Side-O 力の一端
「……いきますっ!」
「さあこい」
ドガアアンとけたたましい音を立て、膨大な魔力が激突する。衝撃に耐えかね、地面に大きなクレーターができた。
「まだです!」
早朝5時半。鶏の鳴き声すら聞こえぬ時刻に、俺とオリビアは北門前広場で鍛錬を行っていた。
今頃は、セラフィスが金髪の少年に接触を果たしていることだろう。
昨夜俺がオリビアにマッサージを施してもらっていると、彼が直接部屋に訪ねてきて言ったのだ。
「明日の朝、金髪の少年と話し合うことができそうだ」
と。その時俺とオリビアを交互に見てから、珍しく驚いた顔をしていたのが印象的だった。
指令を出してから一日も経たずに接触できるのだから、やはりあいつは有能だ。
俺が魔王に就任した時にセラフィスを諜報部隊・“魔王の糸”の隊長に任命したのだが、どうやら俺の判断は間違っていなかったらしい。
「――“氷河峡浸”!」
ふと、オリビアの声に意識が現実に戻る。
「――“黒焔”」
数歩手前まで迫っていた氷の浸食を黒焔にて防ぐ。
危ない危ない。あまり油断していると、あっという間にオリビアの魔法の餌食になってしまいそうだな。余計なことは考えず、鍛錬に集中しよう。
軽く頭を振ってから、俺はオリビアの顔を見つめた。
「挨拶代わりの魔法でこの威力。さすが中枢魔法協会のAランカーだな」
「お褒めいただきありがとうございます。ここからはもっと飛ばしていきますよっ!」
宣言通り、彼女の手のひらからは先程までの比ではない密度の魔法が放たれた。
「魔法の威力だけで言えば勇者より強いかもしれないな。だが――」
最小限の足の運びで、俺はオリビアの背後に回り込んだ。
「――あまり戦い慣れしていないようだ」
彼女が振り向くよりも早く、手刀を振り落とす。艶めかしいうなじに吸い込まれていった手刀はしかし、見えない壁によって阻まれた。
さらに手刀が壁に衝突した瞬間爆発が発生し、俺の腕は勢い良く弾かれた。
「オラクさんのおっしゃる通り、わたしはあまり場数を踏んでいないので戦闘経験は未熟です。ですから隙を突かれても対処できるよう、戦いの時は常に首と胸に障壁を展開しています」
おもむろに俺の方へ向き直り、オリビアは毅然と言い放つ。
……なるほど、これは手強い。自分を知った戦い方というものをよく理解している。
焦げ付いたコートの埃を払い、俺は内ポケットに手を入れた。
「惜しいな。オリビアが魔王軍に入ってくれたら大幅に戦力アップを図れそうなんだが、残念なことに君は協会の一員だ。加入は望めそうもない」
「そうでもありませんよ。中枢魔法協会の規定で、一週間に一度も依頼を受けなかった会員は資格を剥奪されます。わたしが最後に依頼を受けたのは6日前なので、明日までに依頼を受けなかった場合、協会から退会させられます。
助けていただいた恩がありますので、オラクさんが望むのであれば魔王軍に入ってもいいですよ」
屈託のない笑みを浮かべ、彼女ははっきりと言い切った。
もちろん魔王軍に入ってもいいというのは冗談だろうが、協会を追放されるというのは本当なのだろう。嘘をついているようには見えない。
というか、なんか昨日までのオリビアとは性格がちょっと違うような……。もっとおどおどしていたり、天然を全面に押し出したような喋り方だったのに。
戦っている時は性格が変わるんだろうか。
「まあいい。心の底から魔王軍への加入を望むなら話は別だが、こちらから魔王軍へ引き入れるような真似はしない。人間界に帰りたくなるまでの間だけ、有益な情報を提供してくれればそれで十分だ」
言いながら3つの玉をポケットから取り出す。
「とりあえず、ぼちぼち模擬戦闘を終わらせよう。少し疲れてきた」
ハッと何かを悟ったオリビアが炎の魔力を錬成するが、もう遅い。
俺は3つの玉を全て勢いよく地面に投げつけた。
「っ……!」
3つの玉はもくもくと煙幕を巻き上がらせ、オリビアの呼吸と視界を乱す。
俺はギュッと凝縮した魔力の塊をその場に残し、自身に結界を張りつつ、魔力を辿ってオリビアの背後に回り込んだ。
「……見つけました!」
煙幕が晴れるのを待たずして、俺の魔力を感知した彼女は風の魔法を放つ。
攻撃すると同時に、煙を薙ぎ払おうという魂胆だろう。
しかし、彼女が狙っているのはただの魔力の塊だ。いくら攻撃しようとも無駄なことだ。
「――え?」
俺の魔力を捉えたものの、手応えが無かったことにオリビアは驚きの声をあげる。
風の魔法で煙は晴れたが、彼女の視界に俺は写っていない。
ゆっくりと歩み寄り、結界を解除した俺はポンと肩を叩いた。
「捕まえた」
「あっ……」
「どうする? まだ続けるか?」
「……いえ、わたしの負けです。参りました」
その言葉を合図に、俺とオリビアは緊張の糸を緩めた。
「体の一部分を守る障壁ではなくて、全身を覆う結界を張っていれば、勝負の行方はわからなかったかもな」
鍛錬が終わり精神的に余裕が出てきたので、彼女の頭に幻術をかけながら言う。
「どうでしょうか……。常に全身に張り続けるとなると魔力の消費量が多くなってしまいますし、一点に集中させた障壁よりも脆くなってしまうと思うので、どのみちオラクさんには通用しなかったように思います」
「それもそうか。障壁を張り続けるだけでも疲れるしな」
「はい」と彼女は頷く。
「ところで最後オラクさんが何をしたのか分からなかったのですが、どうやって一瞬でわたしの背後に回り込んだのですか? 魔力のゆらぎがなかったので、転移ではありませんよね?」
ああ、煙幕で視界を悪くしてからの一連の動作のことか。
「一瞬で移動したわけではないんだ。オリビアが俺だと思って攻撃したのは、ただの魔力の塊。オリビアが俺の魔力を探してる間に、俺は魔力を遮断する結界を張って背後に回り込んでいたんだよ。それで、オリビアの魔法で塊が消えた後に俺も結界を解除したから、一瞬で移動したかのように錯覚したというわけだ」
「魔力の塊ですか」
「ああ。今みたいに煙幕とかで視力が頼りにならない時は、魔力感知に頼るしかないからな。ただの魔力の塊を、本体だと誤認しやすい」
己の身を隠すのみならず相手の隙を作ることもできる、一石二鳥の技ということだ。
この技を指して、“陽炎身の術”という。
「理屈はなんとなくわかりましたけど、いざ実践しようとすると難しそうですね」
「そうだな。一応俺の妹も使えるが、俺も妹も戦いの場で使えるようになるまでには結構かかった」
「やはり難しいんですね……。あ、そういえば訊くタイミングを逃していたのですが、妹さん……がいるんですよね?」
「気づいたら人間界にいるような、やんちゃなヤツがな」
俺の言葉に、オリビアは照れくさそうに頬を掻く。
結婚が嫌で魔界まで逃れてきた自分のことを重ねているのかもしれない。
「少し、意外でした。てっきりオラクさんは一人っ子なのかと……。なんていうかこう……肉親の情とは無縁な生活を送ってきたようなイメージがありました。あ! 悪い意味ではないですよ?」
「あながち間違いでもない。今の俺に血の繋がりのある家族は、妹のルナしかいないからな」
「……え!?」
「母親は14年前、俺が9歳の時に他界した」
「父親は――」と言いかけると、オリビアは慌てて俺の言葉を遮った。
「ご、ごめんなさい! そこまで深く聞くつもりはなかったんです! 辛いことを思い出させてしまってはいけないので、もう大丈夫です! 余計なことを訊いてしまってすみません」
別に辛くともなんともないのだが、勢いに気圧されて俺は口を噤む。
このまま喋ってしまっても構わないのだが、オリビアが気にするだろう。それに彼女には少し刺激が強いかもしれない――
――俺がこの手で実の父親を殺した、という話は。
「俺の方からも一ついいか?」
「な、なんでしょうか」
部屋に戻るまでの間、気まずい空気が流れないように話題を変える。
「オリビアは昨日この辺りで魔法の講義をしていただろう。そのことについてだ」
北門をくぐり抜け、静謐な空気に包まれていた城壁内の広場を見渡しながら言う。
「勇者の襲撃があったせいで俺も訊く機会を逃していたんだが、魔王軍の兵士に魔法を教えるなんていう、エントポリス王国の首を締めるような真似をしていいのか?」
勇者が侵入してきたり、セラフィスが人間界でルナを見かけたり、頭を悩ませるような出来事が起きたため失念していたことを尋ねる。
「そうですね……魔王軍の皆さんの戦力が上がると、もし戦争になった時に王国が不利になるというのはわかっていますけど……。でも、純粋に魔法を極めたいという思いを無下にするわけにはいきませんので。それに、オラクさんは理由もなく人間界に侵略してきたりしないだろうと信じていますから」
「……そうか」
そんな簡単に他人を信用していいのかと物申したくなったが、俺が戦争を起こす気がないのは事実なので、素直に好意として受け取っておくことにした。
万が一の時に備えて、軍の実力を底上げしておくのに越したことはないからな。
――後に、その万が一の事態が起こり、彼女の講義の恩恵で底上げされた東の魔王軍が活躍することになるのだが、この時の俺には知る由もない――。
2人がボロボロにした地面は、後で結界の効果で元通りになりました。
そして時系列もSide-Lと一致しました。




