Side-O 魔王の誓い
「二人とも時間を取らせてすまない」
会議を終えて残ってもらったハルバードとオリビアに謝りを入れる。
「それぞれ用件があったからな。まずハルバード、今朝頼まれたものが完成した」
「! 魔法具でございますか。事件に巻き込まれてお忙しかったであろうに即日お作りになられるとは……さすがサタン様でございます」
感嘆の言葉を述べたハルバードにペンダントを渡す。
「あとはお前の愛すべき者の魔力を注げば効力を発揮できるようになる」
「承知いたしました。どこに魔力を注げばいいのか、試しにサタン様の魔力を注いでいただけませぬか?」
「お安い御用だ」
ハルバードに渡したペンダントの宝珠の部分に俺の魔力を注ぐ。すると藍色だった宝珠は中心が純白に染まった。
納得したように頷いたハルバードはペンダントを首につけた。
「臣下に過ぎぬじぃの頼みを聞いていただき深く感謝します。一生大切にいたします」
一生とは大袈裟な。でも使わずに済むならそれに越したことはない。
「あの、それはどういった魔法具なのですか?」
静かに話を聞いていたオリビアが興味深そうに訊いてきた。
「愛する者が命の危機に瀕した時、それを知らせて愛する者のところに転移させてくれる魔法具だ」
「へぇ……ハルバードさんにも大切な方が?」
「ええ。300年生きてきた中で最も愛すべき人物でございます」
ハルバードがここまで言うなんて珍しい。よほど大切な相手なのだろう。
魔法具の製作を依頼されるまでそんな相手がいるとは露程も思わなかった。
「ハルバードへの用件は以上だ。お前から何もなければ下がっていいぞ」
「はっ。失礼いたします」
恭しくお辞儀をした彼はそのまま退室していった。
「最後まで残ってもらって悪いな」
「いえ、わたしは大丈夫ですよ」
オリビアは昼間の時とは打って変わって屈託のない笑みを浮かべる。
勝手に気まずい思いを抱いているのは俺だけか。
「昼間のことで誤解を与えてしまったと思って弁解しようと……。それでオリビアには残ってもらったんだ」
「やはりそのことでしたか。何となくそうだろうとは思っていました」
「はたから見たら問題のある光景だったろうから……」
ここからどう説明したものかと悩んでいると、オリビアが優しく微笑んだ。
「敵対勢力の頭領とあのような状況になるのはまずい、ということでしたら心配いりませんよ。わたし以外の目撃者はいませんし、わたしはあれがいけないことだったとは思いませんから」
「もちろんそれもそうなんだが……その、ルシェルの身分は関係なく……」
ライトがいたら「はっきり喋れ」と言われていただろう。自分でも分かってはいるがなぜかうまく言葉を紡ぐことができない。
「無理して喋らなくてもいいんですよ」
非難するような声色ではなく、いたって慈愛に満ちた声でオリビアは言った。
「ルシェルさんの方から迫ったんだろうということはある方から聞きました。それにあの時は動揺して気づきませんでしたが、後から思い返すと注射器も落ちていましたし、魔法薬で動きを封じられていたのかもしれません。何にせよオラクさんが説明しなくても問題はありませんよ」
「そうか……。でも一言言っておきたかったんだ。俺はルシェルに対して異性の情を持っていない。あくまでルシェルは幼馴染だ」
「持っていてもいいんですよ。オラクさんの交際関係は、わたしが関与することではありません」
言われてみれば、なぜ俺はわざわざ弁解しようと?
たとえ誤解を与えてしまったとしても、それで弱みを握られるわけでも安全保障上の懸念が出てくるわけでもない。ただエネルギーを浪費するだけじゃないか。
「気を遣ってくれたんですよね? わたしが動揺していたから」
分からない。
一因であることは確かだろうが、主たる要因ではないような気がする。
「まあ誤解を生んでいないのであればそれでいい」
「大丈夫です。誤解だろうと何だろうとわたしの気持ちが変わることはありませんから」
「……『気持ち』?」
「今までオラクさんに助けられてきたこと、支えてきてもらったことへの感謝の気持ちです」
ああなんだ、そんなことか。感謝の言葉に対する答えはいつも変わらない。
「目の前で困っている人を助ける、当たり前のことをしただけだ」
「当たり前のこと、確かに仰る通りかもしれません。でもそれをできる人が少ないんです。そしてそれをされると無性に嬉しくなる」
大切なものを包むようにオリビアは胸に両手を当てた。
「わたしはオラクさんに返しきれない恩があります。あなたが望むことのために、あなたが守りたいもののために、力添えさせてください」
そう言ってオリビアは手を差し伸べた。
俺は黙って彼女の瞳を見つめた。純粋で、輝いていて、力強い。
同じような目を知っている。幼き頃多くの時間を共にした俺の記憶の中の人物。この目に俺は魅せられたのだ。
「ありがとう。俺が弁解するために時間を取ったのに、まさかこうして励まされることになるとは思わなかった」
笑いつつ俺は彼女の手をとった。
「頼りにしている」
そして守ってみせる。
オリビアは俺にとって大切な人間の友人――いや、種族など関係ない。「大切な友人」だ。友人と語らうこの平穏な時間は誰にも奪わせない。
友人も、配下も、この土地に暮らす住民も。そしてルシェルのことも。全て守って大団円だ。
「こうして二人で話すのも久しぶりですね」
「そうだな。場所を移してワインでも開けるか」
「名案です」
立ち上がり、俺たちは部屋を後にした。
「もうすぐ一年か」
「……え?」
「俺がオリビアと出会ってからだ。冬の終わり頃だったろう」
廊下を歩きながら彼女と出会った頃のことを思い返す。
「そうですね、もうそんなに経つんですね……」
「魔界の雪景色を見てオリビアが感動していたのを覚えている。景色を肴にお酒を飲みたいと言っていたことも」
「お、お酒の話は忘れてくださいよっ! 確かに言いましたけど……!」
今でも恥ずかしく思っているのだろう。オリビアは顔を赤く染めそっぽを向いてしまった。
そうこうしているうちに俺の部屋にたどり着いた。
「あの時は面白いことを言うと思ったが、試してみるとなかなか乙でな。今では俺も外の景色を肴に酒を嗜むようになった」
言いながら扉を開ける。
「せっかくだ。城の中で最も景色がよく見える特等席で愉しもうじゃないか」
促せば小さく頭を下げてオリビアも部屋の中に入った。
「昼間あんなことがあった部屋に入るのは複雑な心境ですね」
「っ、それは――」
「なんて、冗談ですよ」
ふふっと悪戯な笑みを浮かべたオリビアはバルコニーの方へ駆けていった。
驚いた。オリビアも冗談を言うんだな。
ボトルとグラスを用意しながら、なんて多彩な笑顔を見せるのだろうと考える。時には優しく、時には悲しく、時には嬉しそうに、毎回違った笑顔を見せてくれるから見ていて飽きることがない。ライトがオリビアの笑顔を守りたいと言う気持ちも分かる気がする。
一式を用意した俺はバルコニーにある小さなテーブルにそれらを置いた。
「晩御飯は食べたか?」
「はい。食堂でマリアさんが用意したものをいただきました」
「今朝切ったばかりのチーズがあるんだが、晩御飯を食べたならいらないか?」
「うーん……、せっかくなのでいただきます」
目の前に出されては食欲が湧いたか、彼女は「ありがとうございます」と礼を言った。
「今日は雪は降っていませんね」
「そうだな。だが似たようなものなら再現できる」
首をかしげるオリビアを横目に俺は大気中の霊気に俺の霊力を送り込んだ。すると辺り一帯に淡い光の粒子が現れ、幻想的な光景を醸し出した。
「わあ……。死霊術ですか?」
「ああ」
「素敵ですね……。雪のようにも蛍火のようにも見えます」
「綺麗だろう」
「ええ、とっても」
オリビアが霊子の光に目を奪われている間に俺は二人分のグラスにワインを注いだ。
「あっ、すみません、何から何まで任せてしまって」
「気にするな。好きでやってることだ」
グラスを渡して彼女に笑いかける。
「一週間後、皆が笑っていられることを願って」
魔界では神を信仰する風習はない。代わりに何かを祈る時や誓いを立てる時は決まって魔王に祈りを捧げる。
他の誰でもなく俺自身の心に祈りと誓いを捧げ、俺はオリビアとグラスを合わせた。




