Side-Big4 【眠り羊】
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――時はわずかにさかのぼり、東の魔王城前――
「――“安らぎの白羊”」
空を覆わんばかりの羊の魔法体に呑み込まれ、東の魔王軍の兵士たちが深い眠りに閉ざされた。
かろうじて夢の世界へ旅立つことから逃れたのは四天王、セラフィス・リュードベリとドルトン・ゴドウィンの二人のみだ。
「自傷して眠気を飛ばした。さすが四天王様」
淡々と述べ、兵士たちを夢の世界へと誘った術者の少女はあくびをこぼす。
飛来した矢を躱した彼女は次の術式を展開した。
「無常なるは夢か現か。――“悪夢の黒山羊”」
詠唱が終わると彼女の背後から無数の黒いヤギが現れ、セラフィスとドルトンに襲いかかる。
「――“金剛打法”」
彼らに迫った蹄はしかし、ドルトンの金棒によって打ち払われる。
さらにセラフィスが放った無数の矢によって黒いヤギは蜂の巣にされ、たまらず地面に倒れた。
「貴君は召喚術師か?」
「違う。羊もヤギも幻にすぎない」
「では幻術使いというわけか」
「それも少し違う。私が操るのは夢」
「夢……?」
コクリと頷いて彼女は続ける。
「人々の思いや願いが夢となって、やがて夢まぼろしは現実に干渉する」
「そのような力が……」
「これを“夢幻術”という」
名前の響きも幻術と近い。『少し違う』という言葉があったことからも厳密には違うとはいえ幻術と同じような性質を持つのだろう。そう判断したセラフィスだったが、彼の予想は正しくなかった。
それが幻だと分かっていれば何の影響ももたらさない幻術とは違い、夢幻術はそれを幻と分かっていても影響をもたらす。その事実にセラフィスが気づいたのは、再び現れた白羊の幻に呑み込まれてからだった。
先ほど同様強烈な眠気に襲われたのだ。
「馬鹿な。防ぎようがないというのか」
セラフィスが動揺している間に少女は次の動作に入っていた。
「旅人は悪魔の一刺しに荒野に沈む。――“沈黙の蠍”」
羊が消えたかと思えば今度は数匹の巨大な蠍が現れる。
ドルトンは白羊には触れていなかったためすぐさま対処することができたが、セラフィスはわずかに行動が遅れた。
尾の先端から生えている針が彼の腕を擦った。
「ぬっ」
一瞬ピリッと腕が痺れたかと思えば彼の動きが鈍くなった。
「意思なき者は安らかな眠りにつく。――“安らぎの白羊”」
思うように体を動かせない彼は白羊に呑み込まれ、他の兵士同様死んだように眠りにつく。
「自分が幻術を使える分先入観に邪魔された。それに対し――」
「オマエ、よくもセラフィスをやっタな。オデ、オマエ倒す!」
「あなたは動物的勘で幻術とは違うことを見抜いた。その直感は少し厄介かもしれない」
全ての蠍を薙ぎ払い、白羊ののしかかりも回避したドルトンは全身に赤黒いオーラを纏う。
「――“鬼神ノ息吹”!!」
音を置き去りにする速度で次々と拳が繰り出される。そのことごとくを少女は身をひねり、時には転移して躱した。
「厄介。もっとも、それはあなたが遠距離の攻撃手段を持っていればだけど」
大きく距離をとった彼女はドルトンの周囲に無数の白羊を出現させた。
四方から迫る羊から逃れるためドルトンは跳躍せざるをえなかったが、空中にいてはうまく身動きをとることができない。その隙を少女は確実に突いてきた。
「――“悪夢の黒山羊”」
現れた四体のヤギの蹄がドルトンに襲いかかる。
「――“金剛力”!」
彼は全身を硬質化して衝撃を軽減させる。しかし宙からはたき落とされた事実は覆しようがない。彼は地上で待機していた白羊に呑み込まれ、自傷する間も無く眠りに落ちた。
「主力はほぼ無力化させた。あとは魔王様が来るのを待つだけ」
汗の一つも流さずに東の魔王軍を制圧した少女は椅子ほどのサイズの羊を出現させ、腰掛けようとした。
その小さな腰を下ろすことができなかったのは足元の影が羊を真っ二つに切り裂いたからだ。
影の刃を躱した彼女は周囲を見渡す。
「不意打ちでのご挨拶となったことお詫び申し上げます。貴方様一人に全戦力を割くのはどうかと思い城内の守護に徹しておりましたが、そう悠長なことを言っている場合ではないようですのでご挨拶にうかがいました」
声のした方に目を向ければ、眠っている兵士の影から一人の男性が姿を現した。
「サタン様の秘書、ハルバード・モンドールでございます」
「……【幻影卿】。忘れていた」
黒い杖を構えたハルバードが少女に尋ねる。
「喫茶・羊の館の店主とお見受けしました。なぜ貴方様がこのような愚挙を?」
「それは偽りの姿にすぎない。私は西の魔王軍四天王【眠り羊】。メノリ・トリチェリー」
「『トリチェリー』……?」
「ルシェルは私の従姉妹」
納得がいったようにハルバードは頷く。
「【西の魔王】の親族でございましたか。であるならば目的も自ずと知れるというもの」
「たぶんあなたの予想は間違っている」
「左様ですか。そう仰るのなら聞いておきましょう」
「魔王様に会わせて欲しい」
ハルバードは怪訝に眉をひそめる。
「と言いますと?」
「……」
何かを言いかけ、少女・メノリは口を閉ざす。
教える気がないということだろう。これ以上の問答は無駄だと判断し、ハルバードは黒杖の先端をメノリに向けた。
「貴方様にも立場というものがおありでしょう。やむなく東の魔王軍を無力化させたのやもしれませぬ。しかしこの非常事態時、眠っているだけとはいえ戦力を削がれたことは我々にとって大きな痛手でございます。相応の覚悟はおありでしょうな?」
「覚悟はできている。私のやることは一つ。魔王様が出てくるまですべて眠らせるだけ」
ハルバードの足元から数本の触手のようなものが、メノリの背後には十体の白羊が現れる。
二人が腕を振るうと、それらは勢いよく両者に迫った。
ぶつかり合うことなく互いにすり抜けたそれらは二人の間合いにまで迫ったが、二人は跳躍して難なく回避する。
白羊は目標を見失ってそのまま消滅したが、ハルバードの足元から伸びる触手のような影は向きを変え、空中のメノリに迫った。
「その様は渦、仇なす力を吸い込まん。――“封印の水瓶”」
影がメノリに触れる――その紙一重のところで影は目に見えない渦に吸い込まれた。
「ふむ、まだ力を隠していましたか」
「当然」
メノリは涼しい顔で着地する。と、その瞬間辺りの地面が影一色に染まった。
「――“陰惨夢幻深淵”」
ハルバードの声を合図に影は波打ち、影に触れる地表のあらゆるものを飲み込み始めた。
“封印の水瓶”にて抵抗しようとしてメノリだったが、いかんせん影の範囲が広すぎてその全てを吸収することは叶わない。跳躍しようにも踏ん張る地面がないためそれも不可能。
ここにきてようやく表情を歪めたメノリは新たな術式を描いた。
「その軌跡は天道へと至る道。――“回游の魚”」
メノリの周囲に無数の魚が現れると彼女の体を地表へと持ち上げた。
「まさかこの魔法に抵抗できる者がいるとは。お見それしておりました」
「私もこんな魔法は初めて。あなたは強い」
「滅相もございません。私などサタン様と比べれば塵も同然でございます」
言いながらハルバードは杖を振るいメノリの足元から影の槍を出現させた。メノリは魚に乗って槍を回避するが、逃げる先から次々と槍が襲いかかってくる。
回避行動に徹しているうちに彼女はハルバードへ向ける注意が疎かになっていき、ついには完全に彼から視線を外した。彼女が視線を戻した時にはハルバードの姿は消えていた。
影の槍による猛攻が落ち着きメノリが周囲を見渡そうとした時、突然背後から強烈な殺気が漂ってきた。
見れば、杖から刃を生やして鎌と化した得物を携えたハルバードが立っていた。
「っ!」
振り下ろされた鎌をメノリは素手で受け止める。
「やはり受け止められてしまいますか」
「でも今のは危なかった」
「なるほど。ところで貴方様はこれが幻術だとお気づきですかな?」
刹那メノリの思考が停止する。彼女の脳が回転を始めたのは胸を刃で貫かれてからだった。
刃から鮮やかな血が滴る。
「ようやく捉えましたぞ」
メノリの背後――すなわち先ほどまでのメノリの正面――に佇むのが幻影ではない本物のハルバードだ。
「……うかつ」
ポツリとメノリがこぼす。
初めて身体に傷を負った彼女の瞳にはしかし、落胆の色はなかった。
「血は糧、欲するは魂。――“滅びの乙女”」
足元に広がる影の海にメノリの血が垂れると、そこから目深にフードを被った乙女が這い出てきた。
ハルバードのものとは違い深紅に染まった鎌を携える乙女の姿はまるで死神のようだった。
「これは……」
危険を察したハルバードが影の槍で乙女を串刺しにするが、実体がないのか微塵も揺らぐ気配がない。ならば術者を、と彼が振り下ろそうとした刃は乙女の鎌によって粉々に砕かれた。
影の海にも沈まず攻撃も通じない。ならば防がれるのを承知で術者に波状攻撃を仕掛けるしかないと判断し、ハルバードは再び杖を振るおうとした。だがメノリのはるか後方にあるものを見つけた彼は、持ち上げた腕を途中でおろした。
「結局貴方様の願いは叶うようですぞ」
彼の言葉にメノリはハルバードの視線の先を見つめた。
「よかった。これで無益な争いはおしまい」
二人の視線の先では、魔界と人間界を繋ぐ扉が開かれようとしていた。




