大切な君のために
その名は真の魔王にのみ名乗ることが許される。
己の他にそれを知る者はもはやいない。
あなたと出会った時、傲慢な若造だと思った。
その名が意味することも知らずにその名を名乗っていたから。
しかし、思い知らされた。
民を思い、民のために泣き、民のために心を痛めるあなたは正真正銘の魔王なのだと。
だから私は心から敬意を込めて、あなたをこう呼ぶ──。
──サタン様と。
全ての元凶が俺にあるかもしれない。その考えに思い至り、俺は【覇黒竜】の背から動くことができなくなった。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。少し考えれば分かったはずだ。今までもルシェルはずっと同じことを言っていたじゃないか。
ルシェルの行動原理は俺なのだから。その責任は俺にあるだろう。
こんなことをライトに言えば『自惚れるな』と言われるだろう。ルナに言えば『気にしなくていい』と言われるかもしれない。オリビアに言えば『そんなことはない』と言ってくれるかもしれない。
だが、俺はとてもそのようには思わない。思うことができない。
「<話は済んだか>」
【覇黒竜】が全身から噴き出した炎によって俺の身体が吹き飛ばされる。
「けひひっ……存外気が利くねーぇ」
時の流れが遅くなったかのように俺はゆっくりと地面へ吸い寄せられていく。
俺はどうすればいい。この責任はどう取ればいい。
落ちていく最中、ルシェルと目が合った。
「ようやく終わる。あたしは竜の一部となって、ようやく全てを滅ぼせる……」
先程までの狂気はどこへやら、彼女は泣きそうな儚い笑みを浮かべていた。
なぜそんな顔をする。そんな顔をされたら……。
「ルシェル!!」
受け身を取ることも忘れ、俺は無意識のうちに手を伸ばしていた。
「危ないですよ」
ふと、柔らかい声が鼓膜を撫でた。
地面へ達することなく俺の身体が受け止められる。
「……そ、の……声は…………」
汚れを浄化されるような心地いい音色。温かいこの声を、待っていたような気がする。
「遅くなってすみません。オラクさんの手助けに参りました」
振り向けば、普段にも増して凛々しい顔つきのオリビアがいた。
「勝手に死のうとしてんじゃないわよ気味悪女!」
怒鳴り声とともに登場したのはルナだ。
ルシェルの身体を竜の尾から引き剥がし、大きく距離を取る。
「あんたのことはアタシが殴るって決めてたんだから! アタシが殴りもしないうちに死なないでよね!」
「けひひひっ……まさかオラクの妹に助けられる日が来るとはねぇ……」
「勘違いしないで! あんたのことは助けたわけじゃないんだから。全部終わったら責任とってもらうわよ」
そっぽを向いたルナはルシェルを抱えたままこちらに駆け寄って来る。
「ここへ来る前にハルバードさんと会いました。深い傷を負っていたので手当し、城内へ連れて行きました」
「そうか……。無事だったか」
「それで、意識も朦朧としているであろう中ハルバードさんから聞いたのですが、フェルが【西の魔王】に……」
「ああ。隷属の呪いがかけられていた。散々な目に遭わされ、そこに」
俺が指差した方を見てオリビアは絶句した。
「おそらくもう手遅れだろう。城内に連れて行ってゆっくり眠らせてやってくれ」
「そんな……」
近くまでやってきたルナもフェルの姿を見つけるなり固まってしまった。
今までにないくらい険しい形相に変わったルナは唇を噛みしめる。
「許さない、許さない、許さない……。絶対に償わせてやる……」
呟きながらルシェルを下ろし、フェルを迎えに行く。
「<汝ら……我の力の源を奪取するなど……>」
ルシェルに拘束を施し、転移魔法陣を描きながらオリビアが竜を見上げる。
フェルを回収したルナも怪訝そうに奴を見つめる。
「あれは?」
「ルシェルが復活させた破壊の権化、【覇黒竜】だ」
「【覇黒竜】……ですか」
「名前なんて何でもいいわよ。それよりライトはどこ?」
ルナの問いに、俺は指を指して答えた。
「あれだ」
「……え?」
「【覇黒竜】はライトの中に眠っていた。その証拠にさっきライトの内側から奴が現れた。おそらく身体の主導権を奪ったんだろう」
「じゃあ何!? あれがライトだっていうの!?」
「厳密に言えば違うのかもしれないが、奴の中にライトの魂が存在することは確かだ」
一つの身体に二つの魂。今まではその主導権をライトが握っていたものが、今は【覇黒竜】に移った。それだけの話だ。
「奴を倒して内側からライトの魂を引きずり出す。あるいはただ倒せばいいだけかもしれないが」
「あいつをボコボコにしたからってライトもボコボコにはならない?」
「ああ、絶対とは言い切れないがまず問題ない」
「だったら簡単な話ね。あいつを倒して全て終わり!」
フェルの頭を撫でてそっと下ろしたルナは拳を構えて竜と向かい合う。
「<汝ら……先程から我を『あれ』だの『あいつ』だのと……。不遜である>」
「はあ? 何言ってるか全然分からないんですけど!」
そう言って飛びかかろうとしたルナの手首を掴む。
「お兄ちゃん?」
「待ってくれルナ。あいつは俺が相手する。ルナとオリビアは城へ戻ってくれ」
「何でよ! 戦力は多いに越したことはないでしょ?」
「それはそうだが、奴を目覚めさせたのもルシェルの非道な行いも、全て俺の責任だ。俺の尻拭いをお前達にさせるわけにはいかない」
そうだ。一連の出来事は全て俺の責任だ。そのために俺以外の者が危険を冒す必要などない。
俺が全て始末する。これが正しい選択のはずだ……。
「<大層な決断であるが、奢った考えである。魔王ごときがたった一人で我に抗えるはずも無し>」
一歩近付いた竜は竜胆色の両目を光らせた。
「<止まれ>」
「っ……!?」
まるで石になってしまったかのように身体が言うことを聞かなくなった。
この能力は──
「──“覇者の威厳”か!」
ライトが時折使っていた能力だ。
ライトは『竜伐者の特殊能力だ』と言っていたが、【覇黒竜】の力を引き出して使っていたのだろう。当然【覇黒竜】も使えるか。
分かったはいいが対処のしようがない。
どうやらオリビアとルナも固まってしまったようだ。
この状況はまずい。
「<汝らの思いも、決断も、全て等しく我の前に滅び去る>」
奴は大きく口を開け、魔力を集わせる。
口腔内に描かれる魔法陣、大気が震えるほどの魔力、そしてその色。
これはライトが使っていた最大最強の魔法──。
「<滅べ>」
──“黒竜災禍終焉火”。
迫り来る圧倒的な滅びの力。脳裏に浮かぶのは「死」の文字。
まさに災害と呼ぶにふさわしい力だ。
こんなにもあっけなく終わってしまうのだろうか。
ルシェルの今までの行いに責任を感じ、その償いをすると息巻くも為す術もなく散る。……なんて情けない。
俺に全てを託したルシウスの想いも、『ルシェルを止めてほしい』と願ったメノリとの約束も。何一つ、守ることができなかった──。
「奪わせはしませぬ」
突然、重低音の声が響いた。
俺の数歩先にまばゆい光が生じる。
「この命に代えても、主の大切なものは奪わせない」
「お前……!」
名前を呼ぶ間も無く俺の視界が影で覆われた。同時に足元の抵抗がなくなり俺の身体が地中に沈む。
「今際の言葉を残さず逝く無礼をお許しくださいサタン様。そして感謝申し上げます。貴方様にいただいたこの魔法具によって貴方様をお救い申し上げることができました」
そう言った彼の首元に輝いていたのは、俺が作った魔法具のペンダントだ。効果は『愛する者が窮地に陥った時、その場に転移する』。
魔法具の製作を頼まれた時は俺の知らない大切な者がいるのかと思った。しかしそうではなかった。
『愛する者』とは俺のことだったのだ。
「ハルバード!!!」
叫んだ時には俺の身体は完全に影に飲み込まれていた。




