Side-L 敵か味方か
ハルバードとフェルが集まってから、僕たちは人間界にやってきた。
これから、姉さんは屋敷に戻って婚約について話し合う。
「セラフィスがいないみたいだけど」
「あいつは普段から人間界にいるから、もう配置についている」
「そっか」
ドラゴニカ家の屋敷を遠目に眺めながら、改めて配置を確認する。
オラクはハルバードと一緒に屋敷の裏手に幻術で身を隠しながら待機。ルナは僕とフェルと一緒に曲がり角から正門を伺う。セラフィスは少し離れた時計台の上で魔弓を構えて待機だ。
中で何かあったら、姉さんが僕のブレスレットかオラクの水晶玉に念話を届けることになっている。
その余裕がないときのために、“竜眼”も発動しておく。これなら中の魔力を視ることができる。
「では行ってきます」
呼吸を整えてから、姉さんは屋敷に歩いていった。
少し遅れてオラクとハルバードも屋敷の裏手に回る。
「もう、なんでライトと一緒にいなきゃならないのよ……」
姉さんが屋敷に入っていったのを見届けると、ルナがポツリと愚痴をこぼした。
「仕方ないじゃん。僕は魔王軍の人と繋がる念話装置を持ってないから、誰かしらと一緒にいなきゃいけないんだし。……ルナが念話装置を失くしてたってのには驚いたけど」
小さい声で喋りながら、黒い角の生えていない銀髪の少女を見やる。
今彼女の頭部には僕が幻術をかけている。僕はあまり得意じゃないからオラクがかけてくれよとか思ったけど、距離が離れれば精度が落ちる。結果的に僕が近くでかけた方が無難だってことになった。
「アタシもお兄ちゃんに言われるまで失くしたことに気づいてなかったのよねー」
「どんだけ鈍感なんだ」
「うっさいわね。あらかじめお兄ちゃんが新しいのを作っててくれたんだから、別にいいじゃない」
ついでに僕のも作ってくれればよかったのに。
「それにしても暇ねー」
彼女は呟きながらフェルの背中を撫でる。フェルもなんとなく退屈そうだ。
「そんなに嫌なら来なきゃよかったじゃん」
「お兄ちゃんと離れるのはもっと嫌だもん。お兄ちゃんが来たんだからアタシも来るしかないでしょ。こうやってお兄ちゃんの近くにいられないなら来た意味なかったかもだけど……」
そういえばオラクのことを守るとか言ってたっけ。
ぼんやりと話を聞いていると、フェルの耳がピクッと動いた。
「どうした?」
鼻もくんくん動かし、後ろを振り向く。
……誰か来たのかな。
フェルに釣られて振り向くと、一本隣の通りに紙袋を抱えたシルフィーネさんの姿が見えた。
うーん、見つかったらちょっと厄介だな。護衛に支障が出そうだ。こっちに来なければいいんだけど。
彼女の意識がこちらに向かないよう、僕は認識阻害の結界を一枚張った。
「あんたのお姉ちゃんが出てきたわよ」
「えっ!? もう?」
慌てて正面に向き直ると、騎士に見送られて姉さんが屋敷から出てきた。
「ずいぶん早かったな……」
騎士達にお辞儀をして、姉さんは時計台の方に歩いていった。
僕たちの姿を見られるわけにはいかないので、時計台に集まることになっているのだ。
ルナに念話してもらい、僕たちも時計台に向かおうと腰を上げた瞬間、何者かに肩を叩かれた。
「こんにちはドラゴニカくん」
「うわぁあっ!? シルフィーネさん!?」
ぬっと現れた桃色髪の女性に驚き、思わず飛び上がる。
な、なんで!? 認識阻害の結界を張っていたはずなのに!
「声が聞こえたから来ちゃった。もしかして取り込み中だったかしら?」
「え……いや、まあ……。てか何で? どうやって僕のこと見つけたんです?」
「? 普通に声が聞こえたから来ただけよ?」
普通に……? あ、そうか。わかったぞ。
桃色の髪を編み込んだこの麗しき女性の種族はエルフ。特殊な魔法を使えたり、人間より寿命が長かったりするらしいけど、まず何よりの特徴は耳が長いということだ。
なんでも人間の5倍の聴力があるとか。優れた聴覚のおかげで、遠く離れていた僕の声を聞き取れたんだろう。
認識阻害の結界はあくまで結界が張ってあるところに意識が向きにくくなる程度で、視覚を遮るわけではない。簡単に言えば、ものすごく影を薄くする。それがこの結界の効果だ。
だから一度結界の中にいる人物に気づきさえすれば、見破ることも容易い。
結界ではなく、幻術を使うべきだったろうか。
「ねえライト、この女誰よ?」
「以前に会わなかったっけ? ほら、ルナが僕と出会った時に、服がほしいとか言って次の日に買いに行ったじゃん。その時に会ったと思うんだけど」
そういやまだお金を返してもらってないな。まあ魔王軍には姉さんを匿ってもらっていたから、もういいんだけどね。
「あー! 思い出した! あの時の巨乳エルフ!」
そう言ってルナは、シルフィーネさんのある一点を睨みつけた。
「ちょっと、声がでかい。気づかれるよ」
「……もしかして、またお邪魔しちゃったかしら」
「いやそんなことは――」
ない、と言いかけチラリと屋敷の方に目線を向けると、屋敷からアルベルト兄さんが出てきて、こちらに近づいてくるのが見えた。
「あー、ごめんシルフィーネさん。ちょっと移動してもいいですか」
しかし、提案した時にはもう遅かった。
アルベルト兄さんはだんっと地面を蹴ったかと思うと、刹那の間に僕たちのところまで飛んできた。
フェルが低く唸り、ルナは両の手に魔力を練り上げる。僕はシルフィーネさんを背後に剣の柄に手をかけた。
「一週間ぶりですねライト。こんなところで何をしているんですか」
「兄さんに教えるとでも?」
「……いいえ。しかし大方の予想はつきます。さしずめオリビアの様子を見に来たといったところでしょうか」
だいたい合ってる。
「仮に姉さんの様子を見に来たとして、そっちに何か不都合でもある?」
「特には」
「じゃあ何で僕の所に来たのさ。それも逃さないとでも言わんばかりの勢いで」
数センチ剣を引き抜く。
「伝えておきたいことがありましたので」
「だったら前みたいに僕の家に来ればよかったのに」
「三度訪れましたがいずれも不在でした」
魔界にいたからね。
「……それで、伝えたいことって何? 兄さんの言葉を信用しようとは思わないけど、聞くだけ聞いてあげるよ」
わかっていると頷き、彼は声を潜めて言った。
「2週間後の御前試合で、父上はオリビアに呪いを仕込むそうです。くれぐれも注意しなさい。
……本当はもっと早く伝えたかったのですが、遅くなってしまい申し訳ありません」
「……呪い……」
「では、家の者に見られるわけにもいきませんのでこれで」
本当にそれを伝えたかっただけなのか、兄さんはくるりと踵を返す。
「ああ、一つ言い忘れていましたが、任意可変魔法陣は使いましたか?」
ピタッと足を止めて、彼はそう尋ねてきた。
そういえばそんなのも貰ったっけ。
「罠でも仕込んであるんじゃないかって思って、まだ使ってないよ」
「いずれ役立つ時が来るでしょう。それまでは大事にとっておくことです」
そう言い残し、今度こそ兄さんは屋敷へ戻っていった。
「……兄さんは誰の味方なんだ……」
彼の後ろ姿を眺めながら、僕はポツリと呟いた。
「考え事は後にして、今は時計台に向かうのが先でしょ。ほら、さっさと行くわよ」
「そうだね。シルフィーネさん、ちょっと人と会わなきゃならないんで、行ってきます」
「ごめんなさいね、呼び止めてしまって。私に何か手伝えることがあればいいのだけれど」
「気持ちだけ受け取っておきます」
小さくお辞儀をして、僕はルナとフェルを伴い、時計台へ向け足を踏み出す。
ルナを見つめるシルフィーネさんの瞳が険しく見えたような気がしたけど、たぶん気のせいだ。
オラクは転移を使えるということを考えると、もう時計台に着いているだろう。おそらく僕たちが一番最後だ。
姉さんに危険が迫っていることをいち早く知らせるため、僕は歩調を速めた。