Side-L 闇市
アルベルト兄さんから任意可変魔法陣をもらい、ルナとこれからのことについて確認してから、僕は特に何をするでもなく本を読んでゴロゴロしていた。まあちょっとは作戦も考えたけど。
暇を持て余したルナが「あー」だとか「うー」だとか意味のない言葉を発し始めてうるさかったので、彼女は外に追い出して適当にフェルと遊ばせといた。
ここ最近フェルは思いっきり身体を動かしていなかったので、フェルにとってもいい気分転換になったと思う。
夜になり、僕はルナとフェルが風呂に入っている間にぶらりと外に出た。
常に結界に覆われている僕の家だけど、魔力遮断の結界を一枚張り足したので中の魔力が外に漏れることはまずない。
というわけでルナの魔力が漏れて通報される心配がないため、こうして彼女から離れてぶらつくことができるのだ。
とはいっても長い間離れるのは流石に心配なので、せいぜい一人で出歩けるのは30分かそこらだ。ったく……僕の自由と尊厳を返してくれよ。
あと来客がありルナが出てしまった場合は言うまでもない。間近で対面して黒角に気づかないアホはいないだろう。
僕が家を出る前に幻術をかけることができればよかったんだけど、距離が離れると術式が乱れるし、ルナは今風呂に入っているためそもそも幻術をかけることができない。
どういうわけか、お風呂に入ると大概の幻術は解けてしまうのだ。
だから家を出る前に、言わなくても分かっているだろうとは思いながらも「誰かが訪ねてきても絶対に出ないように」と伝えておいた。
彼女は「そ、そんなこと言われなくても、わわ、わかってたわよ!」と答えていたので大丈夫だろう。
「さて……と。せっかく一人になれたし、闇市にでも行ってみようかな」
本当に人間界で姉さんを見かけた人はいないのか調べたい気持ちも山々だったけれど、ドラゴニカ家の兵士達がいくら聞き込みを行っても情報は得られなかったのだ。調べるだけ無駄だろう。
姉さんは魔界へ行ったんだと割り切って、後のことは行雲流水。流れに身を任せるしかない。
そんなわけなので、余計なことは考えず貴重な自由時間を謳歌することにする。
「あんまりお金は持ってきてないから見るだけかなぁ……」
呟きながら、王都の端の方にある危険な裏通りに近づいていく。ここには夜だけ開かれている闇市がある。
王都の治安を取り締まる聖魔導騎士団ですら、近くを巡回するだけで通りに足を踏み込むことはないと言われる危険地帯だ。
この辺りにある奴隷取引所を政府も利用しているから、あえて取り締まらないっていうのが実のところなんだけど。
ゆったりと歩いていたせいか、家を出てから既に10分経過していたのでさっと見て帰ることにする。
一歩、裏通りに足を踏み入れたその時。
「っ!」
向かいから歩いてきた人の肩がぶつかり、ドンッという鈍い音が響いた。
今の、絶対わざとだ。
しかし哀れ。僕は平然としていたが、逆に僕にぶつかってきた人物は苦痛に顔を歪め、何かを呟きながら立ち去っていった。
竜伐者にぶつかったら当然こうなる。ドラゴン相手に肩をぶつけるようなものだからね。
苛ついていたのか知らないけど、今頃あざができているであろう相手の顔を思い浮かべて僕は同情し――
「……ん?」
――ようとして、顔が思い出せないことに気づいた。
「おかしいな……確かに顔を見たはずなのに」
なぜだろうか。顔を見た時ははっきりと表情筋の動きまで見えていたのに。記憶操作系の魔法でも使われたのかなぁ。
少し気になったので目に意識を集中させ、例の人物が去っていった方角を睨みつける。
目を合わせた相手の動きを止めるだけではなく、幻術を見破る。そして単純に夜目が利き、遠くまで見通せる視力。竜伐者に与えられた特殊な目を指して、こう呼ぶ。
“竜眼”と。
その“竜眼”を用い暗闇を探ってみたが、既に相手の姿は消えていた。おそらく転移だ。
「……一体何がしたかったんだ?」
興が削がれたので闇市を回るのをやめ、踵を返そうとして僕は懐の違和感に気づいた。
「なんだこれ……手紙?」
スリのような手口で忍ばせたのだろう。いつの間にか僕の懐には二つ折りにされた紙が入っていた。
紙を開いてみると、そこには次のように書かれていた。
『話がある。明朝5時、闇市の中心部イゼオ広場噴水前にて待つ』
……どこやねん。ってか闇市なんて王都中にあるし。まあこの闇市の通りをまっすぐ奥まで進んでいったところなんだろうけど。
手紙を懐にしまい、家に向け歩み出す。
結局闇市には一歩踏み込んだだけで終わってしまった。まあ仕方ない。闇市なんて毎日やってるから、今は手紙の方を優先だ。
歩みを進めながら、手紙の主について考えてみる。しかし誰が渡してきたのか見当もつかない。
知り合いならわざわざこんな面倒なことをする必要はないし、そもそも肩をぶつけてきたりしないだろう。
実家からっていう可能性は……ないな。朝兵士と会ったのだから、伝えたいことはそこで伝えることができたはずだ。その後僕の家に兄が訪ねてきたから、そこでも伝える機会はあった。
以上を考慮すると、人違いっていう可能性が一番高いのかな。魔力の波長や香りも知らない魔力だったし――
「――ん? 魔力?」
そうだ、魔力だ。顔は思い出せないけど、魔力はかろうじて覚えている。まだ肩にちょこっと残ってるし。
その魔力なのだが、匂いをよく嗅いでみると違和感がある。表層は特筆すべきことはない、毎日吸い込んでいる人間の魔力のようだが、深淵を覗いてみると微かに魔族や魔物に近い波長の魔力が感知できる。
さっきの人物が転移をしたであろう地点の地面をさすり、魔力残渣を拾う。指を鼻に近づけてみると、やはり魔族に近い香りがした。
「見た目からして魔物ってことはないだろうから魔族か。夜間の闇市とはいえ、よくもまああんなに堂々と歩けるな。もちろん幻術はかけていたんだろうけど」
相手が魔族となると、接触してきた理由はルナについて聞き出すためかな。
「ったく……絶対面倒なことになるじゃないか」
重い腰を上げ、腹の底に溜まった息を吐き出す。
うまくいけばルナを魔界に送り返せそうだけど、話がこじれたら戦いに発展するかもしれない。僕が負けるとは思えないけど、もし勢い余って相手を殺してしまったら魔王を怒らせてしまう。そうならないために、なんとしてでも話し合いを成立させないと。
「話がわかる相手ならいいんだけどなぁ……」
厳しい晩冬の冷気をかき消すようにボゥッと火を吹いて、僕は闇市を跡にした。
◆ ◆ ◆
翌朝5時過ぎ。
腰に剣を差し、闇市の中心部・イゼオ広場とやらにやってきた。遠目に“竜眼”を発動し、噴水に仕掛けがないか確かめる。
……うん、特に罠とかは仕掛けられてないね。ていうか“噴水”とか言いながら水が噴き出ていない。闇市の中心部にあるから、故障したまま放っておかれているんだろう。
大きなあくびを一つして、噴水の縁に腰を下ろす。
ところで遅れてきた僕が言うのもなんだけど、5時を過ぎてるのに相手の姿が見えない。このまま寝てしまおうか。
そう思い、身体を傾けかけた瞬間
「おっと」
背後に濃密な死の気配を感じ、とっさにその場を飛び退いた。一拍遅れて轟音と共に噴水が砕け散る。
今のは結構危なかったね。
「来たみたいだね、名も知らぬ魔族さん」
着地と同時に虚空に語りかける。
「近くにいるのは分かってる。隠れても無駄だから出てきなよ」
噴水を破壊してすぐに身を隠したのか、それとも飛び道具を使って破壊したのか。相手の姿が見えなかったため再び目に意識を集中させ、“竜眼”を使う。
ゆっくりと周囲を見渡していくと、広場から南に延びる小さな通りの物陰に、揺らぐ魔力が見えた。おまけに少しだけ黒い角も見える。本人は幻術を使って黒い角を隠し、姿も凝対させてるつもりなんだろうけど、僕の“竜眼”の前には無力だ。
話があるなら早くしてほしいので光球を錬成して打ち出す。
光球は一直線に飛んでいくと、魔族が隠れていた木箱を粉砕した。
「……吾輩の幻術を見破るとは見事」
すると突然、魔法陣の煌きと共に魔族が現れ、ポツリと称賛の言葉を口にした。
「っと、そういや転移も使えるんだっけか」
言いながら警戒心をあらわにし、一歩下がる。
粉々になった木箱を見つめ、僕に背を向けていることから戦意はなさそうだが、念のため腰の剣に手をかける。
「貴公、名は何と申す?」
「その前にまず、自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃないの? 君は小さい頃ママに何を教わったのかな」
「む、これは失礼した。だが吾輩の正体を明かすわけにはいかぬ。申し訳ないが名乗ることはできない」
「あっそ。まあどうせ東の魔王軍の人なんだろうけど」
「……なぜ分かった? まさか、これが視えているのか?」
魔族は数ミリ目を見開き、自分の黒角を触った。
後ろで一つに束ねた血赤色の長い髪に、切れ長の目、そして眉間に刻まれた深い皺。細面ではあるが見るからに怖そうな顔立ちの魔族だ。そんな彼が驚いているというのは、なかなかどうして面白いものがある。
「……吾輩の正体はお見通しというわけか。なれば致し方なし。礼に則って名乗るとしよう」
そして僕はカマを掛けただけなのに何を勘違いしたのか、彼は変わった装飾の首飾りに手をかけ、一息ついてからおもむろに口を開いた。
「吾輩は東の魔王軍四天王・【穿空】のセラフィス・リュードベリ。【穿空】という二つ名は聞いたことがあるだろう?」
「えっ、なんですか【穿空】って。聞いたことありませんけど。君は何を勘違いしているのかな?」
ライト君さりげなく火ぃ吹いてますねぇ。
新キャラ・セラフィスのことは、赤髪と覚えていただければ結構です。