Side-L 長兄
「さて、体を動かしたことだし、中に入っておやつでも食べようか」
ルナの兄である【東の魔王】についての話を聞き終えると気まずい雰囲気が流れてしまったため、両手を鳴らし空気を変える。
「おやつ……食べたいけどこんな時間に食べたら太らないか心配だわ」
「ちょっと太るくらいいいじゃん。いちいちそんなことを気にしてるから大きくならないんだよ」
「何がよ!」
「何がって……ねぇ? ここら辺が」
僕が自分の胸の辺りをトントンと叩くと、先程までのしおらしい表情はどこへやら、彼女のこめかみに青い筋が浮かんだ。
「また胸のことでバカにした! 今度という今度は許さないんだからっ!」
「いや〜、何を勘違いしてるのかな。僕は心が小さいって言おうとしたんだけど?」
「ぐぬぬぅ……。納得がいかないんだけど」
唇を噛みしめ拳を震わせるルナの姿を見て、元の彼女に戻ってくれた、と安堵する。
湿っぽいのは好きじゃないからね。
やれお兄ちゃんに言いつけてやるだの、やれもう一度戦えだの騒ぐルナをなだめつつ家の中へ入れる。まるで猛獣使いになった気分だ。
手を洗い荒々しく椅子に座った彼女に苦笑しつつ、保管庫の中にいいものが入っていないか確認してみる。ざっと目を通してみると、シュークリームにエクレア、そしてつい最近買ったチーズケーキがあった。
「何でそんなに甘い物が入ってるのよ。あんたって憎たらしい性格に似合わず甘い物が好きなわけ?」
「そうでもないけど、紅茶のお茶請けには甘い物が合うかと思って。僕はしょっちゅう紅茶を飲むから、こうやって甘い物をストックしておくんだよ」
椅子を後ろに傾けながら尋ねてきたルナに少しだけ目線を向けてそう返す。
「いちいち紅茶を飲むのにお茶請けを用意するなんて、随分こってるわね」
「まあね。紅茶を嗜むことは僕の中で風呂に入ることの次くらいに重要なことだからね。晴れた日の午後に紅茶をいただく。優しい性格をしている僕にぴったりの趣味だと思わない?」
「本当に優しい人は自分で優しいなんて言ったりしないわよ!」
ビシィッという効果音が付きそうなくらい勢い良く指を指してツッコんできたルナを華麗にスルーして、隣国産の茶葉とエクレアを食卓に出した。
そぉーっと伸びてきたルナの手をはたき落とし、卓上に置いてあった魔法瓶を手に取る。
「エクレアを食べるのは紅茶を一口飲んだ後にして」
「何でよ! どういう順番で食べようがアタシの勝手でしょ」
「いいや、ここは僕の家だから僕の流儀に従ってもらう」
「嫌よっ!」
言いながら、今度は勢いよく伸びてきたルナの手首を掴み、雷桜封殺陣(小さいバージョン)で両手首共に縛り上げる。
先程の試合で魔力を使い果たしたのか、彼女は恨めしそうに睨んでくるばかりでこれといって抵抗はしなかった。
「たかだかおやつごときでここまですることないじゃな〜い!」
「僕にとっては『たかだか』じゃありません。もう一度言うけど紅茶を嗜むことは僕の中で風呂に入ることの次に重要なことなんだよ。一挙手一投足丁寧にこなしていかないと」
そのままぐでーっと突っ伏したルナを放置して、ガラス製のティーサーバーを用意する。最初に少しだけお湯を注ぎ、容器全体を温める。その間にティーカップを2つ用意して、フェル用の皿も出してきた。
魔物は本来魔力以外を食らう必要はないのだが、嗜好として人間と同じような食べ物を食べる魔物もいる。特に高度な知性を持つ魔物なんかに多いらしい。
人間の言葉を理解できるフェルもどうやらそういうタイプの魔物だったらしく、一度お菓子を与えてからは僕が食べようとする度にねだってくるようになったのだ。以来、おやつの時間にはフェルにも僕が食べるのと同じものを与えるようにしている。
「あ~、もう何でこんなひねくれた性格の人間の家で暮らさなくちゃならないのよ〜。もっと優しい人の家に世話になりたかった〜」
ティーサーバーが十分に温まったので茶葉を入れ、お湯を勢い良く注いでいると、食卓をガンガン蹴りながらルナがうめいた。
まったく、うるさいなぁ。
「セリフが完全に迷い子のそれだね」
「迷い子でもなんでもいいから早く魔界に帰りたい」
2人分のお湯を注ぎ終え、後は香りが開くのを待つだけとなった。
「僕も君みたいにうるさい人――じゃなくて魔族を家に置いておきたくなんかないよ。人間界に来ちゃったのは自業自得なんだから、ちょっとは我慢してくれないかな」
「やーだー!」
「ちょっと、ガラスが割れるからテーブルを蹴らないで」
小さい子供のようにジタバタするので、足が食卓にぶつかる度に大きな振動が起きる。やってることは幼くても、やってる人物の膂力は馬鹿にならない。これだから魔族は嫌いだ。
とうとう耐えきれなくなった僕はルナの足首も封殺陣で縛り、椅子ごと彼女を玄関口まで運んだ。
「しばらくはそこでおとなしくしててもらうよ」
「ぐぁー! 本当にいらつく! ライトなんか大嫌い!」
「それはお互い様なんじゃないかな」
そんなこんなで茶葉の踊りを眺めつつ言い争いをしていると、唐突に玄関のベルが鳴り響いた。
その音で扉のすぐ外に人がいると悟ったルナはピタリと静かになる。
一体誰だろうか? あまり僕の家に訪ねてくる人は多くないんだけど。
「ルナ、捕縛を解くから出てもらってもいい?」
シルフィーネさんは協会にいるはずだし、新聞も取ってないから集金でもないだろう。
来訪者に心当たりはない。宗教の勧誘とかだろうか。
何にせよ僕が出る必要のない相手だろうと判断し、ルナにお願いした。
「何でよ! あんたの家を訪ねて来たんだから、あんたの客でしょ!? あんたが出なさいよ!」
「面倒くさい」
「め、面倒くさいってあんた……!」
「エクレア2個食べてもいいから頼むよ。僕は茶葉を見ることで手一杯なんだ」
「むぅ……エクレア2個……。…………わかったわよ、出ればいいんでしょ出れば!」
初めこそ拒否したものの、やはり見た目通り精神年齢が幼いのか、彼女は餌に釣られて渋々承諾した。
僕は約束通り拘束を解いてやり、もう一つエクレアを用意する。そして再び紅茶の前に腰を下ろし、じっとサーバーを見つめる。
しかし、20秒もせずにその至福の刻は終わりを迎えた。
「ライトー、お兄さんよー。なんか話があるみたーい」
「……え? 兄……さん……?」
ルナに来訪者の正体を告げられ、心臓がドキンとはねた。
もう何年も前に、僕は家を出た。貴族としての生活に嫌気が差したことと、父との不和がその理由だ。
平民を人間とも見ない横暴な振る舞い、そしてドラゴニカ家の繁栄のため、子供を政略結婚の道具にする自分本位な行動。そんな父に小さい頃から怒りの感情を抱えていたが、ある時、ついに怒りが爆発した。
もう家には居られないと言い放ち貴族の身分を捨てた僕に対し、父も言うことを聞かないような息子などいらないと吐き捨て、結果、僕は家を出た。
書類を提出したりしたわけではないので一応籍だけは残っているのだろうが、もう家に入れてもらえないし戻る気もない。ほとんど縁を切ったようなものだ。
「ちょっとライト〜、早くしなさいよ」
「あ、うん。今行く」
そして家を出る時、父は兄弟とも二度と関わるなと言った。元々一番歳の近い姉さん以外の兄弟とは決して仲は良くなかったので、僕は喜んでその言葉に従ったのだけど……。
いや、まあ、姉さんとは会ってるんだけどね。でも他の兄弟とはずっと会っていない。
そんな兄弟の一人が僕の家を訪ねてくるなんて、珍しいとかっていう話じゃない。なんかこう……胸騒ぎがする。
一抹の不安を抱えながら、僕は重い腰を上げた。
「ったく、最初からあんたが出てればよかったのに」
ルナに苦笑いを返してゆっくり扉を開ける。
「……どうも、久しぶり。……アルベルト兄さん」
玄関の外に立っていたのは、サラサラした金髪を短く切りそろえ、メガネをかけている、いかにもインテリ系という顔立ちの青年だった。
「お久しぶりですライト。元気そうですね」
本当に心からそう思っているのか、兄は眉毛一つ動かさずにそう言った。
「えっと……どうしてここが? 僕の家を教えた記憶はないんだけど」
「そんなあからさまに顔をしかめないで下さい。兄なのだから、弟の居場所くらい知っていて当然でしょう」
何その理由。怖いんだけど。
「で? 何で僕の家なんかに来たの? ……僕との接触は禁じられているはずだけど」
「ですが、オリビアとは頻繁に会っているでしょう」
うげ、何でそのことまで知ってるんだよ。そりゃ姉さんと一緒に街を歩くこともあるけど、なるべく屋敷から離れた所に行くのに。
偶然見かけたのならともかく、まるで何回も見かけているかのような口ぶりだ。
「それにライトの方から兄弟に近づくのが禁じられているだけであって、自分たちから会いに行くのは禁じられていません」
何年も会ってないくせに、なぜそんなことを言うのか。今更そんなことを言われても困惑するだけなので、さっさと要件をすませて帰ってほしい。
あからさまに疎ましいという態度をとり、僕は絞り出すように言った。
「……もうわかったよ。それで、結局なんなの」
「ライトが困っているだろうと思い、これを渡しに来ました」
依然として固い表情を崩さないまま、兄は一枚の紙を指し出してきた。
彼の顔を一瞥してから恐る恐る手を伸ばし、紙を受け取る。
「……え? これって……」
そこには、いくつもの幾何学模様と古代文字で構成されている、魔法陣が描かれていた。
紅茶の入れ方について頑張った調べたのです……。
ライトの兄・アルベルトはメガネと覚えて下さい。