Side-O 東の魔王
「「――女!?」」
世界と世界を繋ぐ扉から現れた少女を見て、俺とハルバードは思わず声をあげた。
てっきり勇者とその仲間たちが現れるものだと思っていたら、少女が、それもたった一人で現れたのだ。驚くなという方が無理だろう。
いや、まだこの少女が勇者ではないと断定することはできない。
とりあえず話を聞いてみるかと思ったが。
「きゃっ! ま、魔族の方ですか? 驚いた……。あれ? ということはここが魔界!?」
わずかに少女の方が口を開くのが早かったため、閉口してしまった。
さらに感慨深いものがあるのか、少女は自分の世界へ入っていく。これはしばらく放置するしかなさそうだ。
ところで気になることが一つ。
「足音でございましょうか?」
「あぁ。どうやら彼女以外にも旅客はいたみたいだ。それも何十人っていう団体客らしい」
ハルバードも気づいたみたいだが、次元の狭間から足音が聞こえてくるのだ。……殺気立った旅客の足音が。
「いたぞ! お嬢様だ!」
「見つけましたぞお嬢様! おとなしく屋敷にお戻りください!」
やがて世界を繋ぐ扉から、きらびやかな服装に帯剣をした、兵士と思わしき輩が何十人も現れた。
「え? な、なぜ皆さんも魔界に?」
「時空の扉が開いていたからでございます」
その言葉に「しまった!」という表情を浮かべる少女。きっとドジっ子なのだろう。
そのドジっ子少女に兵士達がにじり寄る。
「今すぐ屋敷へお戻りいただきますよ」
「逃げられると思わないことです。観念してください!」
お嬢様と言うあたり少女の方が立場は上なのだろうが、兵士たちは構わずに声を荒げて少女を追い詰める。恐怖を感じた少女は逃げ出そうとするが、その動作はあまりにも遅い。あっけなく先頭にいた兵士に捕まってしまった。
「さあ、行きますよ!」
「やっ……離して! 離してください!」
ん? 待てよ、この展開は……。
「た、助けて! 助けてください!」
……やっぱりこうなるよなぁ。ったく面倒くさい。なんで魔王の俺が人助けなんてしなきゃいけないんだ。
「まあ助けるけど」
呟くと同時に刹那の間に移動し、少女の手を掴んでいた兵士の手首を握り潰す。兵士が悲鳴をあげるよりも速く、他の兵士には掌底を打ち込み気絶させていく。
いくら数十人いるとはいっても所詮雑兵。魔王である俺の敵ではない。
「ばっ、化物――」
「はい、黙って」
最後の一人に掌底を打ち込み、少女を連れて行こうとしていた輩を全員無力化させるのに成功した。
「なっ、何? 今の……」
「はい、希望通り助けてやったぞ」
「へ? ……あっ! た、助けて下さりありがとうございます!」
「ん。それじゃ気をつけて帰れよ」
これ以上面倒事に巻き込まれてはかなわないので、軽く手を振り城門へ歩き始める。こういう時はさっさと別れるに限る。
なぜ魔界に来たのか興味はあるが、聞き出そうとしたら面倒な事になりそうだ。こちらから話しかける必要はあるまい。とりあえず害はなさそうなので放置しておいても大丈夫だろう。
「え!? ちょ、待ってください!」
「……何だよ」
「あ、あの、何かお礼を……」
「いらん」
もうこの少女には関わりたくないので即答し、その場から去ろうとするも少女はしつこくまとわりついてくる。
「ですが何かお礼をさせていただかないと私の気持ちが……」
そんなの知るか。いらないって言ってるのがわからないかね。
俺があからさまにため息をつくと、俺と少女との間にハルバードが割って入った。
「人間よ、あまりサタン様を困らせない方がよろしいですぞ。これ以上サタン様に迷惑をかけるというのなら、その首切り裂いて――」
「ひっ! ご、ごめんなさい!」
「分かったら早く人間界に帰ることですな」
よし、ナイスフォローだハルバード。
この調子ならドジっ子少女もおとなしく人間界に帰ってくれることだろう。
「っ……。そ、それだけはできません!」
……と思いきや、予想に反して少女はハルバードの命令にも近い提案を拒否した。
死んでも人間界に戻りたくないと。なかなか面白い女じゃないか。
「ふむ、それはなぜでしょうか」
「……」
ハルバードに訊かれても言いにくそうに口をゴニョゴニョする少女。どうやら“ワケアリ”のようだ。
「その前に、その扉を閉めてくれないか? 放っておいたらまた人間界から追手が来るぞ」
「あっ、そうでした! 今すぐ閉じます」
「あとそいつを閉じたら一度俺の城に来てもらいたいんだが、大丈夫か?」
興味の湧いてきた俺は少女に提案してみる。面倒事が大嫌いな俺がこんなことを言ったことに自分自身驚いたが、どうしても話を聞いてみたくなったのだ。
「え? それってどういう……」
「少し話を聞きたい」
少し悩んでいた彼女だったが、「助けていただいたお礼に」ということで快く首を縦に振ってくれた。
◇ ◇ ◇
「さてと。まずは何から聞こうかね」
配下達に姿を見られないようこっそりと少女を小部屋に連れてきてから、俺は椅子に腰掛けた。
この部屋には防聴のための結界が張られており、音が外部に漏れるのを完全に遮断できる。ここならば安心して話すことができるだろう。
「サタン様、熱々のコーヒーをお持ち致しました」
「ありがとう。カップを置いたら下がっていいぞ」
「はっ」
「それからこのことは他言無用だぞハルバード。面倒な事になるからな」
「はい、承知しております。では失礼致します」
恭しく頭を下げ、ハルバードは退室する。
それを見届けてから俺はカップに手を伸ばした。
う~ん、やっぱりこれ、この匂いがたまらないな。死臭と同じ成分が含まれているせいかね。
「よかったらどうぞ。ブラックだから飲めないなら俺が飲むが」
「いえ、ありがたく頂戴します」
ぽけーっと俺とハルバードのやり取りを見つめていた少女にカップを差し出すと、彼女はにこやかに受け取ってくれた。
こうして見てみると、かなり整った顔立ちをしている。緩く波打つ背にかかるほどの金髪に、翡翠色に輝く瞳。見る者を魅了する高い鼻と小さな口との組み合わせも素晴らしい。
俺が人間であったならばコロッといってしまったかもしれない。
じっと見つめられていることに気づいたのか、少女は頬を赤らめてコーヒーの液面に目線を落とした。
「それじゃあぼちぼち始めるか」
少し気まずくなってしまったので咳払いをしてから口火を切る。
危ない危ない。これで気を悪くしてしまったら情報を引き出せないではないか。
「まずは名前から聞こうか。……っと、俺の自己紹介がまだだったな。俺の名前はオラク・ジエチル・マンムート・サタン。【東の魔王】だ」
「オラクさんですか……。あれ、待って下さい、今魔王って言いました!?」
「ああ」
「え、え? 本当に魔王なのですか!? あれ、でも【東の魔王】オラクというのは聞いたことが……。ということは本当に……!?」
失礼な。魔王でないなら俺を何だと思っていたんだ。
下を向いていた少女は俺の言葉を聞くなり勢いよく立ち上がり、驚きに目を丸くした。
「本当だ。というか今は俺が何者かなんてのはどうでもいい。君の名を教えてくれ、ドジっ子少女ちゃん」
「ど、“どうでもいいこと”で済ませちゃうんですね……。わかりました、わたしの名前は――って『ドジっ子少女』!? なんですかそれ!?」
「いや、なんか行動とか驚き方とかがドジっ子みたいだなぁと思って」
「嘘!? わたしそんなにドジに見えるんですか?」
「まあ……そうだな」
「う……、昔と比べてだいぶ落ち着いてきたって弟に言われたのに……」
“だいぶ落ち着いてきた”ってことは、昔はもっとドジだったのか。現在よりもひどいドジっぷりなんてちょっと想像できない。
「で、名前は」
固い椅子にストンと座り落ち込んでしまったので、意識を現実世界に引き戻してやる。
魔界に来た時も自分の世界に入り込んでいたし、考え込むと周りが見えなくなる性格なのだろうか。
「あっ、すみません! 名前ですね」
ふぅ、と息をついて呼吸を整え、少女は口を開いた。
「わたしの名前はオリビア・ドラゴニカ。王立魔法機関・中枢魔法協会のランクAの協会員です」
少女──オリビアの口から発せられた言葉に少し驚く。
中枢魔法協会といえば、人間界で最も強大な国家であるエントポリス王国が設立した協会であり、魔法のエリートのみが集められた優秀な組織だ。ランクAの協会員ともなれば、魔王軍の幹部格とも互角に渡り合えるだけの実力を有している。まさに人間たちの希望の星、というわけだ。
「オリビアか。いい名だ」
「ありがとうございます」
「それと、ランクA協会員というのも本当なんだろう。俺の城には結界が張ってあるんだが、その影響で城近辺ではよほどの実力者でない限り転移や転界はできないんだよ。だというのに君は扉を開いて魔界に転界してきた。ランクAの資格を有するだけの実力は本物だろう」
「い、いえ、そんなことは……」
オリビアのことを褒め称えると、彼女は恥ずかしそうに手を振る。謙遜しているのだろうが、本当に賞賛されるだけの実力はある。
いや、それどころか……
「ランクSでないのが不思議なくらいだ」
勇者すら凌駕すると言われるランクS。その資格を持つ協会員はわずかに3名しかいないというが、彼女の実力はその域に達している。
城に張ってある結界は俺と数名の幹部で練り上げたとてつもなく強力なものなので、ランクA程度の協会員では世界を繋ぐ扉を開くことはできないはずだ。
そんな強力な結界を突破して一人で扉を開けたというのだから、ランクSであってもおかしくはない。
そう思って呟くと、オリビアの顔色がわずかに暗くなった。
「えっと……それは……」
「別に言いたくないなら言わなくてもいい。無理にでも聞こうと思うほど興味があるわけじゃないし」
言いにくそうに口ごもり、下を向いてしまったので深くは追及しないことにする。
きっと複雑な事情があるのだろう。
俺は興味がないふりをしてコーヒーを啜った。
「あの……わたしの方からも質問してよろしいでしょうか」
「んー、簡単な質問なら」
「……先程はどうして私を助けてくださったのですか? あなたは魔族――それも魔王です。人間である私を助けるメリットがあるとは思えないのですが……」
ああなんだ、そんなことか。
「どんな事情であれ、目の前で困っている人がいるなら助ける。当たり前のことだろ?」
この話からside-Oとside-Lを交互に、2人の『彼』の視点で物語を語っていきます。