八話 魔王軍、クョエコテクの場合
「クョエコテク様。まもなく日が落ちます、どうなさいますか」
我が眠りを妨げるのは誰じゃ。
「夜が訪れる前に起こせとの命令でしたが?」
そうだったな。起床することにするかのう。キサマは兵たちに戦の準備をさせておくのじゃぞ。
「仰せのままに」
棺桶の蓋を開けると、副官の背がテントから消えて行くところじゃった。
ちと鼻につくのう。腐敗が進みすぎてきておるようじゃ。そろそろ、骨人魔に変更したほうが良いか。
「もう夜か。ベチ野郎はどうせ、ろくに戦わずに逃げてきたのであろうな」
鼻のでかく体のたるんだ醜悪な動物――ベチの顔が乗った二足歩行の魔物、豊豚魔。その親玉である奴と同じ二十指将軍だと思うと反吐が出る。
それも、奴は我より格上の人差将軍というのが、全くもって腹立たしい。
今はまだ左足の中将軍の地位だが、いずれは人差、親と駆けあがり、右足の小、薬、中……最終的には、肢体大将軍へ成りあがってみせねば。
しかし、この将軍の位は誰が考えたのじゃろうな。魔王様の下に、右腕大将軍、左腕大将軍、右脚大将軍、左脚大将軍という四人の肢体大将軍がおられる。
そして、我ら二十指将軍が下に控えておるのじゃが、その順位は親、人差、中、薬、小の順になっておる。そして、右腕、左腕、右脚、左脚と細分化されており、左脚は一番下の位ではある。
つまり、我は左脚の中将軍。二十指将軍の中で十八番目の実力者となっておるわけじゃ。まだまだ、先は長いようじゃのう。
だが、更に上を目指す為にもまずは、忌々しいこの防衛都市を攻め落とさねばならぬ。たかが人間の守る町だと侮っていたのは認めるしかあるまい。しかし、まさかここまで時間が掛かるとはのう。
昼はあのベチ野郎が攻め、夜は不死魔を操る我が担当しておる。日夜休む間もなく攻めているというのに、まだ落とすことが叶わぬとは、敵ながら天晴というべきか。
だが、あと一息のところまで迫っておる。夜は我が領域。吸血魔であり『死者操作』の加護を持つ、夜の支配者である我の独壇場。
血を吸い支配した下僕に加え、この戦いで戦死した死者を我がものとして操り、戦力は増える一方。それに引き換え、人間どもは疲労が限界に達している頃じゃろう。
さてと、今日、決めるとするか。
そう決意し、棺桶の中から起き上ったのじゃが、外気がかなり冷えておるな。拠点であるテントの中から外へと進み出ると、余計に寒さがしみおる。
陽は完全に落ちておるか。今日は出し惜しみせずに温存していた部隊も呼ぶとするか。
「おやおや、ぶひひひ。これは吸血姫様ではありませんか。遅いお目覚めで。ぶふぉふぉふぉふぉ」
この耳障りな声と鼻息の音は、視線を向けるまでもなかろう。
「これはこれは、タワキテ殿ではありませんか。戦況は如何でしたかな」
「あと一歩まで追い詰めたのだが、時間が足りませんでしたな、ぶふぉ」
相変わらず醜い顔に弛んだ腹だのう。ベチの顔に内面の醜さが混ざりあい、あれ程までに醜悪な面を作り上げているのか。それ以上近寄るでない、獣臭さが移る。
「では、我は今から戦場に向かわねばなりませんので、これにて」
「精々頑張ることですな、ぶふぉふぉふぉふぉ」
ああ、腹の立つベチじゃ。奴が死んでも加護で操ることはしまい。
べチ野郎は我が人間どもと共倒れをしてくれるのが理想なのじゃろう。そうはいかんぞ。
人間どもを蹴散らし、死者は死人魔として利用し、使えそうな強者は生かして捕え、吸血により従順な下僕として飼ってやろうではないか。
この戦いで更なる戦力増強を終えた日には、あの目障りなベチ野郎も殺し、その地位を奪うとするかのう。
防衛都市の北門へと続く道は、底の見えぬ深淵にすっと伸びる一本道だけになっておる。道幅がそれなりにある故に、軍を動かすことに不便はないのじゃが。
だが谷に落ちれば一巻の終わりとなる。出来るだけ真ん中を歩くように注意せねば。
「相変わらず、殺風景なところだと思わんか?」
「そうですね。代わり映えのしない景色です」
副官は従順に頷くと、すっと視線を前に向ける。生気が消え失せた濁った眼。やはり腐敗が進んでおるな。
数年前に副官に任命したこの男は、できることなら生きた状態で捕まえ吸血により下僕へとするつもりじゃったのだが、まさか自害をするとは思わなんだ。
こうやって『死者操作』で操ってはいるが、腐った肉が削げ落ち出すのも時間の問題か。まあ、死人魔として使えなくなっても、今度は骨だけの骨人魔として使ってやるから安心するがよかろう。
この一本道の先に結構な大きさの空き地があるのじゃが、そこには忌々しい巨大な門扉と強固な壁が立ち塞がっておる。
鋼鉄製の門扉は血と錆に汚れ、所々が陥没しておったのう。あと数発きついのをかませば、無残に朽ち果てるであろう。
そろそろ、門が見えてきたようじゃが。
「さあ、行くのだ。我の可愛い下僕たちよ。その痛みを感じぬ身体で、生者を貪りつくせ」
「ウオオオオオオォォ……」
死人魔の呻き声に似た叫びが響き、骨人魔のカチカチと骨の鳴る音がそこら中から流れておる。人間にとってはこの光景がかなり恐ろしいらしく、戦う前から恐怖に呑み込まれている兵士も結構おったな。
死者の群れが道を進み、門の前の広場へと順調に流れ込んでおるようじゃ。
あとはのんびり高みの見物と洒落込むとするかのう。死人を縫い合わせて作り上げた、死縫巨人の肩に乗り、戦場を見下ろすとしよう。
死人魔2000、骨人魔4000。この数が一気に蠢く光景はいつ見ても壮観じゃのう。広場に着く前にバリスタで何体かが粉砕されておるが、我が下僕は死を超越した存在。時が経てば元通りに修復されおる。
所詮、無駄な足掻きよ。
門に貼り付き、その槌で骨が砕けるまで殴れ。
骨人魔は攻城兵器で門を破壊しつくすのじゃ。
骨人は力が不足しておるが、新鮮な死人魔は人間の限界を超えた力を発揮できおる。人を超えた膂力で巨大な槌を振るえば、どんな強固な門であろうが破壊が可能となる。
先頭がようやく広場に侵入しおったか。そのまま、門へと攻撃を加え……ん? 何か妙じゃのう。
死者共は次々と広場へ流れ込んでおるが、誰も門へ攻撃を加えておらぬ。どういうことじゃ。何かの攻撃を受けている様子もなく、破壊音もしないではないか。
何らかの罠が仕掛けられておると考えるのが妥当なのじゃが……ふむ、ここからでは距離があり過ぎて良く見えぬな。少し間を詰めるとするか。
「死縫巨人よ、このまま前進せよ。下僕どもよ、道を開けるがよい」
我の命に従い、死者共が道の両端に避けておる。
死縫巨人を少々大きく作りすぎたやもしれんの。他の死人魔と比べて三倍の大きさは、少々やり過ぎたか。
しかし、我が下僕共は何をしておるのじゃ。門へと向かっておる割には、門にたどり着いた者が一体もおらぬ。一体全体どういうことじゃ?
門手前の広場に続く道でおかしなことは無い。淵から落ちる無能もおらぬ。
下級の不死系は知能が低いのが難点じゃのう。数は確保しやすいが、単純な命令しか聞けぬ。知能があれば異常事態に何らかの報告をしようと、考えるものなのじゃが。今、それを言っても詮無きことか。
ならば、上位の死人魔である副官を向かわせるか?
それとも吸血で魅了した近衛兵を向けるか……我がこのまま進むのは危険じゃのう。
「ゼン、おるか」
「はっ、お傍に」
死縫巨人の足元から腐臭が漂ってきおる。来おったか。
「どうにも、先陣がおかしなことになっておるようじゃ。ちょいと様子を見てきて、報告するように。わかったかのう」
「承知いたしました」
こやつは元騎士だけあって礼儀作法もできる、優秀な個体じゃ。全てを理解し、的確に事を運んでくれる筈。期待しておるぞ。
万が一、あ奴が帰ってこぬ場合は、近衛共も動かさねばならぬか。
遠目に見ているだけでは、詳しくはわからぬが、未だに門に触れた死人魔も骨人魔もおらぬようじゃ。
人間ども何をしおった。罠を仕掛けたにしても、大掛かりな罠を仕掛ける時間は無かった筈じゃ。ベチ野郎の軍がひいてから、我らの軍に入れ替わるまでの時間もたかが知れておる。
となると、援軍が到着したのか。しかし、積雪が激しく、人間の軍隊では行進もままならぬと聞いておる。
それに、各地で魔王軍の者共が一斉に呼応して暴れまわっておる。こちらに戦力を割くのもきつい筈なのじゃが。
となると、消去法で考えるなら……個人の能力か。加護が優れた凄腕のハンターでも雇いおったか。ふむ、まあ、それならば直に息切れを起こすじゃろう。
副官からの情報を待ちつつ、相手の消耗を待つとするか。
「遅い……」
副官の足であれば、これだけの時を有すれば三度は往復が可能。
だというのに、戻ってくる気配すらないときておる。
何かあったと考えるべきじゃのう。死人や骨人共もこれ以上無為に消費するわけにもいかぬ。行くしかないようじゃ。
得体の知れぬ相手じゃが、我が下僕が破壊されていたとしても一時的なもの。もうそろそろ、復活を初めておる頃合いじゃろう。
我が永遠の軍隊を屠ることなど、誰にも出来ぬ。
さあ、様子見はここまでじゃ。一気に片を付けるか。
「進軍せよ! 闇の眷属である我らの恐ろしさを、奴らの目に心に刻みつけようぞ!」
不死の軍を前に恐怖し、命乞いをするがいい。
小癪な真似をしておるようじゃが、それが何処までもつものやら。死に物狂いで足掻き、精々楽しませてもらうとするかのう。
この町を落とした暁には、生き残りも死者も全て我が下僕としてくれる。
体を休めることも、食料の補給もいらぬ死者の軍団。人間ども今宵は一睡もさせぬぞ。死した後も永遠に眠ることは出来ぬのじゃがな。
「くっくっく。はあっはっは!」
さあ、血と狂乱の宴の始まりじゃ!
永遠に踊り狂うがよい!
覚めることのない悪夢の中で!




