六話
「守護者様。今までの非礼、お許しください」
満足いくまで食べた兵士たちが片膝を突き、頭を下げて謝ってくれている。人はやはり、胃袋を掴まれると弱い。と母さんもよく言っていた。
ただ、食べた時の反応が怖いぐらいだったのが誤算だ。旨味を凝縮するように栄養を注いで育てたのだが……度が過ぎたか。もう少し、味の品質を落とさないと駄目かもしれない。
兵士たちは平謝りしているが、正直なところ全く怒っていない。そりゃ、こんな巨大な土の塊が地響きを立てて現れたら、すぐさま受け入れられる訳がない。
これぐらい警戒して当たり前だ。
「いえ、こちらこそ、お忙しい時にお伺いして申し訳ありません。そのお詫びと言っては何ですが、食料の備蓄でお困りであれば、こちらから野菜で良ければ提供できますが?」
俺の提案をキコユの優しく澄んだ声で通訳してもらう。
その言葉に兵士たちが色めきだっている。食料不足の中でもたらされる至高の野菜。そりゃ、喉から手が出るほど欲しいよな。
それを理解した上での申し出だ。
「よ、宜しいのですか? ですが、こちらは今、残された資金もあまりなく。領主に相談はしますが、正直、満足される金額をお渡しすることが……」
フェンス隊長が苦渋で表情を歪ませ顔を伏せている。ここで、相手の足元を見て有利に商談を進めてもいいのだが、それは人間の商人のやることだ。間違ったことではないが、畑である俺の最大の喜びは、作物を美味しく食べてもらうこと。
そんな駆け引きは必要ない。
「そうですね。無償で提供するわけにはいきませんが、支払いは全てが終わってからで構いませんよ。その代わりと言っては何ですが、この町に私が滞在できる場所の確保と、防衛戦に参加する権利を頂きたい」
「えっ? 空き地は北門の近くであれば幾らでもありますので、許可も下りると思いますが、防衛戦に参加というのは……」
「いえ、この町が陥落してしまっては後払いのお金も頂けませんし、作物は食べてくれる人がいて初めて意味があるのです。畑として当たり前の行為ですよ」
動物たちに作物を与えるのも好きなのだが、やはり人が食べた時の「美味しい」という言葉と、嬉しそうな笑顔を見た瞬間が一番満たされる。
あれだな、最近精神も畑化してきた気がする。まあ、悪い気はしないのだが。
「守護者様が手伝ってくださるなら、我々も有難いです! 領主様に相談してきますので、暫くお待ちください!」
「わかりました。では、待っている間に収穫した作物を兵士の皆様に手伝って貰い、町に残る人々に配ってもらっても宜しいでしょうか。まだまだ、ありますので」
「もちろん、構いません! 本当にありがとうございます。この野菜を食べたら、皆も活力が蘇ります!」
よーし、許可も取ったことだし、待っている間にうちの味をこの町に浸透させて、うちの野菜がなければ生きていけない体にしてやるぞ!
さあ、時間は無駄にできない。皆、手伝いよろしく! 忙しくなるぞ!
ボタンはいつもの荷猪車形態で野菜を満載して、説明係の兵士も一人乗せた状態で町の中へと入っていった。
ウサッター一家はその鋭利な耳で野菜の収穫を頼むよ。
黒八咫は北門の情報収集をお願い。あ、これ持って行って。
俺は畑から輪になった土の塊を抜き出して、黒八咫の三本ある足の一本に装着した。
こうすることにより、土の輪に視界を移すことが可能となる。上空からの偵察が可能なので、かなり正確な情報を得ることができるだろう。
といっても、分離させた畑に意識を移すのは一つが限界で、小規模な土の塊しか無理なのだが。
でも、かなり使い道があり便利になった。これも、精霊殺しで一度切り離されてから出来るようになった能力。こう考えると、ゴルドのおかげとも言える。今度会ったら少し優しく対応してやろう。
キコユは残った兵士たちへの通訳と野菜の運搬の手伝いを……うーん、姿を見せるのはまだ危険かもしれないな。なら、隠れていてもらった方がいいか。
「畑様。これぐらいの寒さであれば、体を人並に縮められます。それで、人間の振りをすれば大丈夫ではないでしょうか」
そういや、身体の伸縮が可能だったな!
大きな体に見慣れてしまっていて、その設定をすっかり忘れていたよ。
なら、畑の僕である動物と共に過ごす少女という設定でいこうか。畑の上に家もあるから、そこで住んでいるということにすれば、なんとかいけるか。
「わかりました。頑張ります!」
今は時間が貴重だ。キビキビ動こう!
はい、はい。皆さーん、無駄口を叩くのはここまでですよ!
パンパン。さあ、口を動かしてないで手を動かしましょう!
いつもの俺の悪ノリにキコユが微笑み、動物たちが嬉しそうにはしゃぐ。
待っている時間が惜しい。畑として、やれることはやっておこう。
ボタンが三回目の食料配達を終え、休憩と昼食を兼ねて畑の隅で寛いでいる。
ちなみに、今は畑を南門の近くに埋めて、目立たないようにしている。町の人を無暗に怯えさせるわけにはいかないからね。
「お野菜持ってきましたぁ」
「キコユちゃんお手伝いして偉いな」
「これ、食べて元気になってね」
「ありがとう、キコユちゃん」
幼い振りをしたキコユが愛想を振りまく度に、兵士たちの頬が緩む。
そりゃ、あんな可愛い女の子が一生懸命手伝いをして、頑張っていれば、誰だって優しい気持ちになるか。
人間の幼女サイズに縮んだキコユは、犯罪的に愛らしい。
中身は17歳だが、幼女の真似はお手の物らしく、動作がいちいち可愛らしい。何と言うか、実年齢を知らなければ俺もころっと騙されていたな。
畑の守護者に保護されている少女という設定が、いとも容易く受け入れられ、肩透かしを食らったのだが、よく考えたら当たり前か。
彼らはまず、動く畑という世にも奇妙な現象を目の当たりにした。
そして、食生活が崩壊する寸前レベルの野菜を食べ、彼らの中の常識が粉微塵にされてしまった。
そんな精神状態で、畑の守護者と一緒に過ごす幼女の存在――ほーら、何の違和感もなく簡単に受け入れられる。
若干、兵士たちの浮かべる笑みに怪しい光を感じるが、キコユに変なことをしようとしたら、地中生首の刑が待っているだけだ。
「守護者様、お待たせしました。領主様が直接、話を伺いたいと申されましたので、案内してきました」
フェンス隊長がびしっと敬礼する背後から現れたのは……え、おおおっ、この超絶美少女は誰だ!?
可憐と繊細さを併せ持ちながらも、凛とした美しさを感じさせる佇まい。髪は太陽の光を受け、眩く煌めいている。ああいうのをブロンドの髪色というのだろう。長さは腰まで届き、彼女に良く似合っている。
着ている服は純白のロングコートなのだが、シンプルなデザインが逆に彼女の可憐さを引き立たせていた。
正直、かなり好み……というより理想の容姿だ。
美人にも種類があると思うが、彼女は清楚系の美人。今までの人生、畑生で出会った人の中で、最も魅力的な女性だと断言できる。
容姿が優れている人間で、その事を鼻にかけ、相手を見下す態度が滲み出る人が結構いるようだが、彼女は違う。柔和な笑みを浮かべ、その心根の優しさが溢れ出ているかのようだ。
やばい、心臓があったら胸の鼓動が相手に聞こえるぐらい、俺は今、動揺している。
「畑様、地面熱いです……」
あ、キコユの体と視線から冷気が漏れている。あ、はい、少し冷静になれました。
しかし、見れば見る程、現実味がないぐらいの美少女だ。たぶん、年齢は二十歳未満だろう。今日ばかりは体が無くて良かった。
もし生身の体で彼女と向き合ったら、照れてしまって会話をすることすら、ままならなくなってしまう。
「貴方が噂の畑の守護者様なのですね。初めまして、この町の領主、ジェシカと申します」
うおっ、この澄んだ清涼感のある声は何だ。見た目に加えてこの声。反則級だろ。
それに領主ときたもんだ。いやー、こんな完璧な人間っているんだな。
感動を通り越して、心が冷静になってきた。挨拶してもらったのだから、こっちも返さないと。
「私は畑の守護者様の言葉を伝える、最も親しい存在です」
キコユさん? その説明、おかしくないですか?
え、何で俺を睨んでいるのかな……あ、いや、やましい気持ちは、まったく……それなり……あんまり……たぶん、ナイヨ。
「まあ、可愛らしいお嬢さんですこと。よろしくお願いいたします」
「畑様は適当によろしくと仰っています!」
そんなこと仰ってないよ!
何か勘違いしているみたいだけど、俺は畑なんだから人間に欲情する訳がないじゃないか! 俺が大好きなのは動物たちとキコユだけだよ!
「あぅ、そうですよね。すみません、今の発言は取り消させてください。畑様も、こちらこそ、よろしくお願いしますと仰っています」
機嫌がどうにか直ったようだ。これで普通に通訳してくれそうだな。あまり余計な事は考えずに話し合いに挑もう。
「畑様からの援助の申し出をいただき、感謝の言葉もありません。もう既にご承知のことだとは思いますが、この防衛都市は未曽有の危機に陥っています。多くの兵士が戦場に散り、陣頭に立ち指揮を振るっていた父も、帰らぬ人となりました……」
だから、こんなにうら若き乙女が領主となっているのか。
「帝国からの援軍も期待できず、リーダーを失ったこの町を何とか支える為に、微力ながら私が跡を継ぐことになりました」
立派な心掛けです!
下心は全く、微塵も、これっぽっちもないけど、この畑、貴方の為にこの土を捧げましょう!
「食料も尽きかけ、兵士の士気も限界に達するのは時間の問題かと思っていたのですが、まさに天の助け。こうして守護者様から施しを受け、皆、伝説の野菜を口にして生きる希望を見出したようです。本当にありがとうございました」
そんな、一介の畑に深々と頭を下げなくていいですよ。
世の中持ちつ持たれつ。困った時はお互い様です。か弱い女性を助けるのは当たり前のことですからね――これ、通訳お願い! できるだけ、紳士的に聞こえるように!
「ふんっ……気にしないでくださいと言ってます」
驚きの意訳だ!
意味的には間違ってないけど、伝える文章が簡略化しすぎじゃないかな!
あ、いえ、文句はございません。ですから、殺意の混じった冷気を飛ばすのをやめていただけませんでしょうか。
くっ、また機嫌を損ねてしまった。直接言葉を伝えられないのがもどかしい。
「これで、守護者様に助けていただいたのは二度目になりますね。従者が無理難題を押し付けてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
いえいえ、お気になさら……ず? え、今日初めてお会いしましたよね。こんな美人、一度会ったら絶対に忘れるわけがない。初対面であるのは間違いない。
「久方ぶりですな、守護者様。あの節はお世話になりました」
「おひさしぶりでございます……はぅ、ボタンちゃんに黒八咫ちゃん。ああ、それにウサッターご一家まで揃い踏みなんて、はぁはぁはぁ、全身の穴から何かが溢れ出してしまいそう……」
この落ち着いた声と、興奮を抑え切れていない危ない発言には、聞き覚えがある。
領主であるジェシカさんの両脇にいつの間にか並んで立っていたのは、執事服を嫌みなく着こなしている初老の男と、頬を上気させ危ない目つきで動物を見つめているメイド服の女性。
以前相談に来た、執事のステックさんと、メイドのモウダーさんだよな。
二人がジェシカさんに仕えているということは……つまり、ええと、あの、もしかして……。
「守護者様と仲良くなられたようですね。無事交渉が済み、ほっとしております。あ、守護者様、ここの御方が以前お話した――」
おい、やめろ! それ以上は、やめるんだっ!
きっと、間違いだと思うけど、その先は口にするなっ!
ステック執事は懸命に土の腕を振り、拒絶を表現しているのを理解してくれたようで、そこで言葉を区切ってくれた。
まあ、その代わりに並んで立つメイド、モウダーが後を継いでくれたわけだが。
「女装趣味の変態お坊ちゃんです」
「こら、主である私にそんな口を利いては駄目だと、いつも言っているでしょ。命令に従えないのなら、裸にひん剥いて、豊豚魔の群れに放り込むぞ」
後半だけ声が野太くなった……そうか、そうなんだ。これが、女装趣味で女に全く興味が無くて、跡取り問題で困っている、お坊ちゃんなんだ、へえー。
う、う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
返してっ! 俺のピュアな漢心と恋心、返してっ!
嘘だ、嘘だと言ってよ!
俺の心の叫びは誰に届くこともなく、畑の地中を乱反射し続けていた……。




