四話
不幸中の幸いと言うべきか、昨日の一件による畑の被害は少なかった。
液状化した一帯はまだ種が埋められていない場所だったので、お婆さんの苦労が水の泡にならなくて済んだ。
これからは感情を操る場合も、発動箇所を選べるように努力していかないとな。
反省もしているが、あの行為に対するメリットもあった。お婆さんが無事だったのは言うまでもないが、悲しい感情を引き起こすことにより土が水分を含むことが判明した。
感情の起伏を調整することにより、畑が水を撒いた後のような土壌へと変化することが可能となった。水不足らしいので、この能力はかなり役立つだろう。
「オータミさんや! 昨日は大丈夫だったかね」
おっ、お婆さんとは違う人の声が聞こえる。
とうとう、二人目の人間の登場かっ!
「おー、なんや、キッチョーム爺さんやないか。どないしたんやぁ」
ふむふむ、新たな住民はキッチョームというのか。なかなか、ダンディーな声をしているが、爺さんと呼ぶぐらいだからお婆さんと同年代なのかもしれないな。
「昨日は大丈夫じゃったか? 村にはぐれ緑魔が現れたんじゃが、オータミさんのところは被害がなかったかいな?」
「そやったんかぁ。うちんとこは、なーんもないわぁ。平穏無事、穏やかなもんや」
よく見ると畑に足跡が残っている筈だが、そんなの知らないで済むならそれでいいか。
それよりも、お婆さんの名前はオータミさんというのか。これからはオータミお婆さんと呼ぶことにしよう。心の中でだが。
そして、あの緑のオッサンは緑魔というのか。覚えておこう。
しかし、会話は聞こえどキッチョームさんの姿が見えない。まあ、人の畑に足を踏み入れるのは失礼にあたるから、当たり前か。
「それならいいんじゃが。なあ、オータミさんや。こんな村外れの場所に居座らんと、うちに来たらどうじゃ。その、なんだ、うちは息子夫婦も、孫もおる。色々安心できるじゃろ。子供たちもオータミさんのことを好いておるし」
なんだ、この甘酸っぱい空気と煮え切れない態度は。
キッチョームさんは、もしかしなくてもオータミ婆さんのことが好きなのか。
「いつもありがとうなぁ。でんも、ここは爺さんと過ごした大切な場所やから、離れるわけにはいかんのや。そいでも、気にかけてくれて嬉しいんやで」
そうか、お婆さんは一人でこの場所を守っているのか。
ここは村外れだからご近所の人を見かけることがなかった。オータミお婆さんの身を案じるなら村に引っ越して、日々を過ごした方がいいに決まっている。
でもそうしたら、俺は一人になるのか。誰もいない放置された畑。誰と接することもなく、日々が無為に過ぎていくだけ。そうなったら、寂しくなるな。
「それになぁ、何か最近、この畑が可愛く思えてきてなぁ。なんや、まるでこっちの言葉がわかってくれているかのように、土質がころころ変わるんや」
お婆さん……俺のことを僅かながらも感じ取ってくれているのか。
それが、偶然なのか気のせいなのか、ただの勘違いなのか。そんなことはどうでもいい。
少しでも、オータミお婆さんの力になれるのなら、俺は全力を尽くすのみだ。
「土質がのぉ。気のせいだと言いたいところじゃが、オータミさんの加護かもしれんなぁ」
「生憎、土と話せる加護は所持しとらんなぁ」
「わしも聞いたことは無いの、そんな加護は。まあ、なんじゃ、気が変わったらいつでも言うとくれ。うちらはいつでも歓迎するからの」
「ありがとうなぁ、キッチョーム爺さんや。大丈夫やさかい、安心してや」
そうだ、安心してくれキッチョームさん。オータミお婆さんには俺がついているから!
これからも、一緒に頑張って農作物を育てていこう。
ところで……加護ってなんだろう。二人が口にしていたが加護という言葉が意味するのは、神様や仏様が全ての人間を護るってことだったか。
ファンタジー系のゲームや小説だと特殊能力とかの表現で使われることもあるな。
会話内容から想像すると、どうやらスキルやギフトといった特殊能力系か。魔物もいるような異世界だ、そういうのがあってもおかしくない。というか、あって欲しい。
「心配性な爺さんやな。でも、気に掛けてくれる人がいるのは、嬉しいもんやねぇ」
俺だって気に掛けているから。もっともっと、力になれるように頑張るよ。
「ほな、今日も一日頑張ろうな。今日も頼むわ」
オータミお婆さんは畑に手を突くと、微笑みながら土を撫でてくれた。
任せてくれ! 今日もテンションマックスでいかせてもらうよ!
オータミお婆さんのいいとこ見てみたい!
ほら、掘って掘って掘って!
種をーー、埋めて、埋めて!
水を撒いて、撒いて、撒いて!
お婆さんも水分補給忘れないで、ないで!
今日も一日、心の声が枯れるまで応援するから、農作業頑張って。
「今日も一日無事に過ごせたわぁ。ほな、晩御飯の支度せんとな」
オータミお婆さんは今日も一日、元気いっぱいだったな。
あの歳でここまで動けるものなのだろうかと心配になるぐらい機敏な動きだった。異世界の人間は地球と比べて頑丈で、身体能力が高いのかもしれない。
だとしても、一人でやる作業量じゃないよな。もっと、俺が手伝えるようにならないと。
よっし、今日の日課をやっておくか。
視界の変化。いつも同じ個所から空を見上げているだけだが、この畑一帯は俺の体のようなものだ。見える場所を移動させることは可能な筈。
今日こそはできそうな気がする。意識を集中して、もっと広い範囲を……畑全てが自分の体だと認識した上で、何処からでも見られると思いこむ。
感情で土質が変わるのだ、精神や気の持ちようでどうにでもなると、信じる!
瞼は無いが、目を閉じるようなイメージを思い浮かべる。目の前に広がる星々が消え、漆黒の闇に満たされる。その映像を心に思い描くんだ。
星々が消え、消え、闇が訪れる。闇、闇――心を落ち着かせて、全ての意識を閉じる。
そして、畑が体であることを認め、畑の隅で目を開くイメージで……いく!
一瞬、視界が黒く染まったかと思うと、再び、夜空が映し出された。いつもの、さっき見ていたのと変わらない景色。
失敗したのか……今日こそはと意気込んでいたのだが、まあ、じっくりやるしか――
その時、視界の隅に揺れる何かが見えた。
何だ、今のは。風が吹いたかと思ったら、何かが視界を横切ったような。
確か、右から何かが飛び出して、おおおおっ、今、完全に見えたぞ。木の枝が風にあおられて、ほんの少しだが視界に飛び込んできた。
今まではどんなに強風が吹いても、葉っぱが舞い込んでくる程度だった。だというのに、強風が吹く度に枝が見えるようになった。つまり、今、見えている場所が違うということだ!
よっし、視界の移動に成功したぞ!
このまま鍛錬を続けて、もっと自在に視界の変更を出来るようになるか実験だ。
そうして俺は一晩中かけて、何とか視点の移動を成功させることが可能となった。
「なんや、今日は土がくたびれているような」
ずびばぜん、オータミお婆さん。ちょっと昨晩頑張りすぎました……。
「今日はもうちょっと耕す場所、広うしようと思うたんやけど、今日はやめとこか」
本当に申し訳ない。明日は、いつもの三割増しでテンション上げますので、どうかご勘弁を。
「ほな、雑草でも抜いとこか」
そう言うと、朝の作業を終わらせたオータミお婆さんは雑草が生え放題の地点へと移動していく。
この畑、まだまだ問題が山積みなんだよなぁ。
かなり広い畑なのだが、実際に使われているのは三分の一にも満たない。人手が足りないので、全てを耕し管理するには手が届かないのだ。
なので使用している一帯以外は雑草が生え放題で、全く手入れができていない。
今のように、手が空いたときに雑草を抜いたりはしているようだが、この世界の雑草はかなり手強いらしく。一本抜くにも全力で力を振り絞らなければいけないようだ。
雑草は刈ったところで根が残り直ぐに再生するので、こうやって引き抜くしか手が無い。
オータミお婆さんが十本も雑草を抜くと、限界に近いようで、大きめの石に腰かけ休養を取っている。
ごめんな、お婆さん。今日はいつもより土が硬いから、作業効率が悪いようだ。明日からはもっと頑張るから、今日だけはご勘弁を。
でも、この雑草問題は早めに何とかしておかないと駄目だな。
最近気づいたのだが、どうにもこの雑草がある辺りの畑から力が抜けていくような感覚があるのだ。
おそらく、畑から雑草が栄養を吸い上げているのが原因なのだろう。
その証拠と言っては何だが、最近、耕している畑から農作物の小さな芽が出始めている。それと同時に、その一帯からも同様に力が抜ける感覚が始まったのだ。
畑の栄養分を作物に与えるのには何ら問題は無い。だが、雑草に吸い取られているせいで、作物に栄養が行き届かなくなっては、最悪作物が枯れることも考慮しなければならない。
そんなことを、させるわけにはいかない。オータミお婆さんと俺が丹精込めて育てている、可愛い農作物を健康に育てる為にも、雑草をどうにかせねば。
当面の目標は雑草の撲滅。これでいこう。