一話
「本当に行かれるのですね。寂しくなりますわ」
ジェシカさんは目元の涙をハンカチでぬぐいながら、俺の様な存在との別れを悲しんでくれている。
まだ日が昇る前だというのに北門の前にはずらっと人々が並んでいた。
「守護者さんの飯が食えねえとなると、禁断症状でちまいそうだな」
「この町の野菜もかなり美味しくなってきたから、大丈夫よ。ねえ、畑さん」
そう言って別れを惜しんでくれる親子がいる。
ゴウライさんとナセツさんは、自分たちで製作したありったけの農具や日常品をお礼として渡してくれた。
「私はこの町が安定するまで、暫くここに滞在します。本当は守護者様……守護者さんと共にまいりたかったのだが、王女として私は」
ハヤチ王女は唇を噛みしめ、悔しそうに眉尻に皺を寄せている。
農作業をしている時のハヤチさんはいきいきとしていて、王女という立場でなければ本当に付いてきたかったのだろうな。
さっきの言葉に嘘偽りのないことが表情から伝わってくるよ。
「守護者様……ではありませんでしたな。守護者さんの旅立ちに同行したいところですが、ジェシカ様のお傍に私がいませんと、お嬢様が嘆き悲しみ、枕を濡らす日々にその身が苛まれてしまいますからね」
「ないない」
しれっと言うステック執事の隣で、ジェシカさんが大きく手を左右に振っている。相変わらずだな、この二人は。
「私もボタンちゃんたちと一緒に、一緒に行きたいですがっ! 行きたいのですがっ! 残念なことに、ジェシカ様のお漏らしを、そっと洗う役割は私しかできませんので」
「偽証罪で牢屋に放り込んでやろうかしら」
地団駄を踏んで、苦渋の決断をするメイド、モウダーの背後でジェシカさんが拳を握りしめているぞ……。
今後が少し心配になるが、ジェシカさんたちには当たり前の日常なので、これからも変わらずにいてくれたら嬉しいな。
「皆さんお世話になりました。今日までの日々、本当に楽しかったです」
キコユが穏やかに微笑み、頭を深々と下げている。隣に並ぶボタン、黒八咫、ウサッター、ウッサリーナ、ウサリオン、ウサッピーも揃って礼をした。
この町に来る前のメンバーに戻るだけなのだが、寂しく感じてしまう。
別れを悲しむのはやめておこう。今生の別れじゃないのだから。魔物の国で上手く立ち回ることが出来れば、再びここへ戻ってこられる筈。
それまで、ほんの少し別れるだけだ。
俺は畑の上に巨大な土板を形成すると、最大限まで大きくさせた土の腕を地面から派手に生やし、板に書き込んでいく。
『いってきます!』
俺は畑の上にキコユたちを乗せたまま、地面から姿を現していく。
見上げている皆に向けて、土の腕を最大数の20本出して、全力で大きく手を振った。名残惜しいがその場から走り去っていく。
移動形態は道幅にあわせた、少し長く細いフォルムだ。
後方に視界を移すと、遠ざかる門の前で手を振り返す皆が見える。
山に住んでいた頃には想像もしなかった光景だな。折角動けるようになったのだ、俺はこの世界を満喫するぞ。
魔物の国との戦争を止めさせるという大きな目標はあるが、不謹慎を承知で言うけど、それだけじゃ面白くない。魔物の国を周り世界の風景を見て回り、変わった野菜とかも見つけたいな。
その為にはまず、この道の先に待つであろう敵軍との衝突だな。
「何度も言うようじゃが、正気かえ?」
畑の上に地下室から出てきたクョエコテクがいる。
捕獲してから三ヶ月が過ぎ、俺は彼女を解放することにした。野菜に魅了されて扱いやすくなったのもあるのだが、今は彼女がもう一度敵に回ることは無いと確信している。
『正気だよ』
あれから土操作の能力が向上したので、今は土の板に手を使って書かなくても、頭に思い描いた言葉を、そのまま瞬時に刻むことが出来る。
「お主に死なれると、あの約束が意味を成さぬようになるのじゃがな」
そう、クョエコテクとは取引をしている。仲間になる条件として、ある要求をしてきた。その内容は――
『大丈夫。ちゃんと切り抜けて、クョエコテクが治める町に野菜を提供するから』
彼女は魔物の国の町を一つ任されているらしく、そこは吸血魔ばかりが住んでいるそうだ。
吸血魔はクョエコテクや下僕たちなみの個体の強さがあれば、昼間も自由に動けるのだが、一般的な吸血魔は陽の光に弱く、日中は屋外に出ることが叶わない。
その為、ただでさえ作物の育たない厳しい環境だというのに、野菜をまともに育てることができず、常日頃から食料不足に悩まされているそうだ。
そこで、俺の出番となる。荒れ地にも平然と芽を出し、水なんて一日一回、夜中にでもちょっと与えるだけで美味しく元気な実を付ける野菜たちを譲ってほしいと、申し出があったのだ。
その時の言動を完全に再現するとこうだ。
夜中に地下室から俺に声を掛けてきたクョエコテクがいた。
「畑よ、起きておるか」
自ら俺を呼ぶなんて珍しいなと思いながらも、俺は返事をする。
『睡眠は必要ないので、いつもおきているよ』
「そうじゃったのか。ならば、眠っている隙をついて逃げ出す策も無意味であったか」
口では今でも、脱走してやるとか、仲良くするつもりはないとか言っているが、以前緩んだ表情でボタンとかウサッター一家を撫でていたよな。
それに、キコユにも優しく対応してくれているようだし。
『何かようかい?』
「ふむ、一つ相談……いや、提案があるのじゃよ」
胸の前で手を組みあわせて、何かモジモジしているな。顔もほんのり赤みがかっている。照れているのだろうか。
はっ!? このシチュエーション、何処かで見た記憶がある!
そう、あれは中学三年の春だ。
モテない同盟を結んでいた友人の一人が、その日、朝から様子がおかしく気もそぞろで、俺は彼に不信感を覚えた。
いつもは平然と女子の前でも下ネタを口にする彼が、今日に限って下ネタどころか、天気や政治の話をしだしたのだ。
本気で病気か何かなのかと心配になったのだが、放課後が近づくにつれ彼の行動は更に落ち着きがなくなってきた。
そこでピンときてしまった。そういえば、俺がトイレから戻り、教室に入る前に窓から彼を見ると、紙を見てニヤニヤと笑っていた。その時は朝に返還されたテストが、良い点数だったので、隠れて喜んでいるのかとでも思ったのだが。
放課後になると予想通り、用事があるから先に帰ってくれと友人が口にしたので、俺は大人しく帰った振りをして、跡をつけたのだ。
そして、体育館裏まで辿り着いた友人は、そこにいたクラスメイトの女子に――
ふっ、俺にも春が来たか。今、冬だけど。
なるほど、今までの態度は、好きだけど素直になれないという、定番のツンデレ行動だったわけだ。おいおい、俺はちょっと美味しい野菜を育てるだけの畑だぜっ?
子猫ちゃん、俺に惚れたら野菜食わすぜ?
ふっ、畑なのにモテてしまうとは。これも俺の魅力が土から溢れ出てしまっているせいか……モテる土壌は辛いぜ。
「あ、あの、その、なんだ……その野菜の種を譲ってくれ! 仲間にでもなんでもなるから!」
あ、はい。
苦い思い出がまたひとつ増えたか……。
その時の交渉で、仲間になることが決定して、あれから態度も軟化したから、悪いことじゃないのだけど。まあ、いい夢見させてもらったよ。
実際、万が一、告白されていたとしても信用して無かったけどな。ほ、本当だぞっ!
そんなこんなで関係も良好になり、こうやって気軽に話せる仲になった。
「何度も言うが、左足大将軍であるマゲリ様は我々、二十指将軍とは桁が違うぞ。お主は確かに強い。魔王軍に入れば二十指将軍の上位に名を連ねるだろう……だがな、四肢将軍は桁が違う。おそらく、お主でも勝てぬ」
わかっている。わかっているからこそ、今の内に対応しておくべきなんだ。
相手が俺の情報を完全に掴んでいない、今だからこそ勝機もある。それに――
『基本は話し合いだよ。話の通じない相手じゃないのだろ?』
「部下には寛容で、分け隔てなく接する方じゃが……それが人間相手となると容赦のない御仁じゃからのう」
『俺は畑だからいける、いける』
「う、うむ。まあ、少しは可能性があるやもしれんが」
俺を気遣って心配してくれているな。甘く見積もったりしていないから、安心してくれ。危険は承知の上でちょっかいをかけるのだから。
「もう一度説明しておくぞ。マゲリ様はお主に匹敵するぐらい大きく、その体は鋼鉄のような重厚な皮膚に覆われている。その爪は長く鋭く、どんな物も容易く切り裂く。そして、お主と同様に土操作の加護を得ておるのじゃ。お主の得意とする土操作による小細工は通用せんと考えておいた方がよい」
その巨体の為に道を通ることができず、後方で待機しているとの話だったな。
土竜という種族の名に相応しく、土を操り防御力も高い。俺とは相性が悪そうだ。
話し合いが上手くいかなかった場合は、即時撤退も頭に入れておこう。
「そろそろ一本道を抜けて、左足大将軍の陣営じゃぞ」
『ありがとう。気合入れていくよ』
畑の上に立つ仲間たちが隠れられるように、防御用の壁を制作しておく。
キコユは念の為に地下室で待機だ。他の面子は攻撃態勢で待機している。
細い一本道があと少しで終わり、その先には魔物が密集している。そして、最後尾に堂々と佇む、茶色く巨大な物体。あれが左足大将軍マゲリか。
確かに鋭い爪に固そうな身体だ。それに長い鼻につぶらな瞳。
あれって巨大な……もぐらだ。




