Side-L 悪魔から離れたい
ドラゴニカ家の兵士達の話を聞いて、僕はどう反応したらいいのか分からなかった。きっと頭のキャパがオーバーしてしまったのだと思う。
身内で唯一僕のことを理解してくれる人であり、家と縁を切った僕に今でも会いに来てくれる。そんな最愛の姉が行方不明になったという事実は、激しく僕の心を揺さぶった。
「昨日のパーティーはオリビア様が主役のものでありましたから護衛の兵もいたのですが、その数十の兵ごと、まるで神隠しにあったかのように消えてしまったのです」
「兵ごと?」
「はい。使用人の話によればオリビア様の行方がわからなくなる数十分前、兵士達とオリビア様が何やら口論になったらしく、騒がしい声が聞こえたそうなのです。ところがしばらくして裏庭辺りに魔力のうねりが発生した途端、物音が聞こえなくなったとのことです」
魔力のうねり、か。
昨夕屋敷で何が起こったのか一考し、少しずつ心の揺れが収まってきた。完全に冷静になったとは言い難いが、もう一度状況を考えるには十分なゆとりが生まれた。
彼らの話が真であるという前提で普通に考えれば魔力、あるいは魔法のぶつかり合いが起こったというのが妥当だけど、その後一切の音が聞こえなくなったというのはおかしい。
屋敷の人たちはきっと頭を抱えていることだろう。特に第二王子と姉さんを婚約させようとしていたという『あの人』なんかは。
でも僕は屋敷の人たちとは違い、姉さんが何をしたのかおおよそ検討がついている。
あの世へ行く以外の方法でこの世界から姿も魔力も消す方法。それは、魔界へ行く。
――つまり、転界魔法を使うこと。
転界魔法とは人間界と魔界を繋ぎ、行き来することのできる魔法だ。簡単に言えば、転移の異界バージョン。
姉さんが転界魔法を使えることを知っているのは中枢魔法協会の上層部と僕だけだ。家族ですらそのことを知らない。もちろん僕以外の、だけど。
おそらく姉さんは護衛の兵たちを巻き込んで転界魔法を発動したのだろう。
でも彼らには教えない。転界魔法のことを知られたら、政略結婚どころか魔界との戦いの道具にされてしまう可能性があるから。
「不気味な話だけど、僕は何も知らないですね」
「そうですか。分かりました、もう少し聞き込みを続けてみます。その、お忙しいところ、御手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。し、失礼します」
頭を下げてそそくさと去っていく彼らを眺めながら、僕は盛大にため息を吐いた。
困ったな……。姉さんがいないんじゃ、ルナを魔界に送り返すことができない。
転界魔法の使い手は限られている。協会のAランカー以上ならちらほらと使える人がいるだろうけども、姉さん以上の使い手がいるとも思えない。
ルナは魔王の妹だから、転界魔法で彼女を送り返すとしたら、強力な結界が張られているであろう魔王城の近くに扉が開くよう設定しなければならない。
でも結界を無視できるような強力な転界魔法を使える人物に心当たりはないし、そもそもAランクに知り合いはいない。
最悪魔界に送り返しさえすれば転界先の場所はどこでもいいような気もするけど、彼女の兄は【残虐】や【侵略者】の名で恐れられている魔王だ。もし彼女の身に何か起こったら、僕は殺されてしまうかもしれない。
一応魔界へ繋がっている特別な場所があるにはあるが、そこに行くのはめんどくさい。ここからだと馬でも10日以上かかる。最近開発された魔力機関車はその場所までの運賃がとてつもなく高いので、僕には払えない。
結論。ルナをもうしばらく居候させるしかない。
家で留守番している番狼のフェルには申し訳ないな。……いや、あの子はむしろ喜ぶかな。
何はともあれルナにはしっかり説明しないと。
と思っていたら、彼女は突然腹を抱えて笑いだした。
「あははははははは! な、何今の会話!? あの人たちとライトの間のっ、ぎこちない空気っ、付き合い始めの恋人かっての! あははっ、お腹苦しい!」
「「………」」
僕もシルフィーネさんも、あまりにも唐突な出来事に絶句するのみだった。
「あははははははははははは! 最っ高! って痛い痛い痛い痛い痛い痛い! ちょ、ちょっとライト、無言で頭つかむのヤメて! 痛いから!」
「……真剣に姉さんのことを心配していたっていうのに、それを笑うとは許せないね。悪い子にはお仕置きだ」
「ちょちょちょっ、ホントに痛いから! はーなーしーてー!」
「断る」
「いたたたたっ! あ、謝るから離しなさいよ! このシスコ……ぎゃああああああああ!!!」
決して上品とは言えない悲鳴をあげるルナを見て、本当にこの少女は魔王の妹なんだろうかと思う。食事に関してはある程度品があったものの、言葉遣いからは品が感じられない。
まあ悲鳴に上品もクソもないけれど。
「ど、ドラゴニカくん? 忙しいみたいだから、私は帰るわね?」
「あ、はい。今日は協会に行かないので、また今度」
「ちょっとちょっとそこの巨乳エルフ! なに普通に帰ろうとしてるのよ! 助けようとか思わな――痛ああああっ!」
引きつった笑みを浮かべるシルフィーネさんに空いてる方の手を振りお別れの挨拶をする。
さて、ルナにはみっちりお説教をしてやらないと。
◆
「もうヤダ、ライト嫌い。早く家に帰りたい」
あの後ルナの服を買ったついでに惣菜や魔導書なども買ってから家に帰ってきた。家に入ると同時にちゃんと幻術も解いている。
そしてたった今、30分に及ぶ説教が終わり、ルナは机の上に突っ伏した。
「ああ、そのことだけど、君にはもうしばらくの間居候してもらう」
「はああっ!? なんで!?」
突然の宣告に、ルナはガタタンッと激しい音を立てて立ち上がる。
「単純な理由だよ。さっきの会話の中で出てきたオリビアっていう人は、僕の姉さんなんだ」
「たまに魔法の特訓に付き合ってもらうっていう人?」
「そう。で、君を魔界に送り返すには姉さんの協力がいる。僕が知る人の中で転界魔法を使えるのは姉さんしかいないからね。でも昨日から行方不明になっている、と」
「じゃ、じゃあ……そのオリビアっていう人が見つかるまで、アタシは魔界に帰れないってこと!?」
「うん」
「うっわぁ……最悪……」
そんなあからさまに顔をしかめなくてもいいじゃないか。むしろ厄介な荷物を抱え込んだ僕の方が精神的に辛いっていうのに。
互いにため息をついて眉間に皺を寄せると、喧嘩でもしたのかと言いたげに僕らの間にフェルが割り込んできた。仲良くしてほしいのだろうが、それは無理なお願いだ。
「ごめんねフェル。今日も明日も悪魔みたいな居候と同じ屋根の下で眠らなきゃいけないみたいだ」
「誰が悪魔よ! 魔族よ、ま・ぞ・く!」
「へー、そうだったのかー。初めて知ったよ」
「こんの……っ! 腹立つ……!」
これからどうしよう、などと考えながら適当にあしらっていると見るからにルナがイライラし出した。
そうだ、いいことを思いついた。
「そんなに腹の虫がおさまらないなら、ちょっと外に出て試合でもする?」
「え、試合!? やるやる!」
うん、予想通りの反応だ。ルナはかわいいなぁ、かっこ笑い。
「んじゃあフェル、外でルナの相手してあげて」
「いやいやいやいやいやいや、なんでそうなるのよ」
魔力の波長が似た者同士親睦を深めてもらおうと思ってフェルを外に出そうとすると、ルナに勢いよく肩を捕まれた。小さい手が食い込んで痛いのでやめてほしい。
「何か問題あった?」
「大ありよ! あんたがアタシの相手してくれるんじゃないの!?」
「んー、つまりフェルじゃあルナの相手をするには力不足だ、と言いたいのかな?」
「違うわよ! 普通言い出しっぺのあんたが相手するでしょ、って言いたいの!」
「戦うのは面倒だから嫌だ」
「その理屈だと面倒事をフェルに押し付けてることになるわよ!?」
悔しくもルナに指摘され、僕は言葉に詰まった。珍しく彼女の意見は正論だ。確かにフェルも試合をするのは嫌だろう。ペットは飼い主に似るっていうし。
まあ僕とフェルとでは戦いが嫌いな理由は違うけれど、この際それはどうでもいい。
とにかく、僕がルナの相手をしなければならないようだ。元より今日は協会に顔を出す予定はなかったから、軽く体を動かさなければならない。その代わりくらいに考えよう。
「……仕方ないから僕が相手してあげよう」
「仕方ないじゃなくて、それが当然なのっ!」
「わかったから、外に出ようか」
「ふんっ、やっとやる気になったわね!」
いえ、全然やる気はないのですけれども。
竜伐者の特殊能力は使わないこと、あまり目立つような魔法は使わないことなど試合のルールを話し合いながら結界が張ってある庭に出る。
考え事をするのに邪魔だから外に追い出そうと思っていたのに、これじゃあうるさいルナから離れられない。まったく、余計なことを言うもんじゃないな。
ため息をつきながら結界を点検し、異常がないことを確認する。
「結界の中だから家への影響は気にしなくていいけど、本当に派手な魔法は使わないでよね」
「わかってるわよ。要するに城壁を壊せるような威力の魔法を使わなければいいんでしょ」
……威力の問題じゃない。周囲から注目を浴びない程度の魔法を使ってほしいんだ。あまり近所の人、あるいは通りを行く人たちに見られたくないから。
説明しても理解してくれなさそうなので、仕方なく結界をいじり幻術の類いも織り混ぜることにした。
「準備は整ったんで、始めようか」
「ふっふふーん♪ アタシに負けてべそをかいても知らないわよ!」
フェルが結界の外に腰を下ろしたのを合図に、異種の魔力が激突した。