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【白】の魔王と【黒】の竜  作者: 川村圭田
最終章 【白】の魔王と【黒】の竜
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死して尚、彼を思う

──きっともう大丈夫──


 俺が魔王になる前から【幻影卿】という名は知っていた。かつて北の魔王軍と戦い、東の魔王領を救った英雄。

 ハルバードがその【幻影卿】だということに気づいたのはいつだっただろうか。

 詳しく話を聞こうとしたこともあったが、彼はあまり過去の話をしたがらなかった。主君を失った戦いで得た名声など恥でしかないと。


 その代わりに彼は未来の話をするのが好きだった。俺の未来、ルナの未来。彼が思い描いていたのはいつも俺達兄妹の将来像だ。


 他の何よりも俺達のために尽くしてきたハルバードの功績は計り知れない。その功労に報いなければと思い数々の恩返しをしてきたつもりだが、とても一朝一夕で返せるものではなかった。


 まだ、返さなければいけない。それなのに。


 影の中でもがいていると少しずつ光が戻ってきた。

 光を掴めばこの影の海から脱出できる。だがそれが何を意味するのか理解できない俺ではなかった。

 それでも俺はすがるように手を伸ばした。


 世界が光を取り戻す。



「けほっ! けほっ!」


 オリビアやルナの咳き込む音が聞こえる。さっきの影で全員城内へ飛ばされたかとも思ったが、城内に送られたのはフェルとルシェルだけのようだ。

 しかしそんなこと今はどうでもいい。



「ハルバード!!」


 俺は声を荒げ、黒焦げになりながらも仁王立ちするハルバードの元に駆け寄る。

 ハルバードの肩に触れようとした瞬間、彼の肢体がバラバラと崩れた。



「そ……んな……」


 灰となった彼の体から魔力の残滓が散る。

 そこにはもはや魂の輝きも残されてはいなかった。



「<消えゆく命が最後に放つ輝き、それは時に奇跡を起こす。しかしその奇跡の力を以てしても我を滅ぼすことは能わず>」


 【覇黒竜】が顎門(あぎと)を鳴らしこちらを見据える。



「<故に彼の者の死には一片の価値も無し。犬死にである>」


 言いたい放題の覇黒竜に対し俺は何も言い返さない。いや、言い返す余裕がないと言った方が正しいか。


 膝をついた俺は呆然とハルバードの遺灰をすくい上げる。



「ぶっ殺す!!!!」


 俺がその場で固まっている間にも激昂したルナが覇黒竜に飛びかかる。


 やめてくれ。


 鈍い音がしたかと思えばルナはいとも容易く明後日の方角へ飛ばされる。


 俺の正面に立ったオリビアが燃え盛る炎の魔法を放つ。



「……やめてくれ」


 それも咆哮によってあっけなく掻き消され、オリビアは音圧で吹き飛ばされる。


 天変地異を前にして何もできないのと同じように、まるで歯が立たない。

 これが“災害”に立ち向かうということか。



「頼むからもうやめてくれ……」


「<命乞いか。魔王とはいえ矮小な一生物に過ぎぬ。惨めに命乞いをする姿こそ生物の本質。それがあるべき姿だ>」


「……傷つくのは俺だけでいい。だからもう……逃げてくれ」


 震える声で訴えるも、俺の祈りはルナとオリビアの耳には届かない。

 ゆっくりと立ち上がった二人は覇黒龍に一矢報いようとし、再び吹き飛ばされた。


 駄目だ。俺が戦わなくては。

 二人にはこれ以上傷ついてほしくない。これ以上戦ってほしくない。でないとまた俺の手からこぼれ落ちる。

 誰も失いたくない。なのにどうして俺の体は動かない。どうして俺の視界はぼやけている。


 俺は力無く灰を握り締める。と、その時、前方から圧倒的な滅びの魔力を感じた。

 顔を上げるのと同時に黒い炎が放たれる。今までで一番大きく濃密な炎だ。

 これを防ぐことができなければ魔王城もろとも全て消え去るだろう。



「お兄ちゃんっ!!」


「オラクさん!!」


 ルナとオリビアの叫ぶ声が聞こえる。


 ああ、これは間に合わないな。何一つ守れずに散るのか──。



「皆、すまない」


 漆黒の炎が俺を呑み込む。


 ──それでいいの?──


 と、その時、どこからか声が聞こえた。

 聞き覚えのある鈴を鳴らしたような声。

 俺がその声に答えようとすると世界が白に染まった。



「っ!?」


 覇黒竜の姿も、奴が吐いた炎も、魔王城も。何もかもが消えていた。純白の何もない空間にただ一つ、俺の身体だけが存在した。



「ここは……」


 周りを見渡せども人の影一つ見当たらない。しかし不思議と俺の心は落ち着いていた。



「急にこんなところに引き込んでごめんね。こうでもしないと手遅れになりそうだったから」


 突然誰もいなかったはずの背後から声が聞こえた。

 さっき俺を呼んだ声だ。


 おもむろに振り向き、俺は言葉を失くした。



「…………ミーナ……?」


 見間違えるはずもない。静謐な雰囲気を纏ってそこに立っていたのは俺の亡き友・ミーナだった。



「久しぶり。やっと会えたね」


「何で……どうしてミーナが……? 何度会おうとしてもうまくいかなかったのに」


「うん。わたしの魂は完全にオリビアの魂と一体化していたから。一度溶け合った魂を引き離すことは至難の業」


「なら今この状況はどうやって?」


「えっとね、元々【覇黒竜】の魂が放つ威圧感によって魔界の魂は不安定になっていたの。それに加えてハルバードさんの魂が散ったことで、特にこの辺りは魂と魂の境界線が曖昧になった。それでわたしの魂の呼び声にオラクの魂が共鳴して、こうして精神世界で会えたってわけ」


 話し方こそ落ち着いており、オリビアの魂の一部として過ごしてきた時の流れを感じさせるが、見た目は幼い時そのままの姿だ。三編みにした亜麻色の髪に、焦げ茶のつぶらな瞳。

 どれだけこの少女に会うことを焦がれてきたことか。


 もはやどうして会えたかなんてどうでもいい。ただただ会えたという事実が喜ばしい。


 あらゆる感情を吐き出し、俺は脇目も振らずミーナに抱きついた。



「ミーナ……!」


「わっ」


 よろけながらもミーナは俺を優しく受け止める。



「もう、オラクは甘えん坊さんだなあ」


 「よしよし」とミーナの小さな手が俺の背をさする。



「会いたかった。ずっと、あの時から」


「うん、知ってる」


「もう会えないのかと思っていた」


「うん」


「でも会えた。ようやく会うことができた」


「うん」 


 ミーナの透き通った声が鼓膜を撫でる。

 その声はボロボロになった俺の心に染み渡っていった。



「……ミーナに会えたら、まず謝りたいと思っていたんだ」


 どれくらい抱き合っていたか、少し落ち着いた俺はミーナから離れ、彼女にそう言った。



「謝る?」


「ああ。あの時、ミーナを守れなくてごめん」


 ずっと後悔していた。

 俺達がまだ幼かったあの時。魔界に侵入してきたライトの父がミーナを攫っていき、それを阻止できなかったこと。

 手を伸ばしていれば、俺にもっと力があれば、そうやって何度も悔やんできた。


 せめてミーナに謝罪を。そう思って死霊術に没頭するようになったのだ。

 結局死霊術ではミーナに会うことができなかったが、こうしてようやく思いを伝える機会が訪れた。



「俺は無力だ。あの時だけじゃない。これまで何度も大切なものを守ることができなかった。必死に己を鍛え、助けようともがいても俺の手からすり抜ける」


 部下の命、友の尊厳、大切な者の願い。失ったものを数えればキリがない。



「そして今日、ハルバードまでも失った。……俺は肉親同然の彼すら守れない……! いつも守られてばかりで、俺は何も恩を返せていない!!」


 深々と垂れた俺の頭にミーナの手が乗せられた。



「オラクは優しいね」


 ぎゅっとミーナの両腕が俺の頭を包んだ。



「死後もこうやって大切に思ってくれている。それだけでわたしは……ううん、わたし達は嬉しいよ」


「思うだけなら誰にだってできる……!」


「うん、そうかもしれない。でもやっぱり嬉しいよ。それにね、みんなオラクには謝って欲しいなんて思ってないよ」


「……何でだ……? 俺は守れなかったんだぞ? 覚悟次第では……力があれば……守れたかもしれないのに!」


「うん、分かってる。オラクが大切な人を守りたいっていう気持ちも知ってる。守れなくて悲しむことも」


 「でも」と彼女は続ける。



「それは周りの人も同じなんだよ。ハルバードさんも、オラクの部下も、わたしも。みんなオラクを守りたいって思ってる。たとえ自分の命を落とそうとも、オラクさえ守れたらそれでいいの。だからわたし達は微塵も後悔してないし、オラクのことをちっとも恨んでない」


 俺を全肯定するミーナの言葉に、俺の双眸からはとめどなく涙があふれる。



「立場が……逆だろう……。俺が守らなきゃいけないんだ……。魔王の称号は守られるためにあるんじゃない、守るためにあるんだ」


「関係ないよ。称号なんてただの飾りに過ぎない。魔王どうこう以前にあなたは誰?」


「……俺は…………」


「あなたはオラク・ジエチル・マンムート・サタン。肩書きなんてどうでもいい。みんなはただ、オラク・ジエチル・マンムート・サタンという青年を愛し、守りたいと願った。世の中はオラクが思っているほど複雑じゃない。誰かを愛して、愛される。それだけの世界なの。この世界には愛が溢れてるんだから」


 顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは一点の曇りもないミーナの笑顔だった。



「ねえ、オラクはこの世界が好き?」


「……分からない」


「じゃあ、守りたい大切な人はいる?」


 そんなの当たり前だ。これまでだって数え切れないほどいたし、今だって守りたい相手はいる。

 だが俺には全てを守ることなんて……。


 言葉が顔に出ていたか、ミーナは俺の返事を待たずして続けた。



「大切な人がいるなら諦めちゃダメだよ。確かに失ったものは大きいかもしれない。でもそれで絶望していたら、今あるものを守れなくなっちゃうよ」


 ミーナの言葉を聞いて全身に衝撃が走った。


 頭では理解していたつもりだ。今あるものを守るために全力だって尽くしてきた。

 しかし失ったものの大きさに、ついそちらにばかり気を取られていた。失ったものばかり見ていては、次々と失っていくのは当然のことだ。これではいつまで経っても同じことを繰り返すだけだ。



「何度失っても、何度挫けても。オラクの守るものが最後の一雫になるまで抗い続けて。じゃないと死んでから後悔することになる」


 ミーナの力強い視線が俺を射抜く。



「行って。悔いのない死を迎えるために」


 彼女の言葉と同時に世界がぼやけていく。もう魂が共鳴していられるのも限界ということだろう。


 別れを惜しむように、俺はミーナを力強く抱きしめた。



「ありがとう」


 腕の中で小さな笑い声と、かすかに鼻を啜る音が聞こえた。


 数秒もせずに世界が崩壊し、やがて俺の視界には元の景色が飛び込んできた。


 遠くで叫んでいるルナの焦った顔と、必死に手を伸ばすオリビアの姿が見える。数歩先には圧倒的な滅びの力を持った黒い炎が迫っている。

 やけにゆっくりとしていた時の流れは、俺が手を上げるのと同時に勢いを取り戻した。



「──“黒白の波動”」



 * * *



「よかった。最後にオラクと話せて。本当はもっと伝えたいこともあったけど、死者の未練に縛りつけるわけにもいかないし。だからこの想いはあなたに託すね。……後はよろしく、オリビア」


 

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