Side-L 災厄
人間と心を通わせるのは初めてのことだった。
最初は戸惑い、どう接したらいいのか分からなかった。
あなたはそんな私を暖かく迎え入れてくれた。
それが偽りのものでも、それが与えられた役目だとしても。あなたと過ごした日々、私は本当に幸せだった。
正体を明かせないまま旅立つことをどうか許してほしい。
お別れも伝えられずに旅立つことをどうか許してほしい。
言葉は通じなくても、この思いは届くと信じている。
これまでも、そしてこれからも。あなたの幸せを願っている──。
砕け散った隕石が雨のように降ってくる。
千には及ぼうかという破片は全て魔力の矢によって貫かれ、砂つぶほどの大きさになって地表に達した。
「なんとか防ぎきったね」
僕がホッとため息をこぼせばオラクも安心したように微笑んだ。
「ああ。だがこれで終わりじゃない。急いでルシェルのところへ向かおう」
「そうだね」
頷きあった僕達はその場を発とうとする。と、僕達が足を踏み出すよりも早く声が聞こえてきた。
「その必要はないさあ」
「っ、【西の魔王】!?」
振り向けば今日一番の笑みを浮かべる【西の魔王】ルシェルが佇んでいた。
見れば先ほど犠牲にした右腕が再生している。
この短時間で再生させるなんて──いや、というよりもうハルバードを倒してきた!? いくらなんでも早すぎる。
「お前……ハルバードはどうした……!?」
オラクの顔にも動揺が滲み出る。
「けひひっ、訊くまでもないことでしょーう?」
「お前っ!!!」
激昂したオラクがルシェルに飛びかかった。
彼は勢いよく拳を振るうがその動きはあまりにも直線的すぎる。いとも簡単に躱され、反撃の一手を食らった。
「――“蟻戯擬顎”」
「がっ……!!」
あさっての方向に飛んでいったオラクを尻目に僕はルシェルに殴りかかった。
「けひひひっ、剣も無しにどうやってアタイに勝つつもりかなぁ?」
「あいにく僕は剣にこだわりはなくてね。あくまで魔法を放つ媒体として使ってるにすぎない」
「そっかあ。ならこれをどう防ぐ?」
殴打の嵐を全て躱したルシェルは一歩下がり腕を振り下ろした。
「――“蟷螂の斧”」
彼女の両腕が鎌の形をしたオーラに覆われた。
無策に突っ込めば鎌の餌食になることは間違いない。しかし僕は構わずに前進した。
「――“竜の逆鱗”」
全身に竜胆色のオーラを纏い、簡易的な鎧とする。
バチバチと火花が散るが鎌が僕の皮膚に達することはなかった。
「ふっ!」
僕の拳がルシェルの鳩尾に吸い込まれる。
彼女は肺から空気の塊を吐き出して後方へ吹き飛んだ。
「まだ終わらせないよ。――“雷桜封殺陣”」
ルシェルに反撃する暇を与えず僕は無数の魔法陣を出現させる。
拳を握りしめれば雷撃の鎖が伸び、彼女を縛り上げた。
「けひひっ、息をつく間もないほどの連撃だあ」
「感心してる場合じゃないと思うけどね。
――“雷桜封殺陣”・弐参連型【縫轟】」
雷撃鎖は城下町の一角に佇む家屋にルシェルを縫い止め、激しい雷鳴を轟かせた。
「かはっ……ぁ、けひっ、ああ痛い。痛いよぉ」
強烈な電撃を浴びてなお、ルシェルの顔には余裕が見られる。
さっきはあと少しのところまで追い込んだと思ってたんだけどな。思い違いだったかな。
「あぁあぁあぁあぁあぁああ! 痺れる痺れる痺れる!! 脳が! 痺れて!! 今までにないくらい冴えてるよぉ!! けひひひひひひひっ!!!」
「気持ちわる」
僕が顔をしかめているとオラクが転移して戻ってきた。
「遅いよ。どこまで飛ばされてたのさ」
「城壁まで。壁にめり込んでしまって抜け出すのに手間取った」
「ふーん。まあどうでもいいけど」
奇声をあげるルシェルを見据え、僕は右手で印を結ぶ。
「彼女の意志も、企ても、思いも。全て砕くよ」
チカチカと“雷桜封殺陣”が明滅する。
「――“雷桜封殺陣”・終ノ型【白鳴月霞】」
音はなく、ただ視界が白く染まった。
遅れて肌が痺れるような感覚に襲われる。いや、実際に痺れているのだろうか。
初めて使った魔法だから自分でもよく分からない。
朧月のようにかすみがかっていた景色が少しづつ鮮明になってくる。
「魔力場が乱れている……。とてつもない威力だな」
「まあね」
「どこかルナの魔法とも似ているような気がする」
「実際ルナの力を借りて完成させた魔法だから」
「なるほどな。道理で」
話しているうちに視界が元に戻る。
正面に目を向ければ黒焦げになったルシェルが倒れていた。
「さて」
息を確かめようと一歩踏み出したその時、足元に血色の魔法陣が形成された。
「これはさっきも見た魔法陣!? でも【西の魔王】はあそこに──」
「けひひひっ」
ぞわっと背筋に悪寒が走った。
「儀式を始める」
どこからか不気味な声が響く。
何で何でなんでなんでなんで。
幻術を見破る“竜眼”は今も発動させている。ということはあれが幻術である可能性はない。
じゃあ一体あそこにいるのは誰なんだ!?
僕が混乱している間にも魔法陣は鼓動のように瞬き、色を刻一刻と変える。
「迅雷、流水、魔炎、隕星。災厄の魔王が有する滅びの力は災厄の竜を目覚めさせる楔」
オラクも周りを見渡すが声の発生源を見つけることはできない。
「楔を打たれた器は災厄の魔王の血を贄に、いま大成する」
詠唱が終わったか、魔法陣がひときわ強い深紅の光を放った。
次の瞬間魔法陣から四つの楔が現れ僕めがけて飛んできた。
僕は跳躍して楔を躱し、オラクはそれらを叩き落とそうとする。しかし楔は軌道を変え、あるいはオラクをすり抜け追いすがってきた。
「しつこいなあ。――“黒竜災禍終焉火”」
近づけさせるものかと、万物を焼き尽くす炎にて迎撃を図る。
「さすがにこれは耐えられないでしょ」
力を抜き魔力の放出を止める。
予想通り防ぎきったかと思うと、オラクの叫ぶ声が聞こえた。
「避けろ!!」
「え?」
声が届いた時には既に手遅れだった。煤一つついていない楔が僕の身体に突き刺さったのだ。
慌てて引き抜こうとしたが、楔は水に溶けるようにして消えてしまった。
「ライト!!」
地面に降り立った僕の元へオラクが駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「うん。特に痛みとかは……」
傷跡もなく、痛みといえばさっき人間界でルシェルに貫かれた脇腹の痛みくらいだ。
今の楔は何だったんだろう。
「けひひっ」
再び笑い声が聞こえてきた。勢いよく振り向けば倒れているルシェルの傍に隻腕のルシェルが立っていた。
「今度こそ本物だろうね」
「そうだよぉ。アタイが本物さあ」
ケタケタと笑いながら本物のルシェルは偽物のルシェルを掴み上げる。
ってややこしい。
「君が抱えているその人は何者?」
「あんさん達のよく知る人物さあ」
「もったいぶらずに教えなよ」
「けひひっ、言われなくてもそうするさあ」
彼女が笑みを深めると偽物のルシェルの身体がドロリと溶けた。
蝋のように滴る液体の中から姿を現した人物に、僕とオラクは思わず息を飲んだ。
「……姉…………さん……?」
ルシェルに抱えられてぐったりとしていたのは他でもない。最愛の姉・オリビア姉さんだった。
「そん…………嘘だ……。僕はこの手で姉さんを……?」
手がガタガタと震え、強烈なめまいに襲われる。
「……本当にオリビアなのか?」
険しい表情でオラクが問う。
「けひひっ、信じられないならじっくり感じてみるといいさあ。この魔力の匂いが、この魔力の感触が、誰のものなのかはあんさん達がよく知っていることでしょーう?」
確かに、ルシェルの言葉なんかよりも肌で感じるこの魔力が何よりの証拠だ。この魔力が誰のものなのかは僕が一番知っている。
「…………ありえない。幻術だ」
「けひひひっ。“竜眼”を使っている自分が幻術でないことはよぉく分かっているんじゃないのかなあ? けひひひひひっ!」
「っ……、じゃあさっきまで君の姿をしていたのはどういう訳なのさ。さっきまでだって幻術は使っていなかったはずだ!」
「えーぇ? ああ、うんうん」
「今君が抱えている人だって本当に姉さんかどうかなんて分からないだろ!」
そう、そうだ。冷静になれ、僕。
さっきまでだって魔力も使う魔法も完全にルシェルのものだった。幻術だって使われていなかった。だったら幻術が使われていない今だって姉さんが本物であるとは限らない。
この魔力が偽物だなんて考えたくはない。でも常識の枠内で考えていては駄目だ。
激しく波打っていた心が少しづつ、本当にゆっくりとだが落ち着いてくる。
「うんうんうんうん、まだ冷静さは残っているかあ」
「僕に感情的になってほしいかのような言い草だね」
「そうだよぉ。あんさんに冷静になられたら困るのさあ。せっかく人間界であんさんを痛めつけ、魔界では“黒焉墜星滅撃”であんさんの力を限界まで引き出した。しまいには“楔”も打ち込んだ。あとはきっかけを与えるだけなのさあ」
何を言いたいのかよく分からないけどとりあえず冷静さを欠いてはいけないってことは分かった。
「ルシェルの口車に乗せられるなよ」
「分かってるよ。オラクだって気をつけなよ」
「俺は乗ったところで問題はない。俺はよくてもライト、お前は本当に危ないんだ」
オラクは心配そうな目でこちらを見つめてきた。
申し訳ないけどその態度に僕は少しイラっときた。
なんでオラクまで僕に隠し事をするんだよ。
「少し感情が揺らいだねーぇ」
「そう見えたなら目医者に行った方がいいよ」
「けひひっ、そうかそうかぁ。まあどっちでもいいけどねーぇ。どっちにしろあんさんはもう平静を保っていられなくなる」
「へえ、何を根拠にそんなこと──」
「ほっ」
ベキッと鈍い音がした。
ルシェルが姉さんの首を握り潰したのだ。
「──は?」
「ほっ、ほっ、ほっ」
姉さんを投げ捨てたルシェルはさらにヒールで姉さんの顔をめった刺しにする。
「いや、は? え?」
尋常じゃないほど血が飛び散りルシェルの纏う白衣が真っ赤に染まる。
ぐしゃぐしゃと、耳を塞ぎたくなるような音がいつまでも響いていた。
「おい……何をしてるんだよ…………姉さんに何を……っ!!!!」
もはや偽物かどうかなんてどうでもよかった。
目の前で起きている惨劇をこれ以上見ていることなどできなかった。
だけどどうして人間の身体は肝心な時に動かないんだろう。目の前の現実を受け入れるのに必死で僕の身体はちっとも動いてくれなかった。
「ええ? 何って?」
ようやく足を止めたルシェルはその場にしゃがんで姉さんの顔を持ち上げた。
「ほら。とぉーっても、綺麗な顔にしてあげたよ」
ブチンと何かが切れる音がした。




