二話
結論を言おう。顔に鍬が何とも刺さったが、平気だった。
何を言っているかわからないと……やめておこう。この表現は色んな所から怒られる。
まあ、あれだ現在進行形で顔面に鍬がめり込み、抉られているのだが痛くも痒くもない。どうやら、痛覚すらないようだ。ちなみに血も出ていない。
ここまで奇妙な状況だと人は冷静になるようで、俺の心は穏やかだ。さっきまでのテンションが嘘の様に、まるで行為を終えた男性の様に賢者モードに入っている。
「今日のうちに、ここは耕しておかんといかんね」
お婆さんは年の割に機敏な動作で、俺の顔を耕している。
そう、耕しているのだ。
ここまでくれば、俺だってわかる。どうやら、俺は――土になっている。
そして、お婆さんに耕されている。ああ、うん。耕されているんだぜ俺……。
はあああああああああああああああああっ!?
何だこれ! 目が覚めたら土でしたって何!
常識を逸脱し過ぎているだろ!
たぶん、これって転生ってやつだよな!
何か知らないけど死んで、生まれ変わるって奴だ。仏教か何かで輪廻転生って言葉があった……と思う。詳しくは知らないけど、死んだら生まれ変わるって話だった……筈。
でまあ、うろ覚えだが生前悪いことしたら虫とかに成るとかだったか。
でだ、それを踏まえた上で俺は生前そんなに酷かったのか? 虫どころか土ってああた。どんだけ業を背負っているんだよ。
生前の記憶はある。ごく一般的な高校生だった。親友と呼べる存在もなく、一番会話する相手はMMOのギルドメンバー。ほら、一般的な……過去はどうでもいい。大切なのは今だ!
気を取り直していこう。つまり俺は土だ。それもどうやら畑だ。
このお婆さんが所有している畑の土。それが俺である。
あれか、生前の名前が畑農幸だから、畑になったのか。なるほど、神様一本取られましたよ。
いつか、神に復讐してやる……。
まあ、土になっただけで、何もできない俺に復讐なんてできるわけがないのですけどねー。それに、実は不快感が全くないのが厭らしい。
受け入れてしまえば、この状況も悪くない気がしてきた。
一生懸命働くお婆さんを眺めるだけで、手を貸せないのは心苦しいが、今の俺には何もできない。せめて、よい作物が実ってくれたらいいのだが。
「ほんま、一人は辛かのぉ。爺さんや、あん子がいてくれたらのぉ」
この地方の方言なのだろうか。関西弁がベースのようだが、時折、聞き取り難い言葉がある。だけど大体は理解できる。どうやら、このお婆さんは亭主と子供を亡くしたようで、一人で農作業をしているみたいだ。
見た感じ80は超えていそうなので、かなり体に無理をしているのだろう。心配でならない。
「なんや、土がかとうなっとらんか?」
お婆さんが俺を見つめ首を傾げている。硬くなっているって言っているのか。
さっきまではかなり順調だったみたいなのに、今は振り下ろしては眉根を寄せ、少し辛そうだ。
何か畑に異変が起こったのだろうか。
「さっきまでは、えらあ柔らこうて、やりやすかったんやがな」
柔らかかった。それで、今は硬い。畑は俺だ。ということは土質も俺の影響を受けているとは考えられないだろうか。
さっきまではテンションを無理に上げて、動揺しまくっていた。
今は冷静になり、考え事をしている。
まさか、俺の心理状況が土に影響を与えている、というのは考え過ぎなのだろうか。
試してみるか。どうせ、体を動かすこともできないのだ、ここはやるだけやってみよう。
「この調子やと、今日中には耕せんかもしれんなぁ」
では……諦めんなよ! ほら、テンション上げていきまっしょい!
やればできるよ! さあ、若いころのパトスを思い出して!
あの滾る情念を抱いていた、美少女時代の自分になるんだ!
やる気があれば何でもできる! 老女よ畑を抱け!
カモオオオオオオン! さあ、俺の中にその熱い物を挿入して来いやああっ!
「あんれま。また鍬がすんなり入りおる。それもさっきより、耕しやすうなっとるわ。不思議なこともあるもんやねぇ」
どうやら、成功したようだ。
土壌は俺の精神状態によって変化することが立証された。心にメモっておこう。
「んー、また土が少し硬くなっとるね。今日はえらく偏りがあるもんや」
っと、考え事は後だ。いくぞ、テンションアゲアゲだ。
はい、はい、はい! 掘って、引いて! 掘って、引いて!
はああ、そいやせー、どっこいせー!
そうして俺は視界が赤く染まり、夕焼けになるまで、お婆さんを盛り上げつづけた。
疲れた……それが正直な感想だった。
土なので体の疲労感はないのだが、心が摩耗している。人生であそこまでテンションを上げたことがあっただろうか。いや、ない。断言できる。
俺の目に映るのは夜空。漆黒のキャンバスの中に幾つもの光が瞬いている。
綺麗だな。夜空を見上げるなんて久しぶりだ。小学生の時に両親とキャンプ入った時以来かもしれない。
高校にもなって夜空を眺めて「綺麗だな」なんて呟いたところを、同級生にでも見られたら馬鹿にされるに決まっている。何で、そういう行為を恥ずかしいなんて思うのだろうな。今になってそう思う。
お婆さんはとっくに家へ帰ってしまった。視界の端に仄かな灯りが見えるので、畑に隣接して建てられているのだろう。
静かだな。結局ここが何処かわからないままだが、おそらく山奥のド田舎。
過疎化が進む村といった感じだろうか。いや、まあ、上しか見えないから全てが唯の憶測なのだが。今日一日お婆さんを盛り上げていたが、誰も訪ねてこなかった。
朝から晩まで働き続け、一人暮らしの老婆。
何とかしてあげたい。ただの畑である俺だが、少しでもお婆さんの助けになるのなら、全力で応援を続けよう。
お婆さんの姿を見ていると、九州に住んでいた祖母を思い出してしまった。
優しく、たまに顔を見せると満面の笑みを見せて「ようきたね」と歓迎してくれた祖母。
だが、俺は中学になると九州の田舎に帰るのが面倒になり、夏休みの恒例行事だったのだが何かと理由を付けて帰るのを拒否し続け、去年、息を引き取るまで五年間会うことは無かった。
碌な孝行をしてこなかった俺に対する神罰なのかもしれないな。
なら、精一杯、全力でお婆さんに孝行してやろうじゃないか。
この畑を村か町かは知らないけど、一番の畑にしてやる。声も出せず、直接手を貸すこともできないが、俺にやれる範囲で全力を尽くす。
よし、決めた。生まれ変わった俺のお婆ちゃんの為に今日からやるぞ!
まず、俺の状況を再確認だ。
畑、完。
終わってしまった。うむ、体の……畑の大きさはどの程度なのか、わからないだろうか。見えるのは畑の中心部から上の光景だが、体の感覚というか畑はもっと広い。この視界の移動が出来れば、文字通り新たな世界が広がる筈だ。
今は自分が畑だと理解している、ならば意識をすればどうにかなる……と、いいなあ、という希望的観測。
幸か不幸か時間はたっぷりあるんだ。色々考えてやってみるか。そもそも目という器官が無いのに見えているんだ。視界を移動することもできる、と考えよう。
土壌は精神状態で変化した。ならば、視界の移動も精神論でいってみるか。
動く、動く、俺はできる子!
目よ動けええええええっ!
そうして俺は毎晩、視界移動の訓練をするのが日課となった。