Side-O 来訪者
南通りと人間の街を案内した後、城に戻ってきた俺は、少し一人で歩きたいと言うオリビアを本塔前に残し、執務室にこもってひたすら書類業務に取り組んでいた。
「この束を処理したら今日は終わりにするか」
ふと窓に目を向けると空が一面夕焼け色に染まっていたので、俺は手元に置いてあったコーヒーカップを傾け、最後の仕事に取り掛かることにする。
『魔物の個体数について』と印刷された表紙をめくると、細かい字が適度な間隔を空けて並んでいた。3枚目以降にはところどころにグラフも描かれている。
ざっと斜めに読んでいくと、どうやらここ数ヶ月、東の魔王領西部で魔物の個体数が減ってきているそうだ。
その変化は僅かなものらしいが、今のところ家畜の魔物に特に変わりはなく、野生の魔物のみ緩やかに減ってきているとのことだ。
過剰に狩りをしている輩がいるのか、勇者が魔界に潜伏しているのか、それとも病気が広まる兆候なのか。また魔物の体内に病原菌が潜んでいるとすれば魔族にも伝染る可能性があるのか。
事が大きくなる前に魔王軍に調査をしてもらいたいという言葉で、報告書は結ばれていた。
「魔物の個体数の減少か……。けど本当に微々たる変化だしなぁ……」
報告書の要請通り調査に乗り出す必要が本当にあるのか、俺は疑問に思いながら呟く。
急激に魔物が減っているのなら、勇者の侵入や感染症を疑うのもわかる。しかし添付されているグラフを見る限り、傾きは比較的緩やかだ。
そもそも魔物も生態系のピラミッドを構成する一生物なのだから、少なからず他の生物の影響を受けるし、どんな生物にも個体数が増加する時期と減少する時期が周期的にやってくる。まあ減少し続けてそのまま絶滅する生物がいるのも事実だが。
とにかく魔物の数が減っているのは、そういう自然の流れとか波みたいなものの一部なのではないだろうかと思う。
ただ本当に乱獲や勇者、病気による影響である可能性も0ではない。もしそうだとするならば看過できないな。
「なあ、どう思う?」
そこで俺は最も信頼する部下である秘書に意見を求めた。
「どう、とは?」
「この資料を見てくれ」
同じ部屋で書類を確認していたハルバードは自分の作業を中断し、報告書を受け取った。
「……ふむ、これは興味深いですな」
時間をかけて読み終えたハルバードは俺に報告書を返してくると、自分の机に積んであった書類の山から一冊の資料を引き抜いた。
「じぃも先程同じような資料を目にしました」
「本当か」
「はい。これがその資料なのですが、南の魔王領に放っている間者からの報告によると、彼の領地でも西部で魔物の数が減っているのでは、という噂が流れているそうなのです」
「東の魔王領に接する地方じゃなく?」
「資料によれば西部ですな」
「ほう」
それは確かに興味深いな。
あくまで噂話だが、東の魔王領でも南の魔王領でも西部で魔物が減っていると。
ということは一番可能性が低いのは病気だろう。普通病気は波状に広まっていく。遠く離れた土地で同時期に魔物が減ることなどまずありえない。
一方人為的なものが関わってくると、いつ、どこで、何が起きてもおかしくはない。
「何者かが良からぬことを企んでいるのやもしれませんな」
ハルバードも同じ考えだったようで、数秒の沈黙の後そう呟いた。
「じゃあ要請通り調査隊を組むべきか」
「そうですな……現在の魔界には一定の秩序がありますから、手が空いている者は少なくないかと。事の緊迫度も鑑みて、小規模な調査隊を派遣するのがよろしいかと存じます」
「よし、じゃあ早速調査隊を編成しよう。第三師団と生態研究室、それから魔法研究庁の長を呼んでくれ」
「はっ」
魔物の個体数を一から数え上げ、その推移を調べるなど、調査結果が出るまでおそらく数ヶ月はかかるだろう。
それだけの時間をかけても、結局俺が予想したように個体数変化の波における減少期だった、との報告がなされるかもしれない。
だがそれはつまるところこの地が平和だということの証明にもなる。俺には、というか皆にとってもそちらの方が嬉しい結果だろう。
どんな調査結果が出ようとも、決して無駄にはなるまい。
はたしてどのような結果が出てくるのか。じっくりと待つことにしよう。
俺はさっとペンを走らせてサインをし、了承の印鑑を押した。
◇ ◇ ◇
書類仕事を終え配下に指令を下した俺は、オリビアの魔力を辿り、城の北に位置する広場へやって来た。
俺が死霊術の練習に使う、霊が出るとの噂がある小さな林があるせいか、城の敷地内で最も暗い方面だ。
ところが普段は人影もまばらな北門内広場に、珍しく人だかりができていた。
初めは人だかりを迂回して進もうと思ったものの、探し相手の魔力がそこから漂っていたため、仕方なく輪の中に飛び込むことにする。
「オリビア」
俺の存在に気づいた配下が道を空けてくれたので、輪の中心にいた人物に声をかける。
「あ、オラクさん」
指示棒のようなものを片手に聴衆に向かって熱心に語っていたオリビアが、俺の声にこちらを振り向いた。
「夕飯の準備ができたそうだ。マリアが冷めない内に食べろって」
「もうそんな時間だったんですね。えっと、もう少しだけ待っていただけますか?」
俺が頷くと、彼女は聴衆の方へ視線を戻し話を再開した。
彼女の傍らに置いてあった黒板を見ると、魔法陣がいくつか描かれていた。話を聞いてみると、どうやら効率のいい魔力の使い方について解説しているようだ。
しかし、いったいどのような経緯でオリビアが魔法の講義をすることになったのだろうか。少し気になるな。
「――というわけで、今日のところはこれでおしまいです。皆さん、ご清聴ありがとうございました」
2、3分ほど待つと講義が終わり、彼女は丁寧に頭を下げた。同時に幾人もの配下が称賛、あるいはねぎらいの拍手を送った。
……本当に何が起きているんだ。魔族は自分より実力がある人物の言うことは素直に聞くが、見知らぬ者に対してはそう簡単に心を開かないというのに。
誰かがオリビアに勝負を挑んで、それで返り討ちにあったのだろうか?
ありえない話ではない。オリビアに打ち負かされたことによって彼女の実力を認め、教えを請うたというのなら説明がつく。
何にせよ、オリビアに直接聞けばわかることだ。それ以上に気になることがあったので、まとめて訊いてみよう。
おそらく魔法具なのであろう。魔力を注いで小さくなった黒板をローブの内ポケットにしまい、彼女はくるっと振り向いてきた。
「お待たせしましたオラクさん」
「ああ。ところでさっきから気になっていたんだが、なぜ眼鏡をかけているんだ?」
背後から聞こえてくる「魔王様の女だったのか!?」とか「また女を連れて歩いてる……!」とかいう言葉を全てスルーして、城の本塔へ向け足を踏み出す。
「あ、えっとこれは……弟に『誰かに魔法の講義をする時にはこれをかけたほうがいい』と言われて渡された伊達メガネです」
おい弟よ、なに変なことを教えているんだ。
今まで目が悪い素振りを見せていなかったが、実は目が悪いのだろうかと思って尋ねると、衝撃の答えが返ってきた。
そう、俺の配下に魔法の講義を行っていたオリビアは眼鏡をかけていたのだ。特に違和感はないのだが、それでも先程までとは違う格好に突っ込まずにはいられなかった。
「伊達メガネか」
「変……ですか?」
「いいや、よく似合っている。それにしても黒板といい指示棒といい、随分準備がいいな」
「はいっ、講義セットは小さくして常に携帯していますので!」
オリビアは拳をぐっと握り胸を張る。
常に持ち歩くようにしているのも、彼女の弟の助言によるものなのだろうか。
……まあそこはどうでもいいか。
「で、どうしてあんな場所で魔法の講義を?」
「えぇと……庭を歩いていたら魔法の練習で悩んでいる方がいらしたので、お節介とは思いながらもアドバイスをしてあげたんです。そうしたらその方に是非もっと色々なことを教えて欲しいと頼まれ、講義をすることになりました。
その方が『部下も連れてくるので可能ならば庭でやってくれないか』と仰ったので、二つ返事で引き受けたというわけです」
なるほど、オリビアに助言を受けたヤツは珍しく他人の言うことを素直に聞くタイプの魔族だったのか。「口出しするなら実力を示せ」とか言って揉め事に発展しなくてよかった。
そして『部下』と言っていたということは、魔王軍の幹部の誰かだな。俺の視界に幹部の姿はなかったから、おそらく俺の死角にいたのだろう。
それにしても――
「――っと、こんな時に来客か」
もう一つ彼女に尋ねたいことがあったのだが、間の悪いことに上空に来客の気配がしたので一旦後回しにする。
「オリビア、悪いけど転移で先に部屋へ戻っててくれ。マリアがいるから、食堂に案内してもらえるはずだ。この辺りには転移防止の結界が張られているが、中枢魔法協会のAランカーであるオリビアならば可能だろう?」
「部屋にですか? できると思いますけど、どうしてです?」
「招かれざる客が来た」
彼女が「えっ?」と聞き返してきたのと同時に、風を切りながら俺たちの周りに4つの影が落下してきた。
着地の衝撃で舞い上がった砂塵が晴れると、前後左右に剣、あるいは杖を持った人間の姿が現れる。
彼らはひっそりと魔界の陰に忍び込み、魔王暗殺を目論む人間界からの尖兵。
「勇者だ」