十話
雪だ。視界がオールホワイトだ。
毎年、それなりに雪が降り積もっていたのだが、今年は例年に増して雪が降り、かなりの量が積もっている。執事さんたち、早めに来ていて助かったな。あと一ヶ月遅れていたら、遭難か運良くたどり着けたとしても、春までここで足止めすることになっていただろう。
どれぐらい雪が降っているかというと、一晩何もしないだけで積雪は2メートル近くいき、現在、総動員で除雪作業に追われている。
畑の空白地は過去の腹立たしい思い出――一緒に行こうと約束した初詣バージョンその一で、土の温度を一気に上昇させて溶けさすのだが、野菜を育てている一帯はそういうわけにはいかない。
温度を上げ過ぎると野菜に悪影響を与えてしまうからだ。
作物ゾーンは地道にスコップやお手製の雪かき道具で対処するしかない。
畑の周りは、専用の雪かき道具を装着したボタンが除雪車も顔負けの活躍を見せている。南の崖まで雪を押し出しては捨てるという作業を繰り返しているが、ボタンの勢いは衰えることを知らない。
黒八咫とウサッター家族はお婆さんの家の雪下ろしを担当している。
産まれてから半年も過ぎると動物の世界では子供ではなくなるようで、体はまだ小さいのに動きは機敏で両親に見劣りしていない。
その鋭い耳で屋根に積もった雪を切り刻み、ブロック状にすると、黒八咫が首から下げた袋に雪を詰めて崖まで飛んでいき、中身を降下させている。
自分よりも大きな雪の塊を軽々と運ぶ黒八咫の姿は頼もしくもあるが……シュールだな。
最近毎日、雪かきばかりをしている。
吹雪く時もあるので、人が訪れることは無い。なので暇になりそうなものなのだが、雪が邪魔過ぎる。雪を一日放置したら次の日には身動きが取れなくなるだろう。
まあ、暇すぎるよりかはいいんだけどね。
冬は毎年客人がこないので、趣味に没頭する時間が増えていたのだが、今年は暖かくなるまで雪かきに追われそうだ。
「クワッカー!」
あれ? 黒八咫が警戒して鳴いているな。この鳴き方は誰かがここに向かっているということか。
しんしんと雪が降り積もり、無音に近い状態で畑まで響いてくる音は何もない。だというのに、黒八咫は気配を嗅ぎ取ったのか。相変わらず優秀な探知能力だ。
屋根の上で北東方向を睨んでいる黒八咫を手招きで呼ぶと、真っ直ぐ向かってきて、土の腕の前に着地する。
黒八咫、悪いんだけど上空から様子を見て来てもらえるかい。
切羽詰まっている状況なら、そのまま手助けをしてやってほしいけど、そうでもないなら一旦戻ってきて現状を伝えて欲しい。
畑の上で雄々しく立つ黒八咫に指示を出すと、小さく頷き、雪が止まない曇天模様の空へと飛び立って行った。
しかし、人の身長を超える雪が積もる山道を登る者がいるとは。人間の可能性は少ないよな。となると、雪に強い魔物ということになるか。
ボタン、ウサッター、ウッサリーナは警戒してくれ……そして、ウサリオン、ウッサピーは寝床で待機だ。
指示に従い、ボタンは畑の隅に移動すると、じっと身を潜める。体毛が真っ白なので、雪と同化しているかのように見える。
ウサッター夫婦は襲撃用の隠し穴に潜み、敵が現れるの待ち構えている。
その子供である、最近名づけたばかりのウサリオン、ウサッピー双子は念の為に寝床へ隠れてもらった。
さて、準備は万端だが、何が来るかな。
本命は魔物。大穴は人間だが……っと、黒八咫だけ戻ってきたか。
「クワッ、クワック、クワックアー」
鳴き声で危険を促すと、足元の枝を口で掴むと、雪かきが終わったばかりの地面に絵を描き出した。黒八咫は俺が絵の練習をしていると、見よう見真似で同じことをするようになり、最近では絵もかなり上達してきている。
ま、まあ、俺の足元にも及ばないのだけどな!
相変わらず、手早くわかりやすい絵を描くな……頭がいいだけではなく、芸術センスも持ち合わせているとはっ。
ええと、白いだぼっとした服を着た髪の長い女性が走っている絵だよな。それを追いかけている鎧を着た複数の小さな人影か。だいぶ距離が空いているということか。にしても、これだけ雪が積もっている状況で逃げられるものなのか?
雪を掻きながら進んだとしても数メートルで力尽きそうなものだが。
って、考え込んでいる場合じゃないか。色々と怪しいところもあるが、追われているなら助けてあげたいところだ。
黒八咫、ボタン、追われている人をここまで誘導してくれるかい。追っ手とは出来るだけ戦わないように。もし、戦闘になっても殺さないようにしてくれ。
女性が悪人でない保証はないからな。罪人で騎士やハンターに狙われているなら、正義は追っ手側にある。情報が無い状態で、敵対行動は避けておきたい。
ボタンが頭から積雪に突っ込みトンネルを掘りながら強引に進んでいく。黒八咫は上空から彼女の元に行くようだ。
じゃあ、どっちでも大丈夫なように、歓迎の準備を整えておこうか。
俺は物置き場から出番が殆どない物の数々を取り出し、何かがやってくるのを今や遅しと待ち構えていた。
遅いな。ボタンたちが迎えに行ってから20分近く過ぎようとしている。雪で上手く進めないことを考慮しても……いや、ボタンがその巨体で道を作っているから、女性一人なら悠々通れるぐらいのトンネルが出来上がっている筈だ。
体力の限界で歩くこともままならないのなら、ボタンがその背に乗っけてくるだろうし、うむう、追っ手と交戦状態に入ったか。
なら、ウサッター、ウッサリーナも増援として送り込むべきか。
悩みどころだな。どうしたもの――何だ! この地響きはっ!?
おおおおっ、畑の全域に揺れを感じる!
地震か!? それにしては、震源地が徐々に近づいてきているような……。揺れも激しくなっている。雪かきをしていなかったら、お婆さん家の屋根に溜まっていた雪で畑が埋もれているレベルの揺れだ。
縦揺れがどんどん大きく激しくなっているぞ。これって、どう考えても震源地がこっちに向かってきているって事だよな。移動する地震って存在するのか?
それに、この揺れ……ボタンたちが向かった方向から近づいてきているよ……な……あああああああああああっ!?
何だあれ!
2メートルは降り積もった雪よりも高い位置に、何かが見えたぞ!
白い紐のような物が無数に集まった巨大なナニか。そして、それから追われるように飛んでいるのは一匹のキリセ。黒八咫か!
あ、行きに開けたトンネルの入り口から飛び出してきたのは、ボタン!
二匹とも無事だったか。一先ず安心した……安心……はあああっ?
トンネルもろとも雪壁が目の前で崩落して、そこから現れたのは4メートル近くの巨大な――幼女だった。
はいいいぃ!? え、幼女ってのは小さくて可愛らしい生き物であって、決して大人を上回る背丈ではない。顔は雪のように白く、目は疲れきっているのか半分閉じられている。荒い呼吸を繰り返す唇は薄紅色で、小さくて可愛らしい――まあ、実際はかなり大きいのだが。
美少女と断言しても反論が来ない整った容姿なのだが……おっきいなぁ。
比較対象でボタンたちが小動物に見える。
大きさを除外して考えると、見た感じ小学一年生……いや、もう少し下の幼稚園児、5、6歳ぐらいだと思うが、たぶん巨人族とかそういう種族なのだろう。何せ、異世界だしなここ。
足下はふかふかの毛皮が温かそうなブーツに、手元には同じく灰色の毛皮の手袋が装着されている。白いコートを着込んでいるが、雪と泥にまみれ随分と重たそうに見える。
大きな幼女は雪山に突然現れた畑と家に驚いているようだが、さて、ここからどうすればいい?
何かに追われているようだし、大きな幼女も焦っている感じだ。
ボタンと黒八咫が誘導してついてきたということは、助けを求めていると考えて間違いないだろう。
家に匿うには扉から入れないよな。となると、非常用避難場として掘り進めている、地下室に逃げ込んでもらうか。あそこなら高さ3メートルはあるし、5メートル四方の巨大な空間となっている。屈んでもらえば充分いける筈だ。
見た感じ悪人や罪人といった感じではない。まあ、人は見た目じゃわからないものだが。それでも、追われ息も絶え絶えで怯えている幼子をみたら、助けたいと思うのが人情だろう。
今は時間が無い。土の腕を出して説明して警戒されたら、元も子もない。
黒八咫、避難場の入り口まで誘導して。
ボタンは入り口の扉を開けてくれ。
ウサリオン、ウサッピーは避難場の入り口から先に中に入って、危なくないことをアピールしてあげて。
ウサッター、ウッサリーナは黒八咫、ボタンと同じく持ち場で警戒態勢を維持。俺が指示を出すまで待機だ。みんな、よろしく頼むよ!
全匹が同時に頷き、指示通りに行動を始める。
ボタンが頭の角で器用に隠し扉の上に積もった土を取り除き、ドアノブに予め絡ませておいた縄を口でくわえ一気に引き開けた。
黒八咫が手招きならぬ翼招きをして、幼女を誘導している。ここまで助けてもらった前例があるので、大人しく従っているようだ。
避難所の入り口までくると、視界に広がる暗黒の空間に警戒しているようで、そこから一歩踏み出してくれない。
そこで、エシグの子供たちの出番となる。首から集光石の灯りを下げ、灯りがともった状態で率先して避難所へ飛び込んでいく。
子ウサギっぽい二匹が先に入り、室内が光で満たされたら――よし、大きな幼女も動いてくれた。中に入り込み二匹の傍に座り込んだのを確認すると、そっと扉を閉めた。
幼女の確保に成功しました!
こう表現すると、犯罪者一直線だから自重しよう。
さて、問題はここからだ。追ってきた奴らが何者なのか。匿った幼女が善か悪かの判断をする為にも、追っ手からできるだけ情報を聞き出さないとな。
相手の言い分が納得できるものなら、話し合いの場を設けてもいいし、あの子を差し出すことも考えておかないと。
ただし、どがつく悪党であれば容赦をする気は毛頭ない。
その為の歓迎準備も整っている。さあ、鬼が出るか蛇が出るか、期待させてもらおうか。




