Side-O 秘書の過去
「すごい……地下にこんな街があったなんて……」
城下町の地下に広がっていた、人間が行き交う街。そのいたる所で人間と魔族が時折笑顔を交えながら交易する様子に、オリビアは全身で驚きを表現した。
「どうだ、凄いだろう」
「ええ、圧倒されて言葉が出てきません……」
「少し歩くか」
コクンと頷き、彼女は静かに後ろをついてくる。
この地下街は、魔族よりも圧倒的に人間の方が多い。魔界でありながら普通に人間が暮らしていることに、オリビアは驚きを隠せないようだ。
「交易のために魔界へやって来た方たちにはここに来てもらうとおっしゃっていましたが、ここに住み着いている方もいるのですか?」
「ああ。人間界での戦禍から逃れてきた者、貧困で暮らしが立ち行かなくなり家を捨てた者、親を亡くし孤児となってしまった者など、いろんな人が、様々な理由で魔界にやって来る。そうした人たちは移民認定を受け、この街で暮らすことが認められている。
だからここにいる人間のほとんどは、そうした元生活困窮者だな」
「では交易を目的にこの街へやって来る方はあまり多くないのですか?」
「多くもなく、少なくもない、といったところかな。ただ商人は取引を終えたらさっさと人間界へ帰る者がほとんどだから、『住み着いている人間』に限れば移民が多いということだ」
「なるほど……」
周囲を一望し、オリビアは神妙な面持ちで頷く。
人間界の最大国家の五大貴族として、亡命することになってしまった彼らに対し責任を感じているのだろうか。
「でも、オラクさんの懐ともいえる城下町の地下に、人間を招き入れて大丈夫なのですか?」
「どういう意味だ?」
「交易という名目で忍び込み、情報を集めている間者がいるかもしれません」
「確かに……ありえない話ではないな。東の魔王領と交易したいという商会はこちらの方で色々調べさせてもらい、害はないと判断したところのみ受け入れるが、もちろん抜け道はあるだろう。
ただ間者を懐に入れるのは、デメリットしかないというわけでもないんだ。人間は皆魔界へ来たらすぐにこの街へ来てもらうから、閉じられた世界の情報しか得られない。つまり、こちらが流したいと思う情報だけあえて間者に掴ませることが可能なんだ」
「そっか、そういう考え方もあるんですね! そこまでは考えが回りませんでした」
彼女はホッと息をつく。
というかオリビアは人間なのだから、俺達魔族のことを心配する必要もないだろうに。たかだかちょこっと助けられただけで、俺に恩でも感じているのか。
小さい頃から魔界に憧れていたというだけあって、変わり者なのかもしれないなどと思っていると、念話装置である水晶玉が振動した。
『何だ』
魔力回線に思念を送り込むと、ハルバードの声が聞こえてきた。
『サタン様っ! 今どこにおられるのですか!? 護衛からサタン様の姿を見失ったとの報告が入ったのですが!?』
『地下街』
『ちか……っ!? そ、そんな人間がたくさんいる所に……!』
『っても地上よりは安全だろう。勇者がいるわけでもないし、他の魔王領の刺客にも見つからない』
『ですが万が一勇者が移民を装って街に侵入していたら……』
『仮に紛れ込んでいたとしても、勇者ごときには負けないって』
『ぬ、しかし……』
絞り出すような声を――じゃなくて思念を漏らしたハルバードに、またこれか……という気持ちになる。心配になる気持ちはわかるが、もう少し俺を信用してほしい。
『それに地下にルナがいる可能性だってあるじゃないか』
『それはその通りですが……』
『すぐに地上に戻るからさ。頼むよ』
『…………わかりました。護衛は南通りの第一広場に待機させておきますので、地上に戻りましたら、すぐに広場へ向かって下さい』
『ああ』
『では失礼します』
ブツッという音と共に念話が途切れる。
小さく息を吐きながら水晶玉を懐にしまうと、オリビアが俺の顔を覗きこんできた。
「ハルバードさんからですか?」
「そうだ」
「彼は心配性なんですね」
まさか念話を傍受していたわけではなかろうが、俺の表情から会話の内容を察したのだろう。一息の間を置いて、彼女はそう言った。
「昔はそうでもなかったらしいがな。俺が生まれるよりも、更に昔。忠義を誓った者を守れなかった、と言っていた」
それは何世代も前の魔王の御代のこと。彼は初めて命を捧げてもいいと思える君主と出会い、忠誠を誓った。やがてその実力と忠誠心が認められ、彼は四天王の一人に任命された。
――しかし当時北の魔王領との抗争で劣勢に立たされていた東の魔王軍は、北の魔王軍の侵略を受け、時の魔王城、そして魔王を失った――。
魔王の盾として己の身を捧げる覚悟だった彼は、魔王が亡くなったのにも関わらず自分が生き延びたことに情けなさと怒りを感じたという。その後彼は四天王の座を退き、魔王を支える秘書的な立場に収まった。
「それがきっかけで、あいつは魔王の外出には否定的な態度を取るようになったそうだ。いくら魔王といえども、万が一のことがある。領民の精神的支柱である魔王の身を思うからこそ、魔王が自由に動き回ることに対して懸念を抱くんだろうな」
「そういうことだったんですね。初めてハルバードさんとお会いしたときは、穏やかな顔立ちのわりに怖い人なのかと思いましたけど、根はオラクさんのように優しいのですね」
白い息を吐きながら、オリビアは柔らかい笑みを浮かべる。
「俺の何倍も優しいさ。……まあ、人間に対しての当たりはキツいけど」
「オリビアとの初対面の時がそうだったようにな」と言いながら、俺も微笑みを浮かべる。
敵対する者でない限り同族には決して矛を向けないが、人間が相手だと少々勝手が異なる。そこが彼の数少ない短所の一つだろう。
何度か指摘したこともあるが、なかなか意識は変えられるものではない。
そんな話をしながら移民が暮らす住宅街を案内したり、商店が建ち並ぶ通りを案内したりしてから、俺達は長い階段を上り、再び地上の南通りへと戻ってきた。
「移民というからもっと暗い方々なのかと思いましたけど、全然そんなことはありませんでしたね」
ハルバードに指示された第一広場へ向かう道中、軽く伸びをしながらオリビアが口を開いた。
「なんていうか、ようやく未来に希望が持てるようになったかのような、そんな表情をしていました」
「希望……か」
「はい。それにオラクさんを見る彼らの目には、感謝の色も浮かんでいたような気がします」
人の感情を読み取ることに自信を持っているのか、彼女は確信めいた表情で言った。
「いやぁ、さすがにそれはないだろう。周りには魔族がいて、しかも地下から出ることもできない。そんな窮屈な生活を強いられているんだ。感謝されるとは思えない」
「そうですか?」
「まあ俺にも本当のことはわからないけど」
オリビアの言う通り、彼らの心には感謝の気持ちが芽生えているのかもしれないし、未来に希望を持てるようになったのかもしれない。
一つ言えることがあるとすれば、種族や身分を問わずに誰もが仲良く暮らせる世の中になれば、彼らももっと羽を伸ばし、より自由を謳歌することができるようになるだろうということだ。
もしそんな世の中が実現したら素晴らしいとは思う。しかし現実的に考えれば、なかなか簡単にはいかないだろう。
魔族は人間を見下しているし、人間は魔族に対して深い恨みを抱いている者が少なくない。何か大きなきっかけがない限り、両者の溝は埋まらないだろう。
そういえば魔族に一人、人間と魔族が共存できる世の中を作ろうと身を砕いているやつがいたな。
「もっと人間と魔族の交流が増えて、地上でも暮らせるようになればいいんだけどな」
そいつの顔を思い浮かべ、俺は心からそう願った。
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