六話 執事ステックの場合
「中々険しい道のりですね、モウダー」
この山に入ってからというもの、魔物が常時襲ってくるので埒が明きませんな。
ビシッとキメている後方に撫でつけた自慢の髪形が、崩れてしまうではありませんか。
「そうでございますね。ステック様の衰えた体では、きつうございましょう」
無表情で恭しく頭を下げてはいますが、相変わらずさらっと罵倒が入りますな。
容姿端麗だというのに、不愛想なところと何人か人を殺してそうな鋭い目つきが、全てを台無しにしていますよ。
「ステック様。今、何か失礼なことを考えませんでしたか?」
その上、結構鋭いのが面倒なところですな。
「何も。さて、噂が正しければ、そろそろ僕の動物たちが接触を図ってきそうなものですが」
「動物っ」
お、今、ほんの一瞬ですが、モウダーの顔が綻びましたな。
いやはや、年頃の娘なのに可愛げもなければ男っ気もないので、最近では加護で生み出されたゴーレムではないかと、半ば本気で思っていたのですが。可愛い顔もできるではありませんか。
「ニヤついた顔に苛立ちを覚えましたので、取り敢えず、背中を包丁で刺してもよろしいでしょうか」
「物騒なことはやめてください。そんなに何かを刺したいのでしたら、ほら、また来ましたよ」
木陰から現れた二体の闇犬を指差すと、モウダーがすっと私の前に出てくれました。
これが執事を庇う健気なメイドならば、私も年甲斐にもなくキュンとするのでしょうが、モウダーは生粋の――
「死ね」
戦闘狂ですからね。元傭兵は伊達じゃありません。
三体もいたというのに、見事に捌かれてしまいましたか。
まさに目にも留まらぬ速度でしたな。
「お見事です。貴方がいてくださるので、私も安心して危険な道中を進むことができます」
「それは嫌味ですか」
「邪推をしないでください。純粋な感謝ですよ」
多くの美しい女性を虜にしてきた、執事として鍛え上げられた笑顔をモウダーに向けてみましょうか。
なるほど、あれを渋面と言うのですね。日頃無表情なだけに、中々に心に突き刺さりますよ。あと二十年若ければ、モウダーも少しは心が揺れていたでしょうな。
「噂話を信じるのであれば、この先は自力では進めないそうですね」
「普通に歩いても同じところをぐるぐると回る、とのことです」
ふむ。何かしらの呪いや魔法が広範囲に定着しているのでしょうか。
そういえば、伝説の畑が噂になる以前から、人を寄せ付けない迷いの山だと言われていましたな。この一帯は。
「確か、少し離れた場所に廃村がありましたね。もう少し散策して、何の手がかりも得られないようでしたら、その村を目指しましょうか」
今は初冬ですからね。老骨には寒さが身にしみます。
あまり無理をせずに、無難に仕事をこなしたいものです。
それに、モウダーもいつものメイド服姿ですので、足元がスース―して寒いでしょうから。
「すみません、ステック様。その粘っこい欲情した視線を私の脚に向けるのは、やめていただけませんでしょうか」
「これは心外な。私はもう少し肉付きのいい脚が好みなのですよ。女性は少し太っているぐらいが魅力的なのです」
「そういうのいいですから」
やれやれ。そこは話題に乗って話を盛り上げるのが、メイドとして正しい姿でしょうに。もっとも、急にモウダーが笑みを浮かべ愛想が良くなったら、病気か別人が変装したのではないかと疑いますが。
「やはり、包丁で刺した後に捻っていいですか」
「傷口が広がって出血が多くなるから、やめなさい」
メイドの教育方針を間違えましたかな。
旦那様を守るには優秀な護衛なのですが、メイドとしては微妙なところです。
家事はそつなくこなし、粗相もありませんが、どうにも愛敬が足りませんな。
っと、新たな客人でしょうか。
「モウダー。何かが接近しています。警戒を」
「わかりました」
太股に巻き付けている革製のホルダーに入った包丁を二本取り出し、構えを取っていますな。
もう少し包丁を携帯する位置を上に移動させれば、取り出す際に、見えそうで見えないというエロスを感じさせることもできるでしょうに。勿体ない。
「手が滑って、喉を切り裂いてしまったら、申し訳ございません」
考えが全く読み取れない表情だと言われてきたのですが、モウダーは私の心を覗いているかのようですね。
本当に心が読めるのであれば、それはそれで構いませんが。
むしろ、旦那様に対して危険な思想を抱かれている人を見抜けますので、ありがたいぐらいです。
「これは、羽音ですね」
静かではありますが、羽ばたく音が耳に届いています。
音から察するに、翼を限界まで広げたら私の身長を超えるぐらいはありそうな大物ですな。
「南東の木の上です」
指摘された場所に目をやると、漆黒を固めて鳥の形を創り出したかのような、一羽のキリセが太い枝の上から我々を睥睨しているようです。
「これはまた、見事なキリセですな」
キリセ特有の三本の足は、どれも大きくしっかりとしています。爪も鋭く、あれで引っかかれたら、仕事着の執事服がずたぼろにされてしまいますな。
もう一つの特徴でもある三つの目は、じっとこっちを見つめているのですが、警戒しているというよりは見定められているような、そんな気にさせてくれますよ。
「やだ、可愛い……どうしましょうか。できるだけ動物は殺したくないのですが」
闇犬や黒魔犬も殆ど動物ですよね。そんな相手を容赦なく切り刻んでいた貴方が、それを口にしますか。
きりっとした表情で無関心を装っていますが、先程の言葉聞き逃していませんよ。
可愛いですか……キリセなんて闇犬たちより見た目は魔物に近いでしょうに。
「キリセは頭のいい動物です。理由もなく人を襲ったという事例は聞いたことがありませんので、手を出さなければ大丈夫でしょう」
「人を殺しても心は痛みませんが、動物を殺すとなると後悔の海で溺れ死んでしまいます」
人を殺しても悲しんで欲しいところですな。
無類の動物好きは戦いになっても役に立たなそうなので、ここは私が前に出るとしましょう。
このキリセ只者ではなさそうです。こちらを見つめながら、何か動きがあったら咄嗟に対応できるように、足を曲げていつでも羽ばたけるように構えていますな。
普通の動物にはない知性を感じずにはいられません。
「もしや、貴方様は畑の守護者と共にいる僕なのでしょうか」
「動物に話しかけている……ボケが進行しているのですね」
進行も何も、元々ボケてはおりませんぞ。
「クアーーッ」
キリセは我々へ黙れと言うかのように一度鳴いたように感じたのですが。考え過ぎでしょうか。
いや、考え過ぎではなかったようです。頭を上下に揺らし、私の問いに答えてくれたようですな。キリセは頷いている……つまり肯定したということですか。
「やはり、そうでしたか。不躾ながら畑の守護者様にご相談したいことがありまして、遠路はるばるやってまいりました。なにとぞお目通しを願えませんでしょうか」
おや、今度は首を傾げていますが、あの三つの瞳は私の顔にしっかりと照準があわさっているようですな。
人の言葉を理解して考え、自分で判断することも可能ときましたか。
あの噂の信憑性が増してきましたな。
「小首を傾げる仕草も可愛らしい……」
凛々しいなら理解できるのですが、可愛いという言葉がこれ程似合わない鳥もいないでしょうね。
暫く、思案するかのようにじっとその場から動ない。そうしていると、いつの間にかキリセの隣にエシグが二匹いるではありませんか。
どうやってあんな高い位置にある枝に登ったのでしょうか。元々、跳躍力はかなりありますが、それでもエシグが届くような場所じゃないでしょう。それに、この個体も規格外の大きさをしているようですな。
「ああっ、大好きなエシグまで。はあああぁ」
自分の体を強く抱きしめ悶えていますな。最早、動物好きを隠す気もありませんか。
モウダーが役に立たないという事が判明したようですが、どういたしましょう。
万が一、動物との戦闘に至った場合は、私がやるしかないようです。
三匹は顔を見合わせ、まるで人間の様に相談している感じに見えますが、まさか、そんなことはないでしょう。
キリセは頭のいい動物なのでまだ理解できますが、エシグの知能が高い等と聞いたこともありませんぞ。
「クワッカークワ」
三匹は枝から飛び降り大地に着地すると、羽を曲げ我々を招くような仕草をしていますな。魔物の洞窟に飛び込まなければ宝は手に入らないと申しますし、ここは誘いに乗らせていただきますよ。
「ああ、動物たちが私を楽園へ誘っている……」
指示を出す前に、モウダーが夢遊病の患者の様に歩き始めていますね。
やれやれ、悪意を感じないから良いものを。
苦言を呈するのは後にして、今は誘われるがままに、進んでみましょうか。




