三話
鍛冶屋ゴウライさんが住む町は確か東の方角だったよな。
ゴウライさんの足で三日。ボタンが荷台を装着した状態で本気で走れば、一日もかからない距離。
俺の移動速度だと……どうなんだろう。道案内も兼ねてボタンに先行してもらって、俺が後を追うか。
ボタン悪いけど頼めるかい? 試しに全速で走ってみてくれ。俺と距離が開くようなら、一度戻ってきてくれるかい。
畑の上で大人しく心の声に耳を傾けていたボタンが、大きく一度頷いた。
うん、いい子だ。動物たちとの会話はキコユの通訳も必要ないから、スムーズに事が運んで楽だな。
じゃあ、ボタン。土の腕で地面に降ろすから、ちょっと待ってく……え?
ちょっと、ボタン!?
ボタンは駆け足で畑の縁まで移動すると、躊躇うことなく柵を飛び越えていった。
畑の上、地上10メートルの高さだぞ!
流石に頑丈なボタンでもただでは済まない!
急いで、視界をボタンが落ちていった畑の側面へ移動させると、平然と落下していくボタンがいた。
うおいっ! 土の腕を伸ばしたら届くか!?
慌てて最大サイズの土の腕を制作して、懸命に腕を伸ばすが、ギリギリ届かない!
このままじゃ、地面に衝突してしま、しま、う、ぞ?
落下速度が急に弱まったボタンが俺の目の前をゆっくりと下降していく。そのボタンの背には黒八咫の足がある。
落ちていくボタンを空中でキャッチしたのか。黒八咫の技能にも驚きだが、ボタンも黒八咫がそうすることがわかっていたのだろう。だから、あんなに落ち着いていた。
本当にこの二匹は、仲がいいのか悪いのか。息がピッタリなのは確かだと思うが。
地面に着地したボタンは一度、
「ブフォブフォー」
と嘶き、黒八咫に礼を言っているように見える。
黒八咫は一瞥すると、小さく頷き、舞い上がると畑に戻ってきた。こういうスマートな格好良さが、騎士団の隊員たちから、さん付けで呼ばれる要因なのだろうな。
ボタンが足下の土を蹄で掻き、準備万端なのをアピールすると、ちらっとこちらへ視線を移した。
俺は畑の側面に右腕と左腕を出し、大きな丸を表現する。
それを確認した途端、ロケットでも発射したかのような爆発的なスタートを切り、その姿が瞬く間に小さくなっていく。
速いなんてもんじゃないな。高速道路の飛ばしている車と並走できそうだ、あの速度だと。って見とれている場合じゃない。
変身、移動形態!
土の腕を合計20本出現させ、ムカデなどの多足類をイメージして腕を動かす。少し走ってコツがつかめてきたので、さっきよりは上手く走れる筈だ。
相変わらず、増えた腕は同じ動きしかできないのだが、意識的にタイミングをずらすことができることに気づいた。
つまり、10本並んでいる腕で5本だけを同じタイミングで動かし、残りの5本を少し遅れて動かす。その腕を交互に置くことにより、走り方がスムーズになり上下の揺れもだいぶマシになっている。
たぶん、更に虫のような動きになっていると思う。キモさが倍増しているのだろうな。
ボタン程のスタートダッシュは不可能だが、徐々にスピードが上がり、点程の大きさだったボタンの背が徐々に大きくなってきた。
見た感じでは俺の方が腕の回転が遅いので、速くないように感じる。だが、この巨体だ。歩幅が比べ物にならないからな。蟻がどれだけ機敏に見えても、人間が走ったら確実に勝てる。それと同じだ。
ボタンに追いついたので、走る速度を落として並走する。
砂埃を上げながら疾走する白いウナススと、地面を陥没させながら土砂を巻き上げて進む畑。これ、客観的に見た人は目を疑うだろうな。
おっ、黒八咫も並んで飛行している。
嬉しいな。こうやって皆で一緒に並んで走れる日が来るなんて、夢のようだ。俺に絵心があれば、この感動を形として残してきたいぐらいなのだが、最近は黒八咫の方が上手なんだよな……。
この速度なら一日もかからずに着きそうだが、出発したのが昼前だったから、無理をせずに途中何処かで休憩して、一晩過ごすことにしようか。
俺は不眠不休でも余裕だが、黒八咫たちや上にいるキコユには休息が必要だ。
早めの昼食を取ってから出発したから、空に夕闇が迫って来たら今日の行程はここまでとしよう。
それまでは思う存分、動ける楽しさを噛みしめて爆走させてもらうぞ。
太陽が地平線に半分隠れてしまったところで、俺は忙しなく動き続けていた足を止め……違うな腕を止めた。
やはり、畑で作った腕だけあって、これだけ長期間動き続けていたというのに疲労感は全くない。畑になってから疲れた感覚があったのは、農作物に栄養を大量に流し込んだ時や、新たな能力開発に苦心していた時ぐらいだろう。
土の腕をどれだけ振り回そうと、所詮作り物の腕。本来の肉体ではないので疲労は溜まらないようだ。
晩飯の準備を始めてもいいのだが、現在、何もない草原に四角い巨大な土の塊がドンと居座っている状態だ。これって、目立ちすぎるよな。
高さ10メートルあるから魔物が迫ってきても、畑の上にいる動物たちやキコユは安心できる。でも、飛行型の魔物がいないとは限らないし、キコユは狙われている身だ。人目につき過ぎるのは良くない。
となると、もう一度地中に潜って畑の振りをするのが一番か。いや、振りではなく元々、畑だけど!
「どうなされたのですか? そろそろ、晩御飯の用意をしようかと思っているのですが」
あっ、ちょっと待って。みんなも柵から離れてくれるかな。ちょっと動くよ。
念の為に畑の側面に土の腕を出しておくとするか。ええと、俺の加護には『土操作』がある。体が畑なのでその土を使う為だけに『土操作』を発動していたが、本来の能力は土を操作することだ。
ということは、下の地面に面している部分の土を操作して、俺の畑がすっぽり入るように陥没させるイメージをする。
はああああっ、凹めえええっ!
俺の触れている部分に意識を集中して、場所を譲ってくれるように語り掛けるとしよう。土操作を操るコツは精神の動きだ。地面にだって俺の様に精神が宿っていないと誰が言えるのだろうか。
いつもの感じを思い出しつつ、地面さんに交渉してみますか。
ちょっとすみませんけど、入らしてもらっていいですか。
いや、すみません、もうちょっと詰めてもらえれば入れると思うのですよ。ほんと、すみません。あ、どうもどうも。いやー、最近暖かくなって、日差しが気持ちいいですよね。
ここら辺は雑草が多い平地でのどかですよね。
えっ、代わり映えがしなくて面白くない?
何事も平和が一番ですよ。何もない日々が幸せに感じる。そう言うこともあるとおもうのです。あっ、偉そうな口を利いてしまって申し訳ない。
ここに入れてもらっていいんですか。ありがとうございます!
結論を述べよう。成功した。
俺の接している地面が徐々に陥没していき、畑がすっぽり地面に埋まり……何てことでしょう! 平原に見事な畑が現れたではありませんか。
平原の空間を見事に変身させたのは、畑界の新星、人呼んでフィールドメイクアーティスト。
以前は変わり映えのしない景色が広がるただの平原だったのが、匠の手により素朴で手作り感溢れる、温かみのある柵に囲まれた畑へと変貌を遂げました。
畑には色とりどりの野菜がそのみずみずしさを体中で表現して、見る人の笑顔を誘っています。
魔物がたまに通る程度で、人っ子一人いない寂しい元平原には、まあ、なんということでしょう。立派な民家が建ち、その周囲で体の大きな幼子と動物たちがはしゃいでいます。
……やめておこう。つい楽しくなって過剰演出を入れてしまったが、これ以上は危険だ。
何もない平原に突如現れた民家と畑。人が目にしたら不審に思うかもしれないが、さっきの状態よりかはかなりマシだ。ここに移民してきた物好きがいてもおかしくはないだろう……きっと。
一晩滞在するだけだしな。まあ、いけるいける。
「見事なものですね。これで目立たなくて済みますね」
やっぱり、キコユも危惧していたのか。
一晩はここで大人しく過ごすとして、この調子なら明日の昼前にはゴウライさんの住む町――防衛都市に辿り着くだろう。
「そう言えば、ゴウライさんの住む防衛都市というのは、どんなところなのですか」
キコユが逃げてきた方向はあの山から北西。おまけに山奥でひっそりと暮らしていたから、世事には疎いようだ。俺も畑なのでゴウライさんから聞いただけなのだが、ある程度は情報を得ている。
ええとね、防衛都市と呼ばれているのには理由があって、あそこはこの国の防衛の要らしいよ。そこから更に北東に進むと、魔物が住む国がありそこに睨みを利かしているそうだ。町の北には巨大な門と堅固な壁があって、そこを超えると両端が崖になっている一本道しかないって話だね。
「そうなのですか。それは守りやすそうな地形ですね」
だよな。一本道の脇は底の見えないぐらい深い谷。空を飛ぶ敵以外は門を守りきれば、撃退できる。話によると、そこ以外は巨大な谷が魔物の国と帝国を分けるように、境界線がわりに大地を走っているらしく、帝国が滅びていないのは防衛都市のおかげとまで言われている。とゴウライさんが自慢げに語っていた。
その防衛都市に向かっているのだが、このまま訪れると、驚かれる何て程度じゃ済まないよな。やはり、事前に連絡をとっておくべきか。
黒八咫とボタン、悪いんだけど早朝に町へお使いに行ってもらえるかい?
畑の上で身づくろいをしていた黒八咫と、地面に身を投げ出し寝転んでいたボタンが、顔を上げると頷いてくれた。
「ですが、畑様。黒八咫さんとボタンさんは動物ですので、町に近づくと狩られる心配がありませんか?」
それは大丈夫だと思う。ゴウライさんは何度かうちまで来ているし、その帰りは荷猪に乗って町まで戻っている。町の入り口で見張りをしている面々には、既に顔見知りになっているらしいので問題なく通ることが可能だろう。
体が白いウナススというのは、かなり希少らしいので他のウナススと間違えられることもないそうだ。
黒八咫も何度か同行しているので、警戒される心配は少ししかない……と思う。
まあ、万が一狙撃されたり、捕まりそうになっても、この二匹なら蹴散らしそうだ。
「そうですね。かなり凶悪な魔物を相手にしても引けを取らないでしょうから、いらぬ心配でした」
心配してくれてありがとう。黒八咫たちもキコユも俺の大切な家族だからね。出来るだけ無茶はさせないつもりだよ。
「家族ですか……嬉しいです」
「クワッカー!」
「ブフォオオオ!」
キコユが破顔して、黒八咫とボタンが嘶き、ウサッター一家が嬉しそうに周囲を駆け回っている。
人でもない畑にこんなに忠誠を尽くして、仲良くしてくれている。そんな家族たちを危険な目にあわしたくはない。今回も、余計な騒動に巻き込まない為に事前に動いてもらっている。
備えあれば患いなしって言うしね。
そういや、子供の頃、本気で間違えていたな、このことわざ。
備えあれば患いなし、というのを、備えあれば嬉しいな。って……学校の授業中に穴埋め問題があって、自信満々に答えた俺を見て爆笑する先生とクラスメイト。あの時は顔面から火が出るかと思うぐらい恥ずかしかったよ。
「は、畑様! じ、地面が熱いです!」
はっ、ごめんごめん!
無意識の内に、感情が土壌に反映されていたようだ。まだまだ制御が行き届いていないな。反省しないと。
お詫びに今日の晩飯は腕を振るうから勘弁してくれ。
今日は良く食べて良く寝て、明日に備えてもらおう。また明日から忙しくなりそうだ。
俺は料理を口にして呆けている皆を見つめ、明日に思いを馳せていた。




