Side-O 全身マッサージ(意味深)
翌朝、オリビアから「外で身体を動かしたい」との連絡を受けた俺は彼女の部屋の前まで来ていた。
「オリビア、入るぞ」
軽くドアをノックし、「どうぞ」と聞こえたので中に入る。後ろ手でドアを閉めてから奥へ進むと、オリビアが姿見の前で髪を整えていた。
「すみません、こんな朝早くに呼び出してしまって」
黄金色の長い髪を後ろで束ねると、オリビアは深々と頭を下げてきた。
しかし特に迷惑を被ったわけではないので「気にしなくていい」と返す。
「それより身だしなみを整えるなら誰か手伝いを呼んでもいいが?」
「いえ、いつも家では自分でやっているので大丈夫です。もちろんドレスを着たりする時は手伝ってもらいますけど、なるべくメイドさん達には頼らないようにしていますので」
ほう、それは意外だな。貴族のご令嬢ならば食事から着替え、湯浴みに至るまで侍従――彼女の言葉を借りるならメイド――に世話をしてもらうのが普通なので、当然オリビアも世話をしてもらうのかと思っていた。
「そういうことなら後でマリアに伝えておく」
「お願いします」
「じゃあ外に出るか。たしか身体を動かしたいんだったよな? ってことは魔法の修練か何かか?」
「はい」
「とすると、南門前広場がちょうどいいな。城の外に出ることにはなるが、門前だからハルバードにも文句は言われないだろう」
それにまだ朝の6時前だ。ハルバードが起床するのは大体6時半前後。すぐに戻ってくればバレないだろう。
一つ問題があるとすればマリアが既に起きている可能性があることだ。あいつ曰く「この歳になるとどうしても太陽と共に目が覚めちゃってねぇ」だそうだ。
まあマリアはハルバード程口うるさくないし、万が一見つかったとしても心配ないか。
そんなことを考えながら幻術を使い、彼女の頭部に角を生やす。
オリビアの周りを一周し、不備がないことを確認してから彼女を外に連れ出す。
ちなみに彼女の服装は魔法使いがよく着ているローブ姿だ。いくら天然疑惑のある彼女といえども、寝間着姿で体を動かしはしないようだ。
まあ、流石にそれはないか。
白をベースにした黄緑色のラインや装飾の入っているシルクのローブは、よく彼女に馴染んでいる。おそらくマリアが用意したのだろう。さすが長年魔王城に仕えているだけあって、その人に似合う服装を見抜く力に優れている。
オリビアの服装を眺めながらぼんやりと物思いにふけっていると、目的の場所に到着した。
「着いたぞ」
城門を顔パスでくぐり抜けて外に出る。
見れば、まだ早朝だというのにも関わらずたくさんの魔族が汗を流していた。そんな奇っ怪な光景に、彼女は目を丸くする。
「すごい……! あちこちで魔法がぶつかり合っています! 皆さん熱心なんですね!」
「熱心というか、戦闘狂というか。南側は土地が広いから、こうやって鍛錬するのに向いていて、朝早くから汗を流してる奴がたくさんいるんだ」
「へぇ……」
「あと南通りには派手な奴が多くてね。活気がある城下町の中でも、とりわけ明るいエリアなんだ」
「そうなんですか! あの、後で通りを回ってもいいですか?」
「もちろんいいとも。朝食の後にでも行こうか」
「はい!」
そんなこんなでオリビアと談笑していると、俺に気づいた幾人かの魔族が近づいてきて敬礼をした。
「おはようございます魔王様!」
「ああ、おはよう。早朝からお疲れ様。俺には構わず続けていいぞ」
「はっ!」
堅苦しいのは好きではないので元に戻るよう伝える。ところが彼らは快活な返事をしたものの、俺が何をするのか興味があるのか、その場から動こうとしなかった。
「……聞いてる?」
「はっ!」
まだ動かない。
「俺のことは無視していいんだぞ?」
「はっ!」
これでも動かない。
「……本当に各自の鍛錬に戻ってくれていいんだぞ」
「はっ!」
だが動かない。
「……」
「……」
「……もういい。オリビア、始めよう」
とは言っても、具体的に何をするのか俺は知らないのだが。
配下の者たちが動こうとしないので、俺が諦めてそう言うと、彼女は身体を縮こまらせて俺の背後に隠れてしまった。
もっとも俺とオリビアとの身長差はほとんどないのであまり効果はないのだが。
「こ、こんな大勢の殿方に囲まれていたら恥ずかしいです……」
「貴族なんだから大勢の前に出ることもあるだろ?」
「それはそうなのですが……。流石に体を動かす時にたくさんの方に囲まれることはありませんよ」
ふむ、たしかにな。
社交の場とは違い、体を動かす時に近くにたくさんの人がいるっていうのは珍しい。彼女の言う通り、体を動かしているところを見られるのは少々抵抗があろう。
俺が考え事をしている間にも、続々とギャラリーが集まってくる。その人数に比例してオリビアが俺の背中を握る力が強くなっていく。
これは困った。あまり好きではないのだが、魔王の権限を使うとするか。
「えーっと、俺はこれから魔法の練習をしたいから、お前らは少し離れていてくれ。そんでもってあまりこちらを見ないこと。これは命令だ」
“魔法の練習”と聞いてギャラリーは歓声をあげたが、魔王の命令は絶対。彼らは渋々散っていった。
まだチラチラとこちらを見ている者もいるが、そればっかりはどうしようもないので、オリビアには我慢してもらうしかない。
「これでだいぶマシになっただろう」
「そうですか? まだ少し視線を感じるのですが……」
「気にしたら負けだ。あいつらのことはカボチャとでも思えばいい」
「えぇ〜、それは無理がありませんか」
と言いつつも、彼女は地べたに腰を下ろし、ストレッチを始めた。
背中を押したり体をひねるのを手伝ったり、一人でやるには十分に伸ばせないものだけ俺が手を貸す。
じっくりと時間をかけて、ようやく全身のストレッチが終了した。ついでに俺も申し訳程度に筋肉をほぐしておいた。
「かなり念入りにやるんだな」
「はい。身体が凝り固まっていては、魔力の流れも悪くなってしまいますから」
「ほー、そういうもんなのか。言われてみれば書類が溜まってる時なんか、魔力の出が悪いかもな」
「よかったらストレッチのメニューを教えましょうか? 疲れが溜まっているようでしたら、最近覚えた全身マッサージを施してもいいですよ」
「そうだなぁ、じゃあ今夜の風呂上がりにでもお願いしようかね」
それを聞いていたギャラリーは「ぜ、全身マッサージ!?」「風呂上がりの密会!?」「これはスクープなんじゃないか!?」などとあらぬ方向に勘違いをしてどよめいた。
というか、こいつら一度は命令に従ったものの、結局集まってきやがった。ストレッチに夢中になっていたオリビアはもう彼らの存在など眼中にないようなので、よかったといえばよかったが、俺は全然よくない。マリアに報告でもされたら、どんな面倒なことになるのやら。勘違いを正すのに途方もない時間がかかるのは間違いない。
「それで、次は何をするんだ?」
これ以上変な勘違いをされないよう、さっさと次のステップへ進むよう促す。この場所でマッサージの話を続けるのは危険だ。詳しいことは夜聞けばいい。
「次はですね……せっかく2人なので、2人でないとできないメニューにしましょう」
「というと?」
「わたしはここに座っているので、オラクさんには精神操作系統の幻術をかけていただきます」
「いやいやいや、それはまずいだろ」
「どうしてですか?」
想像の斜め上をいくメニューに俺が慌てて異を唱えると、オリビアはこてっと首をかしげた。
「どうしてって……。自分で言うのもなんだが、俺の精神操作系の幻術はかなりエグいぞ?」
「えぐいくらいでちょうどいいんです! 魔法を扱う力を上達させるには、精神を鍛える必要がありますから。鋼の心を手に入れるには、厳しい修練を積まないといけませんからね」
「理屈はわかるけど……」
……でも、なあ? 幻術のせいで悲鳴を上げたりしてると、またギャラリーに誤解されそうなんだよな……。
「お願いします! これは弟に頼んでも拒否されてしまうので、オラクさんにしか頼めないことなんです!」
いや、弟が拒否するって、それダメなやつじゃないか? 本当に正しい訓練法なのだろうか。
「う~ん」
「お願いします!」
「ん〜……」
結局、俺が折れることにした。断り続けるのも悪い気がしたし、せっかく魔界に来たのだから普段経験していないことを経験させてやろうと思ったのだ。
だが、やはりはっきりと断っておくべきだったのかもしれない。
幻術に耐えきれなくなって悲鳴を上げることこそしなかった――これには俺も驚いた――ものの、苦痛に顔を歪めて汗を垂れ流し、時々熱い吐息と共に一言声を漏らしたりする姿は、結構ギャラリーの欲をそそったらしい。何人か前かがみになっている奴がいた。
それと「魔王様ってドSなんじゃね?」とか「魔王様の精神操作系の幻術ってどんな内容なんだろうな?」など、俺が聞こえてないと思って好き勝手言っていた連中がいたが、正直言って答えようがない。
俺のそっち系の幻術は、相手の記憶と思念を読み取って、相手が一番不快に思うような内容を見せる。だがそれらは全て自動で行われることなので、俺にもその内容はわからないのだ。
だから、断じて俺にいやらしい趣味はない。SかMか、と問われればどちらでもないと答えるし、人間に、もっと言うなら魔族にも欲情しない。
何度でも言うが、俺に変な趣味は、ない。
結果的に俺が部屋に戻る時間になるまで、10分以上謎の鍛錬が続いた。わずか10分、されど10分。その場にいたギャラリーが、俺には変な趣味があると誤解するには十分すぎる時間だった。
◇ ◇ ◇
「あー疲れた」
オリビアを部屋まで送り届けてから、自室に入るなり俺はベッドに飛び込んだ。コートを脱ぐのも面倒になるくらい、主に精神的に疲れた。
いやでも変な汗かいたからやっぱりコートは脱ぐか。
でもだるいしなぁ……と枕に顔を埋めていると、扉をノックする音が聞こえた。そして俺が返事をする間もなく、部屋の中にマリアが入ってきた。
「やっぱり今日も起きていたのかい。坊っちゃんは早起きだねぇ」
「んー、まあなー」
毎朝同じことを言われているので、返事らしい返事もせずそのまま動かない。
「さて、起きてるなら食事の用意ができているから朝ごはんを食べちゃいな」
「ああ。歯を磨いてから食堂に行くよ。ついでにルナのことも起こしていくか」
ゆっくり上体を起こし、マリアにコートを預ける。そしてベッド脇の姿見が設置してある小さな棚から歯磨き道具一式を取り出し、立ち上がった。
するとその時、懐に入れていた水晶玉が震え出した。
「えっとこっちは……ハルバードからの連絡か」
懐の水晶玉を全て取り出すと、3つ入れていたもののうち、ハルバードと繋がる水晶玉から魔力が溢れていた。
耳に当てると、ハルバードの激しい焦燥がこもった思念が伝わってきた。
『サタン様! 聞こえておりますでしょうか!?』
『ああ、聞こえてる。どうしたそんなに焦って』
『それが……大変なのです! 先程侍従の者がルナ様を起こすため部屋を確認したところ、部屋がもぬけの殻だったそうなのです。昨日の夜からルナ様の姿が目撃されていないことから、何かしらの事件に巻き込まれたのやもしれませぬ』
『…………ああ、そう』