Side-O 勝者の正義
どさっとアルベルトが膝を折った。
俺は手を放して辺りを見渡す。
「これで試合終了となるのか?」
「……ええ。ただ認定されるまでもう少しだけ時間がかかるでしょう」
仰向けに倒れた彼に視線を移す。
喋る元気はあるようだが、もう戦う気力は残されていないだろう。
「この戦いに勝利した。すなわち正義は貴方の手に」
「それについて物申したかったんだがな」
「何でしょう」
頭を掻きながら俺は言う。
「勝った方が正義とはよく言うが、必ずしもそうではないだろう」
「では正義が勝つとでも言うつもりですか?」
「いいや、そこまで世の中甘くないってことは俺も理解している。だがな、いくら勝者でも救い用のない愚者だっているだろう」
「どれだけ愚かであっても勝者の言うことには従わなければなりません。勝者は言動の根拠に正義を用いる。なればこそ、勝者に正義がある」
「そんな難しく考える必要はないだろ。勝者にも敗者にも正義はある。でないと敗者の側は報われないだろう?」
「それはそうかもしれませんが」
眉根を寄せた彼は眼鏡の位置を調整しようとして眼鏡が壊れたことを思い出し、さらに眉を寄せた。
「聞くが、家族のためを思って戦った者が負けたとして、そいつに正義はなかったと思うのか?」
「そうは思いませんが、負けて意志を貫き通せなければ初めから正義などなかったも同然でしょう」
どうも分かり合えないな。『正義』についてアルベルトの中で譲れないものがあるようだ。
「ところで敵対する大将である自分が言うのもおかしいかもしれませんが、傷の手当はしないでよろしいのでしょうか」
「ほっとけば治るさ。お前の手を離れたからか、聖剣の祝福が俺にも働いているみたいだしな」
腹に聖剣エンドカリバーが突き刺さっているが、不思議と痛みはない。
「ならば良いのですが」
目をそらし、彼は何かを言おうとして口を開けたまま数秒静止する。
何を言おうとしているのか問い詰めようとすると、先に彼の声が飛び出してきた。
「貴方にとって『愛』とは何ですか?」
「……? どうした急に」
「では『正義』とは?」
「ちょ、そんな矢継ぎ早に……」
「失礼しました。では家族とは?」
全然謝った意味ないじゃないか! と心の中でツッコミを入れてから次の質問が飛び出すよりも早く答える。
「家族とは愛、憎しみ、様々な感情を抱きながらも切っても切り離せない縁で結ばれている。そういう存在のことだと思う」
「それは貴方の妹のことですか?」
「どうだろうな。ルナに関しては憎しみの感情は当てはまらないが……切っても切り離せない、というのは誰にでも当てはまるだろうな」
もっとも“生きていれば”の話だが。
他界した俺の両親と今でも繋がりを感じるかと言われれば疑問は残る。
「あまり真剣に考えたことがないからこれが正しい考えとは限らないがな。ただお前は既に答えを持っているんじゃないのか?」
「……?」
「お前がライトやオリビアへ抱く複雑な想い。それが『愛』の一つだろう。愛情を向ける相手、それがお前にとっての家族なんじゃないのか」
「しかし、父に愛を感じたことは……」
「奴は本当の家族ではなかった。それでいいじゃないか」
はっと息を飲む音が聞こえた。
「あくまで一個人の意見だがな。後は自分自身の心に訊いてみるといい」
「すぐに答えが出るとは思いませんが、しかし貴方の言葉を聞いて少し分かったような気もします」
上体を起こしてアルベルトは頭を下げた。
「ありがとうございます。
貴方と貴方の妹を見て素敵な兄妹だと感じていたのです。あなた方のようにとは言いませんが、少しでも立派な兄弟関係が築けるよう精進します」
「ああ。陰ながら応援しているよ」
手を差し伸べて立ち上がる補助をする。
彼が立ち上がると、俺はずっと気になっていたことを投げかけた。
「一つだけ訊きたいんだが、どうして今回はこのような決断をしたんだ? 俺の言葉を聞かずとも、お前の中には弟や妹への愛情が存在していたはずだ。ライトとオリビアが不服に思うような決断だということは分かっていたはずだろう?」
「それは、家族と正義を天秤にかけたからです。一国の王として何を優先すべきか考えた結果です」
「しかしお前自身納得していないだろう。お前の心には何が正しいのかという迷いがある。でなければ聖剣は今頃俺の心臓を貫いていた」
「……」
「本当に天秤にかけたのは正義か?」
俺は腹から聖剣を抜き、彼の胸に切っ先を向ける。そしてそのままビリビリと衣服を切り裂いた。
あらわになった彼の皮膚には、黒い蝶の文様が描かれていた。
「呪いの一種と見た。大きな力を得られる反面、隷属の術式が組み込まれている」
「さすが呪いには詳しいですね」
眼鏡の位置を調整しようとした彼の手が空を切った。癖なのだろう。
「そっち側についていたライマンもおそらく呪いがかけられていた。一体裏で誰が糸を引いている?」
尋ねつつも俺の中ではほぼ答えが出ていた。
黒い蝶といえば魔界では一人しか思い当たる人物がいない。この文様は彼女が使う花押に添えられるものだ。
「お答えできません。しかし自分が答えずとも見当はついているのでは?」
「まあな」
情報を漏らせば死に繋がる効果もあるだろう。そう簡単には話してくれまい。
だが呪いを解いてしまえば……と思って聖剣を刺そうとするとアルベルトは半歩身を引いた。
「申し訳ありません。これは繋がりを保つ鎖なのです。これを断たれてしまえば彼女は手の届かないところへ羽ばたいて行ってしまう」
「…………お前……」
ライトやオリビアに向けるのとも違う、哀れみを湛えた瞳。それは決して呪いの影響によるものではなく、彼自身の感情だった。
「家族と、正義と、この気持ち。天秤に掛けたのはこの三つです。どれも捨てがたく、だからこそ今に至るまで迷いがあった」
溜まったものを吐き出すように彼は深く呼吸をした。
「改めてお礼を言います。この試合に敗北したことで中枢魔法協会の件について白黒つけることができました。もし勝利していたらずっと迷いを抱えたままでいたことでしょう。自分では気がついていませんでしたが、もしかすると初めから貴方には負けるつもりでいたのかもしれません」
言動から察するに彼は隷属の効果は受けていない。ここに至るまでの選択、その全てがアルベルト自身の意思によるものだ。
常に葛藤しながらも周りの意見に左右されることなく、彼の思うままに歩んできたのだろう。
弱くて、繊細で、しかし同時に強靭な心だ。この様子なら呪いに支配されることもあるまい。
強弱併せ持っているからこそアルベルトは人間味がある。ライトは『感情のない人だ』というようなことを言っていたが、仮面を脱がせてみれば正反対の人間ではないか。
「エントポリス王国はいい国王を持ったな」
「滅相もない。為政者として貴方の足元にも及びません」
「ははっ、謙遜が過ぎるのはよくないぞ」
「なるほど。肝に命じておきます」
聖剣をアルベルトに返し、俺は改めて手を差し伸べた。
「一つ提案があるんだ。先日東の魔王領は人間界との交流を正式に認めた。今度はエントポリス王国が魔族の受け入れを認めてくれないか?」
聞けば長年エントポリス王国で「人間の敵」として討伐すべき対象に指定されていた俺の手配書は取り下げられたという。憶測に過ぎないが、アルベルトは魔族との交流を望んでいたのではないだろうか。
「もちろんそのつもりで手はずは整えています。国民感情もあるので今すぐにとはいきませんが、いずれは」
力強く、彼は俺の手を握り返した。
同時に試合終了の合図が響き渡った。