Side-L 回り始める運命の歯車
約束の日がやってきた。
身支度を整えた僕は、ルナとフェルを連れて、喫茶店近くまでやってきた。
「打ち合わせ通り、2人とも物陰に隠れててね。一応幻術はかけておくけど油断しないように」
「わかってるわよ」
「じゃあ行ってくる」
退屈そうにあくびをするルナと、傍らにおとなしく座っているフェルをその場に残し、僕は喫茶店へ足を向けた。
“竜眼”を発現させながら店へ踏み入る。
さっと店内を見渡すと、奥の方に一人の魔族が座っていた。
当然幻術を使っているのだろう。魔族の近くに店員がやって来てコーヒーカップを置いたが、特に気にする素振りを見せなかった。
店員が立ち去るとその魔族は顔を上げ、僕と目が合った。
「あの……お客様? ご注文は何になさいますか?」
「あ、ごめんなさい。紅茶とチーズケーキを一つ」
しばらく入り口に突っ立っていたため、邪魔だったみたいだ。
迷惑そうな表情で店員の女性に注文を尋ねられた。
僕は謝罪の言葉を口にしてから注文をし、魔族の席へ近づいていった。
「向かいに座っても?」
「どうぞ」
竜眼を解除してから2人掛けの席の対面に腰を下ろし、さり気なく相手の顔を伺う。
片方だけやけに長い前髪の奥に輝く赤と青のオッドアイに、筋の通った鼻。遠目には覇気のないぼーっとした青年に見えたが、こうして間近で見るとなかなか精悍な面持ちだ。
どこか、この世の者ではないような美しさも感じる。
「……俺の顔を眺めてて面白いか?」
「おっと、これは失礼。綺麗な顔だなぁと思って見ていただけだよ。気を悪くしたかな」
「別に」
僕の視線に気づいたみたいだが、青年は特に批難するでもなく、傍らに置いてあったミルクポットに手を伸ばした。
そして彼は優しくミルクを注ぐと液面の真上に指を運び、くるくると回し始めた。
これは……。
指を止め、彼は優雅にカップを口元まで運ぶ。一切の音を立てずにコーヒーを口に含むと、彼は数ミリ頬を緩ませた。
「ルナのお兄さん、で合ってるかな」
彼が静かにカップを置いたところで、僕は口を開いた。
「そういうお前は、オリビアの弟で間違いないか?」
なんだ、気づいていたのか。
「そうだね。ライト・ドラゴニカ。僕の名前だよ」
「オラク・ジエチル・マンムート・サタンだ」
互いに名前を名乗り、視線を交わす。
そこには敵意も友好の意もない。視線にはただ、警戒心だけが込められていた。
「姉さんに会わせてくれる約束だったはずだけど」
「ルナを引き渡してくれるならばの話だ」
そう言ってルナの兄――オラクはコーヒーを一口飲む。
「もちろん、姉さんの顔を一目見れたらすぐにでも引き渡すよ。あんなうるさい子、近くに置いておきたくないし」
「なら、今すぐここに連れてきてくれ」
「それはできない。そっちが姉さんを連れてくるのが先だ」
互いに一歩も譲らず、相手の挙動を注意深く観察する。
なんとなくこうなる気はしてたけどね。
「そっちにデメリットがあるとは思えないけど」
それには答えずに、彼はまたカップをあおった。
「お前の注文したのが来たぞ」
「ん? あ、どうも」
礼を言って店員から皿を受け取る。
話が頓挫してしまったので、仕方なく僕もお茶を飲むことにした。
んー……なんかこの紅茶微妙だなぁ……。
ティーカップを置いてチーズケーキをぱくついていると、オラクはおもむろに口を開いた。
「……まあ、デメリットがないことは確かだな。ここは俺が折れるか……」
「……ふーん?」
相手をどう切り崩していくか考えようとした矢先の言葉に、僕は少し目を丸くした。真意を確かめようと彼の瞳を覗き込んだが、騙そうという意図は感じられない。
「ケーキを食べ終えたらついてきてくれ。オリビアのところまで案内する。ただし逃げられたら困るから、俺の左手首とお前の右手首に手錠をかけさせてもらうぞ」
「本当にいいの?」
「このままじゃ堂々巡りになるだけだろう。結局はどちらかが折れるしかないんだ。ここは、セラフィスに勝ったお前の顔を立ててやるべきだと判断した」
コーヒーを飲み干し、オラクはカップを置く。
「外で待ってる」
言って彼は店員を呼び出し、勘定を済ませて外へ出ていった。
◆ ◆ ◆
「なんでこんな暗い所に……」
オラクの指示に従って、僕は仲良く彼と手錠で繋がったまま、中枢魔法協会本部のすぐ裏にある、人気のない通りへやって来た。
「ドラゴニカ家の人間に見つかるわけにはいかないからな。もっとも、お前だけは例外だが」
どうして僕が家の人とは違う行動をとっているのか尋ねてくるのかと思いきや、彼は口を閉ざして歩き続けた。
既に僕のことも調べたのか、あるいは単に興味がないだけなのか。
まあどっちでもいいか。
やがて裏通りの中でも少しだけ開けた所に着くと、彼は立ち止まった。
本部からの距離はだいたい100メートルくらいだろうか。そしてそこは、ルナとフェルが待機しているところからもほど近い場所だった。
偶然……なのか?
「オリビア、出てきていいぞ」
彼が虚空に向かって語りかけると、数歩先の空間がぐにゃりと歪んだ。
ふわりと漂ってきた魔力の香りに思わず僕の頬が緩む。
ああ……この香りは……。
瞑目して、懐かしい匂いを肺の奥底まで吸い込む。魔力のうねりが収まったのを肌で感じ取ると、僕はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「久しぶり、姉さん」
正面に現れたのは、太陽のように黄金色に輝く髪をなびかせた、翡翠色の瞳の女性。この世の何よりも美しい、僕の最愛の姉。オリビア・ドラゴニカだ。
「久しぶりですね、ライト」
そう言って姉さんはニッコリと微笑んだ。
眩しい……眩しすぎる。姉さんの笑顔を見るだけで、生きててよかったと心の底から思える。本当に尊い。
「……なんかルナに似てるな……」
僕が至福に浸っていると隣からボソリと声が聞こえてきたが、無視する。
ルナに似ているなんて全力で否定したいところだけど、そんな労力すら惜しい。今は全力で至福の時を楽しむのみ。
だがそんな僕の願いも虚しく、たったの30分ほど姉さんと話をしただけでオラクからストップがかかった。
「もういいだろう。長居しすぎると見つかる危険性が高まる。そろそろルナを返してもらおうか」
「えー、もう少しだけ話したいんだけど」
「もう少しってどのくらいだ?」
「2時間」
「正気か?」と言いたげに彼は眉をひそめる。呆れ顔で彼がため息をついたその時
「長すぎよっ!」
高い位置から、少女の大きな声が響いてきた。
「あんたがいいって言うまで待つつもりだったけど、もう我慢できない! アタシだってお兄ちゃんと話したかったんだから!」
「気持ちはわかるけど、まだ30分しか経ってないよ」
「30分『も』でしょうよ!」
「まったく、ブラコンちゃんはうるさいなぁ……」
「あんたの話が長すぎるのよシスコン!」
建物の屋根の上に立ち、ルナがまくしたてる。が、それも長くは続かず、彼女は屋根から飛び降りるとこちらに駆け寄り、勢いそのままにオラクに抱きついた。
「お兄ちゃん、やっと会えた……!」
「元気そうだなルナ」
「うん……!」
閉じたまぶたの端にうっすらと涙が滲んでいる。よほど寂しかったのだろう。
さすがに邪魔するのは悪いかな。
そう思い、面を上げた瞬間――
「んなっ……!?」
視界が紅蓮の炎で遮られる。
手錠で繋がっていた僕とオラク、それに彼の胸に顔を埋めていたルナの周囲に、突如火の手が上がったのだ。
オラクとルナもそれに気が付き、臨戦態勢に入る。
「姉さん!? そこにいるんだよね!?」
姉さんの無事を祈るように叫ぶも、返事はない。
「くそっ!」
焦燥が僕の体を動かし、火の壁の向こう側へ手を伸ばそうとしたが、紅蓮の炎に黒い稲妻が走り僕の手を弾いた。
「手錠を外して! 早くっ!」
「何をするつもりだ?」
「いいから早くっ!!!」
目には目を、歯には歯をということで火属性の魔法を使いたいところだが、ここは王都。周りにたくさんの家があるし、何より力加減を誤って姉さんに傷でもつけたりしたら最悪だ。
そのため最善手であろう“閃光一文字”を使うために、オラクに手錠を外してもらうように懇願する。
戸惑いを見せたオラクだったが、僕の勢いに押されて手錠を外した。
「――“閃光一文字”!」
光をまとわせた鉄剣を一閃し、火の壁を斬り裂く。
先ほど同様黒い稲妻が走ったが、僕の斬撃の前には無力。術式を切り裂かれた火の壁の一部には穴が開いた。
「姉さんっ!?」
火の手をくぐり抜けると同時に叫んだが、その先に姉さんの姿はなかった。
代わりにドラゴニカ家直属の騎士団・滅竜騎士団の制服を着た者たちが、僕たちをぐるりと囲んでいた。
遅れて火の壁から出てきたオラクやルナと戸惑いの視線を交わしていると、背後から濃密な火属性の魔力が飛んできた。
即座に反応し、それを斬り裂く。
「誰?」
魔力が飛んできた方向を睨みつけ、絶句した。
「よう、久しぶりだなぁ、ライト」
僕の視線の先にいたのは、逆立つ金髪に燃えるような橙色の瞳を持つ男性。
「…………オーガ……兄さん?」
2人いる兄のうちの年下の方。僕が兄弟の中で一番嫌いな兄、オーガ・ドラゴニカだった。
兄弟たちの再会ラッシュ。
新キャラ、オーガの見た目はライオンみたいなイメージです。
また第14部でお知らせしていたかと思いますが、オラクとライトが出会いましたので、次回からは2日に一回の更新となります。