五話
ゴウライの娘さんであるナセツに、手早く作り上げたスタミナ料理をご馳走してから、申し訳なかったけれど、すぐさま町へ戻ってもらった。俺が手を貸すことをゴウライさんに伝えてもらう為に。
ボタンが行く前に、勝手に参戦を決めてしまったことを動物たちに謝り、この戦いは危険だから終わるまで何処かで潜んでいて欲しいと頼むと、いつの間にか戻ってきた黒八咫を加えた全匹が共に戦う意思を示した。
俺は畑だし、体は土で出来ている。余程のことが無い限り死ぬことは無いだろう。だが、彼らは違う。毎日うちの野菜を食べて強靭な肉体へと変化しているとはいえ、命ある生物なのだ。
強いとはいえ、不死でも無敵でもない。
なので、説得したのだが誰一人――一匹として首を縦に振らなかった。
その想いが嬉しくもあり、同時に怖くもある。俺の為に無茶をして、大怪我や死なれた日には、俺は自分が許せなくなりそうだから。
「畑様。私もそうですが、みんな、畑様の事が大好きなのですよ。だから、一緒に戦いたい。それではいけませんか?」
キコユは優しく微笑み、畑である俺の地表をそっと撫でた。
俺だってみんなの事が大好きだよ。だからこそ、死んで欲しくない。
「畑様は考え過ぎです。私たちが心配だと仰るなら、畑様の力で守ってください! 畑様ならそれぐらい余裕ですよ。いつものように、明るく楽しく、害虫や害獣を追い払うように、魔物も撃退すればいいのです。命令は守ります。無茶もしません。それでも、もし、その結果、私たちが死ぬことになっても、誰も怨みません」
怨む怨まないの問題じゃないんだよ。俺が許せないんだ。
ただの偽善で戦いを選び、その末にもっと大切な仲間を失うことになったら……。
「畑様! そんなの畑様らしくないですよ! いつもノリノリで畑仕事をする畑様らしくありません! ほら、土もこんなに硬い。そんなんじゃ、畑様の良さがでませんよ。そこまで心配してくれるのは嬉しいですが、もっと信頼してください。本当に危ないと思ったら、大人しく引き下がります!」
こんなに真剣に熱く、キコユが語ったことがあっただろうか。
そうだな。難しく考え過ぎた。俺は畑なんだ。
人ではなく、畑らしく対応してやる。
ありがとう、キコユ。くよくよするのは無しだ!
まずは、食料不足で困窮しているであろう、兵士たちに食料を振る舞うぞ。腹が減っては戦は出来ぬって言うしね。
「それでこそ、畑様です! あ、町が見えてきましたよ」
嬉しそうにはしゃぐキコユが指差す方向に、灰色の外壁で覆われた大きな町が見える。
外壁の高さは10メートルぐらいだな。畑の最上部より少し低いぐらいに見えるから、たぶん間違ってない。
結構な規模だが、その周囲を完全に外壁で囲っているところが防衛都市の名に相応しい。
そして、あれが境界線代わりになっている、巨大な谷か。かなりの幅だな。俺の畑でも向こう岸には余裕で届かないぞ。
向こう岸が朧げなのは距離もあるけど、谷から強風が吹き出ているせいか。あれだったら、飛行する魔物もそう簡単には渡ってこれなそうだ。確かに最高の防衛地点だな。
ん? 北側に魔物の国と接する扉があるんだよな。なら、こっちの扉は南門か。その前に、結構な数の人――50人ぐらいが武装状態で並んでいる。
もしかしなくても、俺を警戒しているのか。武器を構えて、唖然として見上げているが……まあ、そんな槍や剣なんて俺には無意味なんだけどな。
おっ、よく見ると壁の上に巨大な弓が設置されている。確かバリスタだったかな。アレが数台こちらを狙っている。念の為にキコユを地下室に隠しておいて正解だった。
「どうしましょうか、畑様」
地下室の入り口から、そっと覗いているキコユが心配そうに声を掛けてくる。
このまま前進かな。あの中に、ゴウライさんや娘さんもいるようだし。何故か猿ぐつわをされて、縄で縛られているけど。
一応念の為に、黒八咫。ウサッター、ウッサリーナを俺の後ろに降ろしてくれるかい。その後、二匹はゴウライさんの近くに潜んでいてもらえるかな。今なら俺に見とれて、気づかれない筈だから。
俺が太鼓を鳴らしたら、二人の縄を切ってこっちまで導いて欲しい。
黒八咫は二人を傷つけようとしたら牽制を頼む。ボタン、ウサリオン、ウサッピーは待機しておくように。本当に困った時は頼むから。
では、みんな、行動開始!
さーて、対応をどうしてくれようか。
この切羽詰った状況で南から腕が無数に生えた土の塊が現れたら、そりゃ警戒もするだろう。説得が失敗して、二人が魔物と通じていると勘違いされて捕まったというところかな。
穏便に事が運べばいいけど。キコユ、通訳よろしく頼むね。
「任せてください」
そのまま、ゆっくりと距離を詰めていくと、相手の兵士らしき男がゴウライさんとナセツの縄を持って、前に進み出てきた。
「そこで止まれ! それ以上進むのであれば、敵対行為とみなす!」
生真面目そうな顔をした30代ぐらいの兵士か。代表して話しているということは、それなりには地位のある人かもしれない。
兵士たちから俺の体一つ分、100メートルぐらい離れた場所で歩みを止める。
じゃあ、キコユ通訳を頼むよ。
「こちらは危害を与えるつもりはありません。ゴウライさんから既にお聞きだとは思いますが、私は畑です」
「そんなことが信じられるか! 畑は動かない!」
ごもっともです。
正論を言われると、中々に言い返しにくい。
「最近動けるようになりまして。こうして、ゴウライさんに会いに来たのですよ」
ちなみにキコユには姿を見せないで、オータミお婆さんの遺品である、魔法の拡声器みたいなのを使ってもらっている。
あの兵士は生で大声を上げて頑張っている。喉が枯れないのかね。
「それを信じろと言うのか! その姿どう見ても魔物だろうが!」
ですよねー。しかし、このままでは埒があかないな。
ならば、懐柔作戦といくか。
ボタン用の荷台に今日もぎ取ったばかりの野菜を満載した状態で地上に降ろす。
ほーら、見るからにみずみずしくて美味しそうな、朝積み野菜だよー。
「なんのつもりだ!」
「皆様、噂程度には耳にしたことありませんか? 西の雪深い山に存在する、守護者が守る伝説の畑を。そこには、頬がとろけそうになるほどの美味なる野菜が育っていると」
キコユの言葉に兵士たちの体が、大きく揺れたのを見過ごさなかった。
満足した食事をとっていない状況で、見るからに美味そうな野菜の数々。その誘惑に耐えられますかのぉ。ふおっふおっふおっ。
「あれが、噂の野菜」
「あまりの美味しさに涙が流れるそうだぞ……ごくりっ」
涎を流し、唾を飲み込む音がそこら中から流れてくる。
目がうつろな兵士が大量発生している。もう一押しすれば、今にも野菜に飛びかかって齧り付きそうだ。
「貴様ら、誘惑に惑わされるな! あれは魔物たちの罠だ! 飢えている我々に毒入りの野菜を食わせる、非道な罠!」
あー、なるほど。野菜に毒を仕込むという手もありか。それを魔物たちの元へ送って、一網打尽にする作戦。でもなあ、丹精込めて作った野菜に毒を入れて台無しにするのは、気が引ける。
って、それはまた今度考えるとして、今は何とか説得しないとな。
「ならば、その野菜をゴウライさんや娘さんに食べさせてみては如何ですか? 毒入りなら二人の命を奪うことでしょう」
兵士の隊長らしき男がはっとした表情になった。
周囲の兵士たちは限界に近いらしく、隊長らしき男に迫っている。
「フェンス隊長! ここは食べさせてみましょう! それでもし、安全なら私たちも!」
「し、しかしだな」
「もし罠ならそれではっきりする筈です! で、いけたら、俺も!」
フェンスと呼ばれた隊長は押され気味だ。かなり厳しい状況なのだろう。
飢えた野獣の前に肉を置いたら、我慢しろという方が酷だ。
「わかった、そいつらの猿ぐつわを外せ! さあ、身の潔白を証明したいなら、この野菜を口にするんだ!」
「はああ、やっと口がきけるのか。フェンス、畑の守護者を敵に回すんじゃねえ。あの方がどれだけ偉大な御方か、何度も聞かせてやっただろうがっ!」
「ゴウライ。お前の与太話など信用できるかっ! 本当に安全だというのなら、その野菜を口にしろ!」
フェンス隊長の頑として譲らない態度を見かねて、ゴウライが大きく息を吐いたのが見えた。あれは呆れ果てているのか。
「申し訳ない、守護者殿! この男、決して悪い奴ではないのだが、融通がきかなくて」
「余計な事を言わずにさっさとしろ!」
「へいへい。悪いな俺だけ良い思いをして。こんなに美味い野菜を誰よりも先に食えるなんて、ご褒美以外の何ものでもないだろ。なあ、ナセツ」
「うん、父さん。フェンス隊長は頭固すぎて嫌い!」
「ナセツ。キミは別に食べなくてもいいんだよ……それに、自分は人々を守る隊長として……」
おっ、あの隊長、ナセツさんの言葉に動揺しているぞ。どうやら、二人は顔見知りなのか。
だけど、建前上、強く当たって規律を守らなければいけない立場。中々、辛い状況なのか。ほんの少しだがフェンス隊長に同情するよ。
「では、いただくとするか。そこの兵士さんよ、その赤い果物を口に放り込んでくれ。娘にも同じものを」
体は縛られたままなので、自分で食べられない二人は近くにいる兵士から、口に苺もどきウツギを食べさせてもらっている。
数回咀嚼すると、二人の目が輝き、顔に笑みが広がっていく。
「おおおおう! 何だこの果物。マジで甘いぞ! ただ甘ったるいわけじゃなく、程よい酸味も残っているから口内に爽やかさも残っている! あんまり、果物好きじゃねえんだが、これは別格の美味さだ! おい、もう一つ口に放り込んでくれ! 頼む!」
「はうわあああ……甘くてとろけそう……ああ、幸せぇぇ。前に食べた高価な焼き菓子より、こっちの方が数倍、いえ、比べるのも失礼なぐらい美味し過ぎる! 父さんずるいわよ! 兵隊さん私にも、もう一つください!」
ふふふふ、ドヤぁ。この好感触。我が赤い果実を食し、虜になっておるわ!
さあ、もっと吸収するがいい。そして、紅の実がなければ生きていけぬ身体へ墜ちるがよい! ふはははははは!
「畑様、楽しそうですね」
あ、キコユが若干引いている。
反応の良さに触発され、つい悪役口調になってしまった。
ゴウライ親子の飢えた野獣の様に目が血走った状態で、早く早くとせがむ姿に兵士たちが困惑の表情を浮かべているな。辛抱という名のダムが決壊するのも、時間の問題か。
「あんなの、芝居じゃ無理だよな。ってことは、この野菜は本当に……」
「我を失う程、美味いっていうのか……」
「くそう、匂いを嗅いでいるだけで、腹が鳴りやがるっ」
おうおう、兵士どもがざわついておるわ。って、このノリはいい加減やめておこう。
あと一押しだな――お、流石はボタン。兵士たちが集まっている場所に、荷台ごと歩み寄っていくぞ。山積みされた新鮮な野菜たちの魔力に抗えるかな?
「た、試しに俺も毒見してみるぞ! 隊長、二人が嘘をついていないか、私が犠牲となり確かめてみます!」
「待てっ! もし毒が――」
フェンス隊長が止めるよりも早く、兵士の一人がキャベツに似た、クュボテを両手で持ち上げると、そのまま噛り付いた。
それを丸かじりするのか!
周囲の兵士たちが黙って見守る中、その兵士は数回噛みしめると、再び、クュボテを貪る。
「お、おい、どうなんだ」
呼びかけに答えることなく、また一口、また一口と噛みつき、子供の頭ぐらいの大きさはあったクュボテがあっという間に胃袋へと消えてしまった。
兵士はその場に座り込むと天を仰ぎ、
「はあー……生きていて良かった……」
と至福の笑みを浮かべ呟いた。
そこからはもう、収拾がつかなくなり、兵士たちが我先にと野菜に飛び付き、片っ端から口に放り込んでいく。
「おおお、美味い、美味すぎる!」
「はああああぁぁぁ」
「野菜嫌いだったのに、だったのに……駄目だもう、野菜のことしか考えられない……」
「幸せってこういうことだったのかっ」
黙々と食べ進む者。
涙を流しながら食べ続けている者。
もう、自分でも何を口走っているのか理解していない者。
多種多様な反応を見せているが、全員に共通している感情は美味しいという喜びだろう。
「お、お前ら落ち着け! きっと魔法か何かで幻覚をっ」
この期に及んで、フェンス隊長はまだ野菜の味を信じていないのか。生唾を何度も飲み込んではいるが、必死に誘惑に耐えている。
なら、することは一つだな。
俺は畑の上に設置しておいた太鼓を、一回大きく叩いた。
「何だ今の音は!? 太鼓の音か! 土の化け物め、何をする気だ」
「一度その口を閉じてみたらどうだ?」
「ゴウライいつの間に縄を!? んぐわっ!」
太鼓の合図でウサッターたちがゴウライ親子の縄を断ち切り、自由になったゴウライが手にしていた苺をフェンス隊長の口へと押し込んだようだ。ナイスアシスト!
口の異物を吐き出そうとしたようだが、フェンス隊長の口が開かない。
さあ、飢えた状態で口に広がる甘酸っぱい香り。舌の上にほんの少しだが感じる、甘味と酸味。それが今まで経験したことのない極上の物だったら、どんなに意志が強い人でも――耐えることができるのかな?
目を大きく見開いたまま、フェンス隊長が……それを噛んだ。
「ふんぐぅぅぅぅぅ! な、な、な、なんだあああああ!」
口からレーザー光線でも吐き出しそうな勢いで、天に向かって吠えているぞ。
「これは正に天上の作物! 人が食べることを許されない禁断の果実なのかっ! おお、神よこの罪深き愚かな私を許したまえ……はう、もぐもぐ……かひひょ!」
信心深い人のようだが、神に懺悔しながら、その手と口は意思に背いて動いているようだ。他の兵士と同じく、野菜を口に運び、咀嚼するだけの機械となっている。
暫く収まりそうにないと判断した俺は、彼らが満足するまで待つことに決めた。




