Side-O 彼女の正体
「……何をしに来たんだオリビア」
ため息混じりにそう尋ねると、彼女の喉がピクッと動いた。
「す、すみません、声が聞こえたものですから気になって……」
「……どこから聞いていた」
「? 何をですか?」
「……」
彼女の脈拍・息遣いから、本当に何のことを訊かれているのか分かっていないようだ、と判断し彼女を解放してやる。
霊たちと喋っていたのがバレていないのならいい。死霊術のことはあまり知られたくないから。
……それにしても――
「随分無防備な格好だな」
薄い生地の寝間着姿では彼女の美しい肢体を隠しきれていないし、風呂に入ったせいか幻術も解けているため頭部に角がないとわかる。
こんな姿で夜道を歩いていたら、襲ってくれと言っているようなものだ。
「え? 無防……備? ……あっ! た、大変です! 幻術が解けちゃってます!」
「それもそうなんだが、服装もだいぶ際どいと思うぞ?」
親切に指摘してやると、彼女の耳が熟れたリンゴのように真っ赤になった。どうやら今の今まで気づかなかったらしい。まったく、俺が教えてやらなかったらどうなってたことか。これだから天然は困る。
「んで、結局何でこんな所をうろついていたんだ」
「ですから声が聞こえたので……」
「そうじゃなくて。幻術が解けているのに――っと、それには気づいてなかったのか。とにかく護衛もいないのに未知の土地をうろうろしてはいけないだろう」
「でも迷子になんてなりませんよ」
「迷子にならなくとも、見知らぬ土地というのは危険がつきものだ。鳥かごに閉じ込めるつもりはないが、部屋の外に出る時はせめて俺に一言伝えてくれ。ってことでほら、これを持ってろ」
少し強く言い過ぎたか、と反省しながら懐から水晶玉を取り出しオリビアに投げ渡す。彼女は宙でお手玉をしながらもしっかりとキャッチした。
「それは特定の相手と念話ができる魔道具だ。距離制限はあるが、東の魔王領内ならだいたいどこでも繋がる」
「つまり外に出たくなったらこれを使ってオラクさんに言えばいいのですか?」
「ああ。俺に言ってくれれば、俺が護衛として一緒に行動してやれる。事情を知らない魔族と共にいるよりかはマシだろう」
「ですが、オラクさんが忙しかったら?」
「昼間も言ったが俺が忙しいことなんてまずないさ。君は気にしなくていい。それに、オリビアの護衛とでも理由をつけないと城外に出られないからな」
本来護衛される立場の魔王が他人の護衛なんて笑えるけどな。
俺が一人心の中で苦笑していると、オリビアが微笑みながらこちらを見つめてきた。
「なんだか、わたしたちって似たもの同士ですね」
「だが見た目は全然違うんだろ? 確か俺には角があるけどオリビアにはない――だっけか?」
「なっ、なんで覚えてるんですか! 恥ずかしい……っ」
彼女に言われて改めて思う。俺達は似ている、と。
ついからかってしまったが、彼女の言わんとしていることはわかる。行動を制限され、上流階級の生活に疲れている。彼女と違って俺は生まれたときからそうだったわけではないが、上流階級としての生活が長いことに変わりはない。
……そうだ。オリビアは俺に似てるのだから、『あいつ』に似ているはずがない。あいつと俺は全然違うのだから。
いやいや、俺は何を考えているんだ。このことについては忘れると決めたじゃないか。
今日は俺にしては珍しくそこそこ忙しい一日だったから、疲れが溜まっているのだろう。「くしゅんっ」と小さいくしゃみをしたオリビアの肩にコートとマフラーを掛けてやりながら、俺はゆっくり風呂に浸かって嫌なことを忘れようと決心するのだった。
◇
大浴場で身体を清めた後、俺は偶然ハルバードと出会ったので肩を並べて歩いていた。
「なぁ、オリビアのことどう思う?」
「人間の女のこと、ですか。いきなり言われましても……何とお答えすればよいのやら分かりかねますな」
「それもそうだな。今のは忘れてくれ」
「……彼女の女性としての魅力はどうかと仰りたいのでしょうか?」
「違うよ。もう忘れてくれっての」
特に意味もなく喋っただけなのに、いちいち律儀に反応されると困る。まあそれがハルバードのいい所ではあるのだが。
「そうですなぁ、サタン様の奥方になるには及第点といったところでしょうか」
「……」
だからやめろって。
「冗談はさておき、彼女は魔力の香りが独特なように感じます。じぃは魔力の感知は得意ではないので、その程度のことしか分かりませんな」
やはり、ハルバードも違和感を覚えていたようだ。初めは気が付かなかったが、注意深く魔力の香りを嗅いでみると、人間の魔力にしては異質な、もっと言えば魔族に近い香りが微かにするのだ。
確かオリビアの話ではドラゴニカ家の先祖には竜伐者がいるとのことだった。それと何か関係があるのかないのか。
「やっぱり香りのこともそうだけど、オリビアには不可解な点が幾つかあるな」
「ええ。ですが秘密を抱えていることは彼女の魅力の一つであるのでしょう。無理に謎解きをすることもないかと」
本音を言えば彼女の正体を暴きたいと思うが、ハルバードの言うことにも一理ある。秘密を抱えた女性というのは魅力的に映るものだ。
焦らず、のんびりいこう。幸い彼女は家を飛び出してきて、しばらくは帰れない状況だ。時間を掛けて本人から話を聞いていけばよい。
「とりあえず今日は寝るか。ハルバード、なるべくオリビアには不自由させないようマリアに伝えておいてくれ」
「承知致しました。……それにしても、監視ではなく世話を焼くように命じるとは。随分とあの女を気に入ったようですな」
「気にはなるが、気に入ったわけではない。彼女が俺達に心を許せば、口も軽くなるというものだろう。そう考えてのことだ。それに不自由させないようとは言ったが、俺と一緒でない限り外出させる気はない」
「それはそれは……。要するにあの女はほとんど自由に動き回れるも同然ですね」
「いや、んー、まあ……」
ったく、ハルバードには敵わない。
「あー、あと『女』って言うのはやめろ。彼女にはきちんと名前があるんだから」
「む、これは失敬。じぃの不覚にございました。魔族も人間も平等に接する、のでしたな。では以後『オリビア殿』とお呼びすることに致しましょう」
オリビア殿……オリビア殿……。少々堅い気もするが、まあいいか。魔王軍の全員に以前から伝えてある通り、「相手が誰であろうと分け隔てなく接する」という理念を守ってくれるのであれば文句はない。
「わかればいいんだ。それじゃ、おやすみ」
「お休みなさいませ、サタン様」
頭を下げたハルバードに軽く手を振りさっさと立ち去る。彼は俺が視界から消えるまで頭を下げ続けるので、早々に消える必要があるのだ。
人間の客人を迎えるというイレギュラーな事態の中でもいつも通りの姿勢を貫くハルバードに関心しつつ、明日も早起きするため俺は足早に自室に戻った。