五話
酷い叫び声が聞こえたから、皆に様子を見に行ってもらったけど、無茶してないだろうな。
魔物に襲われているなら、できるだけ助けてはやりたいが、それであの子たちに大怪我を負わせたくはない。
冷たいようだが、見知らぬ他人よりも、身内の方が大事だからな。
緑魔の群れ程度なら、あの四匹で楽に倒せるが最近は妙な魔物も姿を現すようになったから、油断は大敵だ。
森の方から聞こえてくる喧騒が止んだか。なら、そろそろ帰ってくるか。
っと、先にウサッターとウッサリーナがご帰還とは珍しい。いつもなら、ボタンと黒八咫が我先にと競いながら帰ってくるのだが。
「ぇぇぇええええええ!」
女性の悲鳴が徐々に大きくなっている気が……助けた女性を拾ってきたのか?
となると、姿を取り敢えず消しておくか。土の腕だと魔物と勘違いされかねない。
地響きと女性としてどうなのかと、苦言を口にしたくなるレベルの悲鳴が近づいてくる。
あれか、ボタンが背に乗せてロディオ状態なのか。だとしたら、ご愁傷様です。上下の揺れもさることながら、あの速度、尋常じゃないよな。
相当ひどい絶叫マシン並に恐怖を覚えるかもしれない。俺なら絶対に乗りたくはない。
「とまってええええぇぇ! お願いだからとまってえええぇぇ!」
あっ、体中に枝や葉をくっつけた女性が出てきた。やっぱり、ボタンが乗せてきたのか。黒八咫が落ちないように支えている。相変わらずお利口さんだな。
「はひぃ、お、終わった。下りていいのね……はあはぁ、うっ、おええええええっ」
あーあ、吐いちゃったか。
乗り心地最悪っぽいもんな、無理はない。可哀想に。
ショートカットの女性は胸元と肩を覆う革鎧を装備している。あと手甲らしき物もつけているようだが、やけに軽装だな。
腰に剣を帯びているから、ハンターなのだろうけど荷物も背負っていない。
言っちゃ悪いが、見た感じ初心者っぽいぞ。
木にもたれかかり荒い呼吸を繰り返している今なら、こっちを見ていないな。おーい、黒八咫。こっちだこっち。
地面から腕を出し、黒八咫を手招きで呼ぶ。直ぐに気付いた黒八咫は三本の足で地面を駆けながら、近寄ってきた。
これ、あの人に渡してあげて。嘔吐したあとは口の中が気持ち悪いからな。水で口をすすぎたいだろうし。
俺は陶器のコップに壺に溜めておいた水を汲み、黒八咫に手渡す。三本あるうちの真ん中の足でコップを受け取った。
「クオーッ」
と鳴くと、畑の隅で座り込んでいたボタンが立ち上がり、見るからに渋々と言った感じで黒八咫の元へ歩み寄る。
すると、黒八咫がその背に飛び乗り、ボタンはゆっくりと女性の元へ移動していった。
何だかんだ言っても、この二匹仲がいいんだよな。
「えっ、お水くれるの! ん、もう気の利くキリセねっ! 人間だったらいい男間違いなしよ!」
見ているこっちが圧倒されそうなぐらいに明るい人だな。
ボタンたちに対して全く怯えてないようだし、肝っ玉が太いのか、そういうのを全く気にしない人なのか、適応能力が異様に高いのか。
どっちにしろ、好感の持てる性格――
「あ、どうせなら、そこの畑にある美味しそうな果物がいいわ。ほら、あの橙色した実があるでしょ! あれよ、あれ!」
ん、んー。あれだな、物怖じしなくて空気の読めないだけの人だ、これ。
無断で畑に入り込もうとしているのを、黒八咫とボタンが牽制しているぞ。
「えっ、何よ、何で邪魔するの。あいたっ、やめてお尻に角刺さないでっ! ちょっと、玉のお肌をひっかかないでよっ!」
あれだ、止める気になれない。悪い人じゃないのだろうが、もうちょっと遠慮というか……学生時代にもいたなこんな人。空気が読めずに、自分のしたいことは意地でも貫き通すくせに、協調性が全くない。
あれだ、たまに遊ぶならいいんだが、常時一緒には居たくないタイプだ。
「わかった、わかったわよ。勝手に作物採ったりしないから。あ、そうだったわ。貴方たちのご主人様に会わせてもらえないかしら。助けてもらったお礼もしたいし」
あれ、意外と常識のある人なのか?
四匹がどうするといった感じで畑に顔を向けている。
挨拶するにも土の腕を出すしか方法がないわけだが、きっと驚くよな。下手したら魔物扱いされて飛びかかってくる可能性もある。
もっとも、戦いを挑まれたところで負けない自信はあるが。
「もしかして、留守なのかな。お家はここよね。すみませーーん! 私、ハンターのナユッキと言います! 僕の方々に助けていただいたお礼を言いたいのですがー」
強引な性格だ。もう少し待つとか、みんなが結論を出すまで待とうとは思わないのだろうか。むしろ、こういう性格がこの世界では普通なのかもしれないが。
そういや、うちの婆さんの田舎は、鍵開けっ放しで近所の人が勝手に入ってきて、お茶飲んでいるということが頻繁にあった。
悪く言えばずうずうしく、良く言えばみんなおおらかな気風だった。
見れば見るほど、九州のお婆さんの隣に住んでいたオバさんに行動パターンが似ているな。
良く大声で家の前で呼んでいたり、勝手にお菓子食べたりしていた。
「もしもーし、いませんかー」
そう考えると、あまり腹も立たなくなってきた。
根は悪くない人だと……思う。きっとそうだ。そうであって欲しい。
筆談も『はい』『いいえ』『どうぞ』のみだが、あとは身振り手振りで何とかするか。
俺は彼女の近くにある畑の地面に意識を移し、土の腕を浮かび上がらせた。
「へうっ!? え、土の腕をした魔物!?」
腰に携帯した剣を抜こうと柄を掴もうとしたようだが、その手が虚しく空を切っている。
既に黒八咫により回収済みだ。
「えっ、剣が! あ、ちょっと、店頭大安売りで買った私の剣もっていかないでー!」
剣を掴んだまま飛び立った黒八咫が、彼女――確かナユッキだったか。からかうように上空を旋回している。
いや、ピョンピョン飛び跳ねても届かないって……。
取り敢えず、落ち着かせるか。俺は土の腕を空へ向けて振り上げ、握った拳をぐるぐると手首の運動をするように回す。
それが合図となり、空を舞っていた黒八咫が俺の腕へと降り立った。
「私の唯一無二の武器返してぇぇ」
あ、半泣き状態だ。にしても、ハンターが予備の武器も持っていないってのは問題外だろ。良く今まで生きてこれたもんだ。
あまりに可哀想だから、黒八咫、剣渡してもらっていいかい。
俺の言葉に頷くと掴んでいた剣を離して、俺の手の平に置いた。それを指先で摘まむと、彼女へと差し出した。
「ふえっ、返してくれるの? あなた、見た目に反して良い人……良い腕ね」
わざわざ、言い直さなくてもいいんだが。
にっこりと笑うと可愛い顔をしている。まじまじと見てしまったが、まつ毛が長く金色の瞳からは溢れんばかりの生命力を感じる。
綺麗な顔立ちをしているというのに、言動のおかげで美人というよりは元気っ子というイメージだな。歳も十五ぐらいか。高校に入ったばかりか、中三ってところだろう。
あれだな、年齢の割に精神が幼いだけなのかもしれん。
「それで、あなたは土の精霊か何かなの?」
そういう質問なら答えられる。枝を拾って『いいえ』と地面に書いた。
「あっ、言葉がわかるのね! じゃあ、伝説のハンター、ターミオ様を知っているかしら?」
ターミオって誰だ。心当たりはないな。なら『いいえ』だ。
「知らないのか―。うーん、無駄足だったかしら。折角、情報を掴めて大金手に入れるチャンスだったのにぃぃ」
あっ、地団駄踏み出した。
情報に大金って事はその伝説のハンターやらを探し出せば、賞金か何かもらえるということか。
ぐぎゅるるるるるる。
今、凄まじい腹の音がしたぞ。音の主はこの女性、ナユッキで間違いなさそうだ。
「えへへへ。がっかりきたら、余計にお腹空いてきちゃった」
流石に羞恥心はあったか。恥ずかしそうに頭を掻いている。
なら、野菜を幾つかと果物を食べてもらうか。
今は夏が過ぎて秋なのだが、お勧めの野菜はやっぱ芋系か。食物繊維たっぷりで、腹持ちもいい。となれば、女性の好物として有名な焼き芋だよな。
ちょうどサツマイモに似たシテミウマが収穫の時期で、畑に積もっている落ち葉を集めて燃やしている中に、幾つか放り込んでいたところだった。タイミングのいい人だ。
生で食べられる野菜を幾つか渡しておいて、シテミウマが焼き上がるまで時間稼ぎしておこう。
「え、この美味しそうな野菜くれるの! ありがとうー。実は肉派なんだけど、仕方ないわよね」
一言多いが喜んでくれたようだ。
「では、ご馳走になります! はあむっ」
ごきりぐしゃりと豪快な咀嚼音がこっちにまで届いている。
そんな口いっぱいに頬張って……うちの四匹の方が上品に食べるぞ。
おっ、何か目つきと顔つきが変わってきたな。ちょっと、嫌そうに口にしていたというのに、目が限界まで見開き、眼球が前に出てないか。
喉が大きく膨らんでいる。呑み込んだようだが、リアクションが全くない。
美味しくなかったのか?
サラダでも使うことがある野菜だから、生でも充分いけると思ったのだが――はっ、な、なんだとっ! ナユッキが涎を垂れ流したまま、遠くを見ている!
これは、言葉でなくその立ち姿で美味しさを表現したというのかっ!
あれだな、百年の恋も冷める情けない姿だ。涎が、胸元に零れ落ちているぞ。
「はっ、あまりの美味しさに意識が天空へとぶっ飛んだわ! な、なにこれ!? 本当に野菜なのっ! 調理どころか味付けもしてないのに……信じられない」
驚嘆しているな。これだけ評価してもらえると、やっぱり嬉しいもんだ。
丹精込めて作り上げた作物が称賛される。作り手として、心が――畑が満たされる。
もしかして、味音痴だったらどうしようかと、失礼なことで心配していたのを謝りたいぐらいだ。
「昨日食べた、やたらと苦い木の実や、一週間前にパン屋からもらった、カサカサのパンの耳とは比べものにならないわ……」
前言撤回。
そりゃ、そんなへっぽこな食生活をしていたら、うちの野菜を食べたら気を失いかねないよな。
あーあ。凄まじい勢いで作物を貪っている。
あれだけの速度で口に無理やりねじ込んでいるのに、欠片すらこぼさないのは立派だな。瞬く間に野菜たちが消えていく。
そろそろ、サツマイモ……じゃなかった。シテミウマも良い具合だろう。焚き火跡に枝を突っ込み、灰を払いながら芋を掘り出す。
お、いい焼け具合だ。枝もすっと中に入っていく。
ナユッキはまだまだ、物足りない感じだな。では、更に驚いてもらおう。
焼きたてのシテミウマを三つ摘み上げると、彼女の前まで持って行き、俺が何をしたいのか察知していた黒八咫が引いてくれた、食器代わりの大きな葉の上に置かせてもらう。
「これは、この焼きたてのイモはっ! ああ、なんて香ばしくて、思わず頬が緩みそうになる香りなの……た、食べていいの? あとでお金払えとか言われても、お金ないわよ?」
そんなケチくさいこと言わないって。
地面に『どうぞ』と書くと、目を輝かせている。
別に逃げないから、慌てなくていいのに。ほら、布か何かで包んでからだと、皮を剥きやすいよ。って、皮ごといく派か。
「はあうっ。はふはふ、んぐんぐ、んぐぐぐぐぐ!?」
あ、手にした焼きシテミウマを凝視している。そのまま何も言わずに二口目にいったな。
また、一口、そして一口。噛めば噛む程、顔がとろけていくぞ。
もう、頬の筋肉が消え失せたのではないかと思えるぐらい、緩い顔をしている。
「も、もう駄目。あまりの美味しさに、力が入らないぃぃ」
地面に座り込んでいたのだが、それすらも困難になってきているようで、そのまま横向けに倒れている。でも、手にした芋は離さず、口に固定されたまま顎は動き続けているようだ。
「こ、この味を知ったら、他の食事が味気なく感じちゃう……だから、食べ過ぎちゃダメ、ダメなのよナユッキ。はむぅ」
そう言いながら、一つ目を食べ終え、次の焼きシテミウマに手を出しているな。
とうとう、我が野菜の魔力に陥落したか。無理もない。焼き芋はただでさえ、女性を引き付けるというのに、うちの栄養たっぷりで味も濃い野菜を使ったんだ。その威力は計り知れない。
そういや生前は俺も焼き芋好きだったな。特に安納芋が好きで、農家から直接箱買いしていたぐらいだ。懐かしい。
さーて、満腹になって寝ているナユッキには悪いんだが、黒八咫、ボタン、運んでおいてくれるかい。
黒八咫がナユッキの肩を掴み上体を起こさせると、その股にボタンが入り込み、二匹力を合わせて、お婆さんの家まで運んでいる。
屋外で眠らすには、寒すぎるからな。
さてと、突然の客人は眠ったことだし、畑の隅で実験的に育てている、野菜の状態でも確認するか。冬になると育てられる野菜が極端に減るから色々やってみないと。




