八話
「ただいま、帰ったでぇー」
オータミお婆さんの元気な声が流れてくる。
誰もいない筈の我が家だというのに、お婆さんは家から離れて帰ってくると、いつも畑である俺に向けて声を掛けてくれるのだ。
おかえりなさい、オータミお婆さん!
声が届かないことはわかっているのだが、こうやって元気に返事をする。
「聞いとくれるかい。お野菜が全部売れはってな。食べた皆が、美味しい美味しい、言うてくれて、村で唯一の料理店が二日に一度買取りに来てくれるそうや」
おおっ、良かった! これで、わざわざ売りに行く必要もないし、お婆さんが少しは楽ができそうだ。
それに、三日に一度キッチョームさんがやって来るが、他に人が訪れることがなかったおばあさんの元へ、二日に一度とはいえ、誰かが来てくれる。
話し相手も増えるし、その身に何かあった時、対応してくれる誰かがいるというのは心強い。
今日は一日中、ニコニコしながら上機嫌だったオータミお婆さんを見ていると、俺も嬉しくなってしまい、浮かれながら作業を続けた。
あれから数日が過ぎ、料理店の若夫婦が顔を出すようになり、何故かキッチョームさんが対抗意識を燃やしたようで、三日に一度だったのが二日に一度訪れるようになった。
キッチョームさんが日程をわざとずらしているおかげで、毎日人が訪ねてくるようになり、お婆さんが前にもまして嬉しそうだ。
あの猪もどきウナススを退治してから、更に能力の操作が上手くなり、害虫、害獣を退治するのも楽になってきた。野菜に栄養を与えるのも容易となり、この畑で採れる野菜の質は日に日に上がっている。
野菜を卸している料理店もうちの野菜を使うようになってから連日満員らしく、料理の評判を聞いて近隣の村や、かなり離れた町から食通がちょくちょく訪れるようになったと、前に来た時、喜んでいたな。
一人……一畑で夜空を見上げて、ふと思う。少しはお婆さん孝行できているだろうか。
最近笑顔が増えて、寂しそうな顔はしなくなった。それだけでも、畑として頑張ってきたかいがあったと思う。
全てが順調で畑という状況にも慣れてきている。
主であるオータミお婆さんと共に過ごす掛け替えのない日々。毎日が充実して、テンション高くお婆さんを盛り上げる日課もお手の物だ。
それだけに、不安になる。
オータミお婆さんはもう若くない。今は元気だが、そう遠くない未来、体が衰え自由が利かなくなるだろう。そして、いつか息を引き取ることになる。
それは生物としての定め。誰もが逃げることのできない命ある者の決まり事だ。
だが、俺は死ねない。寿命すら存在しない可能性が高い。
お婆さんを失い畑が放置されたら、俺はずっと一人で過ごさなければならないだろう。永遠の時を話し相手もいない状態で、どうしたらいいのか。
何で畑になんか転生させられたのか。考えるだけ無駄なのはわかっているのだが、考えずにはいられない。
駄目だな。睡眠を取る必要がないから、夜になるとついつい余計なことを考えてしまう。
もっとポジティブにプラス思考でいかないとな。
あれだ、ちゃんと目標を立てるべきだ。お婆ちゃん孝行をして立派な農作物を育てるという目的は達したと断定してもいいだろう。
なら、次のステップだ。
ここは初心に戻って土を操作できるようになりたい。
理想的な展開としては土で人間と見間違えるような精巧な体を作ることができれば、畑から解放され、自分の足で世界を回ることも可能になる。
それに、土を少しでも動かせれば、地面に文字を書いてお婆さんとの会話も夢じゃない!
よっし、決めた。日が昇っているうちはお婆さんの手伝いをする。そして、日が落ちてからは土を動かす訓練をしよう。
そう、俺は更なる進化を目指す!
土質変化。視界移動。吸収。
そして、新たに目覚める力は土操作!
俺は進化し続ける畑だ!
落ち込み悩んでいる暇はない!
そんな暇があれば自分磨きをした方がましだ!
目標が決まれば、あとは突き進むだけ。明日から、一段と気合を入れて頑張っていこう。あ、いや、明日じゃない今からだ。どうせ眠れないのだ。無駄なことを考える時間を全て土操作の鍛錬に当てていけばいい。
お婆さんの為にも、俺の為にも進化してみせる!
早朝は昔の少しだけ悲しい話を思い出し、農作物に水を与える。
そしてお婆さんが農作業を始めると、オリジナルお婆さん応援ソングを歌う。
オータミがただの老女ならー
別に期待はしーなーい
だけどオータミならー
オータミならー
ばっちりやれるはずー
耕せーオーターミー!
今日も頑張ろうーオーッ!
あっさりめのスポーツ応援歌風で攻めてみた。
テンションアゲアゲでいっているので、畑の開拓も順調のようだ。最近では耕さなくても種が埋められるのではないかと思うぐらいに、土壌を柔らかくすることが可能となっている。
この世界の時間が日本と同じかどうかは未だ不明だが、体感的には10時前後だろう。この時刻になるとやって来る人がいる。
どうやら、今日は料理店の夫婦のターンらしく、遠くから荷馬車を引く音が近づいてきた。
「オータミお婆さーん! 本日の野菜を受け取りに来ましたー」
畑の隅で作業中のお婆さんに聞こえるように、料理店の主人が大声を張り上げている。
オータミお婆さんは耳が遠くないので、そんなにでかい声は必要ないのだが、毎回毎回、料理店主は耳を覆いたくなるような大声を発している。
初めは親切でやっているのかと思っていたのだが、店主は通常時から声が大きく、あれが素の状態だと最近やっと気づいた。
「ああ、ようきたね。収穫は終わってんで。そこの持っていってやぁ」
「今日も見事な野菜ばかりだ。それにこの量。安定して野菜を大量に供給してもらえるから、うちは大助かりですよ!」
畑を取り囲む手作り感あふれる柵を乗り越え、畑に足を踏み入れた店主は、もぎたての野菜を手に取り、真っ白な歯を見せながら破顔している。
この店主、ボディービルダーの選手かと見間違えるぐらいに、体の筋肉が鍛え上げられている。身長も大きいので、店主というよりは戦士と名乗ってくれた方がしっくりくるぐらいだ。
その隣に寄り添うようにして立っている大人しそうな人が奥さんらしい。
旦那と対照的に線が細く、もう少し栄養を摂取した方が良いのではないかと心配になるレベルだ。腰まで伸びた黒髪を縛っていて、表情はいつも笑顔なのだが、少し寂しそうに見えるのは、そういう顔の造形なのだろう。
「そう言うてもらえたら、嬉しいわぁ。うちの農作物はこのお婆と、畑さんが一生懸命、愛情を注いで育てたお野菜やからね」
自分だけではなく畑としての俺の活躍を認めてくれる発言に、胸の奥……土がじんわり温かくなる。
「畑にさん付けか! 確かにオータミお婆さんの畑には土の精霊様が宿っているのかもしれないな! 精霊様が宿った土は農作物の育ちがいいと聞いたことがある!」
精霊様? え、俺って畑じゃなくて土の精霊の可能性がっ!?
てか、この世界には精霊が存在しているのか。
畑転生ではなくて実は土の精霊。うん、悪くないな!
やはり精霊というからには精霊の体が存在するのだろうか。イメージでは半透明で土色の中性的な美少年といった感じなのだが。
「精霊様はおらへんかな。お婆は昔、こう見えても魔物を退治するハンターをやってたんや。そん時に初歩やけど精霊様を操る術を学んだおかげで、精霊様を感知することができるようになってな。この畑には土の精霊様は存在せえへんで」
何と、お婆さんは若かりし頃、精霊使いだったのか!
それに、魔物を退治するハンターという職業があるのか。
お婆さん言葉を信じるなら、土の精霊じゃないのは残念だが、過去話が聞けて得したな。
「ほう、そうなのか! そういや、オータミお婆さんはこの村の出身ではなかったな!」
「そうやね。四十過ぎた頃にこの村にやってきて、ここに住ませてもろうとるよ」
移住してきた人なのか。どうりで、お婆さんだけ方言というか話し方が村人と違うのか。関西弁っぽい訛りだけど、少し違う感じなんだよな。
「精霊様はおらんが……不思議な存在は感じとるよ。いつも、お婆を励まして、一緒に畑を守ってくれる、そんな存在がいるように思えるんや」
オータミお婆さん……やっぱり、薄らとだけど俺の存在に気づいてくれていたのか。
そっか、うん、ありがとう。これからも一緒に頑張ろう、オータミお婆さん。