七話
「丸まると太った、美味しそうな子たちやねぇ」
いつもより早く起きたオータミお婆さんが、実った野菜を見つめて顔中の皺が深くなる。心の底から嬉しそうに笑う姿を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになってきた。
「そやけど、みんな成長がはやーて、驚いていたんやけど、どの子も美味しそうに育って、ほんま嬉しいわぁ」
本来は収穫までに一か月はかかる野菜らしいのだが、俺が栄養を送り込んだ効果なのだろう、たった二週間という約半分の期間で育ちきってしまった。
まだ、育成途中の野菜もあるのだが、それもいつもより成長が異様に早いとお婆さんが口にしていた。
この二週間で収穫までこぎつけた野菜は二種類。
まずはタミタと呼ばれる赤い実を付ける野菜だ。畑に突き刺した何本もの支柱に蔦が絡み、伸びていく野菜で、黄色い花が咲き、それが枯れると緑の小さな実がなる。
それが徐々に大きくなるにつれ、赤みが増していき。収穫の際にはその実は真っ赤に色づく。
とまあ、細かい描写を入れてみたが、一言で表現するなら――トマトだ。
で、もう一種はニセという紫色の実。これはナスだ。
タミタとニセは栄養が行き届き、みずみずしく見るからに美味しそうな実を幾つもぶら下げている。
「めっちゃ美味しそうやねぇ。一つ味見してみんとなぁ」
オータミお婆さんがタミタの実をもいで、服の袖で実を磨くと、少しひび割れている唇を大きく開け、噛りついた。
「な、なんや、これわっ!」
え、ど、どうしたんだ?
いつも穏やかな表情のオータミお婆さんが、両目をカッと見開いている。これは、どっちの反応だ。美味しいのか、それとも……。
「むっちゃ、味が濃いわぁ。それに、みずみずしくてたまらん美味さやっ」
おおおっ、お婆さんが貪るようにタミタを完食した。
そ、そんなに美味しいのか。くそう、畑じゃなければ俺も食べたかった!
「はああーーっ。長年やってきたけんど、こんなに美味いタミタは生まれて初めてやわ。ほんなら、このニセは、ど、どないなっているんや」
オータミお婆さんがいつもと違うっ! 何か呼吸荒いし、目が爛々と輝いているぞ。味に感動してくれているのは嬉しいが、何かちょっと怖いんですけど!
お婆さんの震える指がニセに伸び、タミタと同様にもぎ取られたニセを、躊躇うことなく口に運んだ。
ど、どうなのかな。こっちも美味しかったらいいんだが。
今度は何も話さないまま、咀嚼を続けている。口の動きが止まると、喉が一度膨らむ。どうやら、飲み込んだようだが未だにリアクションが無い。
お、お婆さん? えっと、空を見上げて硬直しているけど、大丈夫?
「うっ、うっ」
え、何だ何だ!? もしかして、喉に詰まったのか!? み、水を早く飲まないと!
「うんまあああああい!」
お婆さんと出会い二週間以上が過ぎて、初めて聞いたオータミお婆さんの絶叫だった。
「な、なんや、この旨味は……噛むたびに口に広がる旨味のエキス。表皮は程よい硬さでありながら、中はシャキシャキしながらも柔らかく、衰えた顎でも充分に噛みきれる。あかん……これはあかん。病み付きになる美味さや」
じょ、饒舌ですねオータミお婆さん。というかキャラ変わっていません?
ニセのヘタまで食べそうな勢いで完食すると、今度はタミタに手を伸ばそうとしたところで、我に返ったようだ。
「はっ、危なかったわ。ちゃんと収穫せんと。今日は村の朝市にいかんとあかんのやった。こんの野菜持って行かんとな」
危ない危ない。このまま全部食べ尽くしそうだったからな。
今日は朝市があるのか。俺とお婆さんが丹精込めて育て上げた愛娘たちが嫁に行く日が……そうか、うん。幸せになるんだよ。
ああ、赤面症で誰よりも赤い顔の美代子がぁ。
くぅっ、最後まで人見知りで、皆と離れた場所に実を付けていた幸江まで嫁いでしまうのか、寂しくなるな。
あ、その子は色白で誰よりも可愛らしい雪も連れて行くというのかっ!
ぬおおお、まり恵、秀美、翔子、お菊、真紀、直子、真里菜――
名前まで付けて、毎日毎日栄養を与え続けた愛娘たちが、お父さんの手から離れて旅立ってしまうっ!
行かないでくれええええぇ、私の可愛い娘たちよおおおおぉ。
……え、何で女の名前ばかりかだって?
そりゃ、育成するなら男より女の子がいいに決まっているじゃないですか、やだなぁ。
まあ、冗談はさておき、大切に育ててきた野菜たちが収穫されるというのは、嬉しくもあり一抹の寂しさもあるというのが正直なところだ。
朝市で並ぶのか。どう評価されるのか心配だけど、オータミお婆さんの反応を見る限りでは、安心していいだろう。
ところで、どうやって運ぶのだろうか。荷を運ぶ動物を飼っている気配はないし、大八車みたいな物があったとしても、オータミお婆さんが一人で運ぶのは辛いと思うけど。
「オータミさんやー! 準備はできたかのぉ」
「キッチョーム爺さんや。今終わったでぇ。いつもあんがとな」
「いいってことよ。うちの荷も運ばんといかんしな」
この声は、三日に一度は何か理由を付けてやって来るキッチョーム爺さんじゃないか。
そうか、キッチョームさんが荷馬車か何かで運んでくれる段取りになっていたんだな。なかなか、やるじゃないかキッチョーム爺さん。
誰よりも大切なオータミお婆さんだが、キッチョームさんなら、まあ、許してやらんこともないぞ。
本当はずっとこのまま、ここで一緒に二人っきりで過ごしたいが、オータミお婆さんが時折、凄く小さく見える時がある。遠くを見つめながら、今にも消え入りそうな雰囲気で、寂しそうに笑うのだ。
俺はお婆さんに話しかけることもできなければ、見えないところで何かがあったとしても、なにもしてやれない。
あの歳だと、いつ何があるかわからない。急病で倒れたり、大怪我を負うこともあるだろう。緑魔という化け物も存在する世界だ。一人でいることがどれだけ危険なことか、それはオータミお婆さんも理解している筈だ。
幸せを願うなら……はぁ、俺が気に病んでもしょうがないか。決めるのはお婆さんだし、俺には口出しもできないからな。
よおおおし、気分を切り替えて頑張ろう。
朝市から帰ってくるまでに、またぽつぽつと発生してきた雑草を処分しておくかな。
そういや、最近、害虫や害獣が増えてきているが、もしかして、成長してきた野菜から溢れ出る美味しそうな匂いに釣られて、寄ってきているのかもしれない。
あのお婆さんのリアクションを見ていたら、その予想が当たっているような気がしてきた。
雑草も害虫も害獣も俺にしてみれば、美味しい野菜を育てる為の栄養だ。最近では三本足のカラスも仕留められるようになった。
鳥なので足元を幾らグジュグジュにしても、羽ばたいて逃げられたら終わりだと思っていたのだが、どうやら足の踏ん張りと飛び立つ前の跳躍がかなり重要だったようだ。
飛び立とうとする度に、地面を蹴り上げようとして更に泥へと埋まっていく悪循環が発生し、畑へと沈んでいった。
そう、今の俺に恐れるものは何もない。畑無双状態だ!
いや、それは言い過ぎだったか。奴がいたな……キングオブ害獣。三度この畑に現れ、一度目はかなりの痛手を負ってしまったが、残り二回は何とか敗走させることができた。
だが、ヤツは再び現れるだろう。俺の勘がそう告げている。
今、何かの足音が……四足で大地を踏みしめる、猛々しい音。忘れようがない、ヤツの気配。
ふっ、きやがったか。以前荒らされた際にオータミお婆さんが語っていた、ヤツの名はウナスス。
猪に似た見た目で、口から飛び出した二本の鋭い牙と、おでこに生えた一本の角がシンボルマークの野獣。
今度こそ、白黒ハッキリつけさせてもらうぞ!
とうとう、禁断の扉を開ける時が来た!
そうあれは、中学三年の夏。
初めてできた彼女とクリスマスにデートの約束をしたのだが、前日に彼女は急病にかかりデートは取りやめとなった。彼女の体調を心配しつつ、独りぼっちのクリスマスを過ごすことになった俺は、寂しさを紛らわす為に町へと繰り出した。
その時、俺は街中で見てしまったのだ。病気で寝込んでいる筈の彼女が、俺の唯一の友人と一緒に腕を組んで歩いてい――
あっ、ウナススが泥に埋まって、ぐつぐつ煮えている。
悲しみと激怒の連鎖反応により、高温の泥の中で生きながら煮られたようだ。
さすが、俺のトラウマだな。効果は抜群だっ!
……鮮明に思い出し過ぎて軽く死にたい気分なんだが、畑だから自害の方法すらわかんないや!
はっはっはっはっはっは、はああああぁぁぁ。
お婆さん早く帰ってこないかな。




