパワータイプの戦士、ティガー・プーピグレット選手!!」
姉さんの向かい、西の入場口からは、熊の毛皮を被った髭もじゃのおっさんが入場してきた。
上半身は毛皮以外何も纏っておらず、戦いの傷跡がいくつも刻まれたムキムキの体が披露されている。
いかにも脳筋って感じの見た目だ。
「両者武舞台に上がってください」
司会が武舞台から降り、同時に姉さんと対戦相手が舞台中央まで歩み寄る。
対戦相手のおっさんは、指をバキバキ鳴らしてから不気味に頬を歪めた。
「それでは第一試合、始めっ!!」
「――“火炎鯖折り”っっ!!」
司会が手を振り下ろした瞬間、ティガーは両腕に炎を纏わせ、姉さんめがけて飛びかかった。
激しく燃え盛る炎が武舞台の中央を覆い、逃げ場を封じる。
天に巻き上がる炎によって観客の視界が封じられたが、炎の中から何かが砕ける鈍い音だけが響いてきた。
炎の中で起きているであろう残酷な光景が頭をよぎり、超満員の観客達は思わず目や耳を塞ぐ。
しかし――
「な……っ!?」
火の手が鎮まり、ティガーの腕の中で無残に砕け散っていたものの正体が明らかになると、ティガーや観客達は驚きに目を丸くした。
オラクやルナも目を見開いている。
ボロボロと崩れ落ちていくのは姉さんの身体ではない。炎に呑まれてもなお溶けることはなかった、一本の氷柱だった。
ぎこちなく首を捻ったティガーの背後に、埃一つついていない姉さんの姿があった。
「ば、馬鹿な……。あの一瞬で背後に回ったというのか……!?」
「はい。危ないと思ったので、転移して避けさせてもらいました」
「……っ!! あの状況で転移を……!? いったいどれほどの集中力なのだ……!!」
彼が驚くのも無理はない。
転移とは魔法陣を形成するだけでも相当の集中力を必要とする。行使するのに時間だってかかる。魔王であるオラクでさえ、そう簡単には転移できないのだ。
姉さんと同じくらいの早さで転移魔法陣を展開できるのは、せいぜいセラフィスくらいだろう。
もっとも今のは相手を脅威に感じていないからこそ、綺麗に転移が成功したのだ。
『危ない』なんていうのは嘘だ。
「ぐっ……! ――“獄殺熊殴り”!」
ティガーは苦し紛れに正拳突きを繰り出したがしかし、目の前に現れた障壁によって阻まれた。
「すみません、今回はどうしても優勝しなくてはいけないので……。恨みはありませんが、少し眠っていてください」
「……っ!!」
「――“竜炎渦”」
ティガーはとっさに身を引いたがそれでは何の意味もない。
武舞台の半分を覆うほどの、竜の形をした炎の渦に呑み込まれ、彼は場外まで吹き飛ばされた。
「決まったぁぁああああああっ!! 結界にヒビが入るほどの魔法を前にして、ティガー選手あえなく撃沈! オリビア選手、一撃で決めましたああああ!!」
大歓声を受け、姉さんは照れくさい表情を浮かべながら退場していった。
会場はペット禁止なので、フェルは魔王城でお留守番です。