十八話
よっし、味方は全員俺の体の上から退避完了したようだ。
『狂騒』の影響で理性を失い、盲目に敵を追っていた豊豚魔の大半が載っていることを確認すると、向こう岸を掴んでいた土の腕を離した。
味方側の道はがっしり掴んでいるので、長く伸びた俺の体は支えを片方失い、崖へと垂れ下がる。
「ぶひゅうおおおおおぉぉぉ!」
「ぶひゃああああぁぁぁ!」
足止めの為に泥化した地面に足首まで埋めていたのだが、地面の硬さを元に戻して、地面の上にいた連中を全員解放した。
底の見えない深淵に何千体もの豊豚魔が吸い込まれていく。
想像以上に上手くいったな。
作戦はそう難しいものじゃない。畑の形を変形させられることを利用して、細長い蛇のような畑へと変化させて、敵にも味方にも見つからないように、土の中を移動していた。
そして、あの曲がり角の先で激しい戦いが繰り広げられている最中、俺は一所懸命体を伸ばして、一本の道に化けて待ち構えていただけだ。
口で言うのは簡単なのだが実際はかなり大変だった。味方にも敵にも気取られてはいけないので、出来るだけ音をさせないようにじわじわと伸ばしていった。
途中、伸びた身体が重さでぽっきり折れそうになったので、慌てて腕を伸ばして崖を掴んだり、風で煽られて谷底に落ちかけたりと、悪戦苦闘をしていたのだが、その苦労は十二分に報われた。
あの時の光景を第三者視点で見たら、毛虫辺りがうねうねしながら枝を渡っていく感じに似ていそうだ。
道に擬態して一気に敵を仕留めるというのは、我ながら凶悪だな。
空を飛べる相手なら効き目は薄いが、豊豚魔は絶好の獲物だ。『狂騒』の効果もこの場合はありがたい。思考力が落ちているので、敵を追うことしか考えず、道が分かれているのに気付く者が誰もいなかった。
道の幅は10メートルまで細くして、限界まで畑を伸ばしたら1000メートル、1キロ近く体が伸びたのには驚いたが。
その体の上を四から五列で豊豚魔が密集状態で追いかけてきたから、たぶん、四千近くを谷へ落とせた。
今までの攻防で相手の戦死者は六千から七千といったところか。壊滅状態なのだが『狂騒』が発動している限り、残りの兵士の戦意は喪失されないようだ。
俺は崖から這い上がり、細い体を道に上げて幅を40メートル程度の太さに変更しておく。これで、道幅より少し細いぐらいだろう。
「な、なっ、何だあれは!」
援軍で来た騎士団の人たちが、地面に座り込み大口を開けている。腰を抜かしたのかな。いきなりこの姿を見たら、そりゃ驚くか。
大丈夫ですよー。人畜無害な畑ですよー。
畑の後方に土の手を一斉に出して、騎士団に向けて大きく振ったら、腰を抜かしたまま涙目で後退っている……そんなに驚かなくてもいいだろうに。
本来の道を豊豚魔の群れが突進してきているのだが、俺の高さ10メートルの体が邪魔らしく、少し隙間を開けていた道の両端を通り抜けようとしている。
こんな細いところを、そんな巨体で良く通ろうと思うな。怖いという感情より、相手を殺したいという欲望の方が勝っているのかね。
順調に俺の脇をすり抜けようとしている豊豚魔の群れが長い列を作り、もうすぐで通り抜けられそうになったところで――畑の太さを変化させた。
道幅よりも少しだけ太くなった俺の体に押し出された敵兵は、お馴染みの谷底落下コースだ。普通考えればわかりそうなものだが、思考力が落ちるというのは恐ろしいね。
もう一度体を細くして再び脇を通らないかと期待したのだが、そこまで馬鹿ではないようだ。残っている敵が畑の側面に槍を突き刺している。
土の体に穂先が何度も何度も潜り込んでくるが、別にどうってことはない。このまま、体力が尽きるまでやらせてもいいが、正体を明かしたまま、暢気に構えているわけにはいかないか。
「まさか、巨大な土の塊が、ぶひっ、動くとぶふぁ」
慎重派だな。警戒して俺の上に載っていなかったのか。
敵軍の後方で、神輿に担がれた親玉っぽい金の豚が、鍋で煮込み過ぎて煮崩れしたかのような顔を向けている。
いつの間に最後尾に移動したんだ。俺の策を読んだってわけじゃなさそうだな。勝利を確信して観戦モードに入っていたから助かったという感じか。
「貴様ら落ち着くぶひっ! 『狂騒』解除するぶふぉー!」
一心不乱に畑の側面に槍を突き付けていた豊豚魔たちの目から、狂気の色が消えていく。
自分が何をしていたのかを理解したようで、手持ちの槍を放り投げて脱兎……この場合は脱豚のように逃げ出した。
「逃げるでないぶふぉぉ! 相手が土の塊ぶひなら、風属性をぶつければぶひと、相場が決まっているぶふぉ! 魔法使いどもよ、かかるぶひぃぃ!」
ローブを着込んだ豊豚魔の一団が前に進み出てきたな。
魔法か。土には風というのは属性の問題か。ゲームでよくあるよな。水は火に強く、土は風に弱いとか。なるほど、そういう概念はこの世界でも共通しているのか。
風魔法ね。土に有効とは言っても、この巨体をどうにかできるのだろうか。今まで魔法を喰らったことなかったから、ここで一度経験しておくのも一興かな……死なないよね?
「放つぶひいいいぃ!」
号令にあわせて、五十近くのローブ姿の魔法使いらしき者たちから、風が吹きつけてきた。
風の刃が降り注ぎ、強風が吹き荒れるが、うむ、体の土が少し舞い上がるが、風が止むと俺の体へ戻ってきている。
畑の土は呪いのせいで体から離れることができなかった。今はキコユの破呪の力により、自在に動き回れ土も持ちだせるが、それは俺が意識的に切り離した場合だけで、それを許可しなければ、土たちは少量であれば自然に畑へと戻ってくる。
実は自己修復機能も兼ね備えているのだ! 自画自賛するようだが、便利な畑だのぅ。
相手が満足するまで気長に待っていたが、そろそろ、魔力も尽きてきたのかな。風が止んだ。
「馬鹿な、馬鹿な、完璧な作戦がっ」
語尾のぶひが抜けていますよ。余裕がなくなると、ぶひぶひ言わなくなるのか。
さて、どうしてくれようか。戦意喪失している相手を一方的に蹂躙するのも後味が悪いが、放置しておくのはもっての外だ。豊豚魔は食人種らしいからな。
実際多くの兵士があいつらに食われたと、ジェシカさんも語っていた。
親玉だけゲットして後は肥やしになってもらうか。
よいしょっと。畑の側面下部から土の腕を生やし、いつもの移動形態へと変化する。
「ひぐうっ!?」
「ば、化け物っ!」
前からは息を呑む声。後ろからは罵倒が聞こえるのですが。
豊豚魔が驚くのはわかるが、援軍の騎士団は失礼だな。いや、違うな。今までの人たちが寛容だっただけか。普通の人の反応はこうなのだろう。
防衛都市を守っていた兵士も初見は同じだったしな。
さあ、道から落ちないように突進だ!
「ぎゃああああ、化け物だあああっ!」
「土がっ、土がっ、土がっ、面妖な何かが、迫ってくるっ!」
魔物に化け物言われるとちょっと傷つくな。そんなこと言う子は更に速度アップだ。
両手を激しく動かし、道幅と同等の土の塊が腕を生やして激走する姿を、想像していただけるだろうか。恐怖以外の何ものでもない。
おうおう、死に物狂いで逃げておるわ。これじゃどっちが悪者か迷うところだが、俺は畑だから問題ない。ということにしておこう。
追いついた敵を跳ね飛ばしながら、たまに畑に取り込むのも忘れない。正直、今日はこれ以上、養分は必要ないと思うのだが、エネルギーを溜め込んでおいて損は無いだろう。
徐々に親玉へ近づいているのだが、呆然自失なのか俺を見つめているだけで、何の反応もない。じゃあ、遠慮なく豊豚魔を駆逐しながら親玉を捕獲しますか。
相手の醜い顔がどんどん大きくハッキリと……おい、何だその表情。何で、この状況で笑っていられる?
罠だとでも言うのか。兵の大半を失い、自分の命も風前の灯火だというのに。何が出来るというのか。はったりで強がっているにしては、ムカつく笑顔だ。
捕獲はやめて、処分しておこう。何か嫌な予感がする。
何もないならそれに越したことは無いが、妙な事を企んでいるのなら、実行に移す前に潰せばいい!
まだ、親玉から距離があったが腕を限界まで曲げて、力を蓄える。そして、溜めた力を一気に開放して、大きく跳び上がった。
道に何かが仕込んでいるなら、跳び越えればいいだけの話。このまま、圧縮してやる。
ウサッターの時ほどじゃないが体が浮遊感に包まれ、無風状態の上空で体が一時停止する――ちょっと待て、無風だと。
強烈に吹き荒れていた谷風が一切感じられない。黒八咫の様に強靭な肉体であれば、何とか飛べるぐらいの暴風が吹き荒れていた上空に、風が無い。
「ぶひひひ、今日は二ヶ月に一度の風が止む日だぶひぃ! つまり、飛行ぶっ」
畑の下であっさりと潰れた豊豚魔の親玉。確か、タワキテだったか。そいつが落下中に何か言っていたな。風のない状態で飛行ときたら、相手の援軍か。
「空を見ろ! 敵の増援だっ!」
誰かの叫ぶ声に釣られ視線を向けると、防衛都市とは真逆の方向の空が黒く染まっている。また大量の援軍だな。
点のようにしか見えないから距離は結構あるようだけど、到達時間はどれぐらいなのだろう。
こっちはかなり疲労していて、戦力も激減している。その状態で空からの攻撃。ただ、そんなに高くは飛べないらしく、見た感じ、地上から20メートル程度。俺の倍の厚さぐらいか。
敵の情報はある程度収拾を終えているが、再確認しておくか。
畑の地下室に入れておいたクョエコテクをもう一度、畑に生やしてみた。
地面から勢いよく現れたクョエコテクが、じっとこっちを睨んでいる。
「お主は、もう少し配慮というものを知らぬのか。訳もわからず揺らされ続けたと思えば、唐突に畑の上に召喚される者の身にもなってみい」
一応、捕虜の筈なのだが、相変わらず偉そうな態度だな。
『くじょうはあとで えんぐんの やくしょうぐんについて もういちど おしえて』
クョエコテクの対応については後回しにして、いつもの筆談で質問をする。
「ほう、あ奴らが援軍で来おったか。ということは風が止んでおるのか。数か月前に一度風が止んだことがあったが、それを計算しての援軍となると……あのベチ野郎そこまで考えておったのか」
なるほど、勝手に呟いているだけだが、援軍がタイミングよく現れた理由がわかったよ。あの親玉、何も考えてないような顔をして、意外と頭が回るタイプだったからな。
泥の深さを調べた上で攻めてきた手際から考えても、風が止む日を読んでいた可能性は高い。
殺さずに、生かしておくべきだったか。頭が回るということは、魔王軍についての情報も、この吸血姫よりかは詳しく知っていただろう。
まあ、畑の下で圧縮されているので、今更どうしようもないが。
「薬将軍の飛行部隊は翼人魔と鳥系の魔物が大半だ。風の加護を得ているやつらが大半じゃぞ。幾らお主でも苦戦するのではないかえ」
口元を押さえ意地の悪い笑みを浮かべている。俺が万が一倒されたらどうなるか、わかっているのかね、クョエコテクは。
『たおされたら やさいも くだものも だせなくなるのだが』
「そ、そうじゃったな。しかし、あと出せる情報となると、そうじゃ。将軍は純白の鳥の翼が生えた金髪の美男子じゃよ。我の下僕に加えたいぐらいじゃが、強力な風を操る男で、妙なちょっかいを掛けると、こちらがやられかねぬ」
相手が強いということをアピールしたいようだが、クョエコテクって死者を操作する以外に何かできるのだろうか。あと、血を吸って下僕にするのは教えてもらったが。
『くょえこてく つよいの?』
素朴な疑問を土板に書くと、顔が見る見るうちに赤く染まり、顔中に血管が浮き出た。長い前髪に隠れている赤い瞳が、ぎょろりとこっちを睨んでいる。
ホラー映画のワンシーンのようだ。
「お主は、我の力を甘く見ておるようじゃな。我は死人を操り、闇属性に精通した吸血魔じゃぞ! 人など片手で握り潰す握力。人の体など容易く撃ち抜くことが可能な、魔力弾の乱射。闇の霧により相手の体の自由を奪うことも可能。あまり、なめるでない」
殺気混じりの視線が突き刺さるが、怖いという感情は湧かない。生身の体があれば射すくめられ、恐慌状態に陥っていたかもしれないが俺には痛覚がない。そして、たぶん不老不死。
そんな体になってしまったせいか、本気で怯えるということがなくなってしまった。
「主がこの土の何処かに隠れているのはわかっておる。その居場所を突き止めたその時が……お主……の……命……に……ち……」
話が長くなりそうだったので、畑の中に埋めておいた貯蔵庫からルワガを取り出し、クョエコテクの前でブラブラさせてみた。
両手を伸ばしながら追う姿がちょっと可愛い。年齢不詳ではあるが、小柄で赤い変な模様の入った黒のワンピースを着ている全体図は、子供に見えなくもない。顔を隠している前髪からちらちら見える、半眼の薄気味悪い目つきを除けば。
今はルワガに意識を取られているようで、油断しきった表情をしている。いつも、こんな感じでいてくれた方が好みなのだが。
これ以上からかうと後が面倒そうなので、ルワガを渡して再び、地下室へ帰還してもらう。
そんなことをしている内に、援軍がかなり迫ってきたな。
空の敵をどうやって倒すか、思案のしどころだ。




