十四話
「畑さんや、今までありがとう。こうやって皆が今日まで過ごせたのも、皆、あんたのおかげじゃ」
キッチョームさん頭を上げて。畑に深々と頭下げていたら、変な目で見られますよ。
「ツッチーは一緒に行かないの?」
「ツッチーは畑だから、ここから動けないんだよ。わがまま言ったら、ツッチーも困るだろ」
子供たちにはツッチーという愛称がすっかり定着してしまったな。
「やだやだよっ! ツッチーも一緒に行くのおおおおおぉ」
「泣いちゃダメだよ、泣いたらツッチーも、こ、ま、るだ……うええええええええん!」
ああ、二人とも顔を涙と鼻水でそんなにぐちゃぐちにして。
ええと、手拭いが畑の隅で干していたよな。あったあった。
ほら、これで顔拭いて上げるから。鼻水とまらないみたいだな、はい、ちーんして。
「お世話になりました」
元料理店の奥さんがキッチョームさんと同じく、頭を下げてきた。
いえいえ、こちらこそお世話になりました。
この人は家事と育児の殆どを担当して、過労で倒れないかと心配になるぐらい、その身を粉にして働いていた。
旦那さんを失った悲しさを紛らわす為に奮闘してきたのだろう。
最近は少し笑うことも増えてきた。このまま、元気を取り戻してほしいところだ。
「畑さんをこの場に残し、旅立つことをお許しください。わしらにはこの土地はあまりにも過酷すぎる」
いいんですよ、キッチョームさん。
お婆さんの力だったのかどうかは今になっては不明だが、あの日以来、以前にも増して魔物や害獣が頻繁に現れるようになった。
昼間は魔物や危険な害獣の接近を俺が察知すると、畑に備え付けておいた警鐘を鳴らし、皆に知らせ家へと退避してもらっている。
お婆さんの住む家はこの時代の一般的な木造家屋とは違い、暗い灰色で真四角の岩をくりぬいて作ったかのような外装をしていて、窓には全て格子がついている。外敵対策も万全だった。
あ、そうそう。腕を作り出せるようになったおかげで、視界を手に移すことが可能になり何と、空以外を見ることが可能となったのだ!
これは人類にとっては当たり前の行為だが、俺にとっては革命的な進歩だった。
その能力により異世界に来て初めてお婆さんの家を見ることが叶った。初めからこの家を見ていたら、お婆さんに対して何らかの不信感を抱いていた可能性もあっただろう。
それぐらい頑強で、ただの老女が住む家としては相応しくなかった。
こんな無骨な家でずっと魔物の襲来を警戒し、一人寂しく生きてきたのか……。
「貴方を置いて旅立つというのに、こんなに野菜を貰ってしまって」
この村にやってきた救助隊の騎士団も人数が多いようだから、これぐらいは持って行かないと、足りないでしょ。
救助隊というのは、昨日、この家にやってきた鋼の鎧を着込み、騎馬に乗った十数名の騎士だった。
俺は怪しまれないよう畑の隅で、土の塊の振りをしながらキッチョームさんとの会話に聞き耳を立てていた。
その時の会話によると、ここ数年、周辺の村を襲う魔物使いの加護を持つ男がいるらしく、その男を捕まえる為、村に警戒を促す目的もあって各地を巡回していたようだ。
村が壊滅したことを知った騎士団はキッチョームさんにあることを持ちかけた。
近くの村に移り住むのであれば護衛しようと。即座に返答ができなかったキッチョームさんは一晩考えさせて欲しいと答えた。
昨晩、子供が眠ってから、キッチョームさんと料理店の奥さんは話し合いを始めた。俺に聞こえる様、畑の傍で。
俺も土の腕を出し、ただ黙って二人の話を聞いていた。
意見を求められた時も、二人の考えを優先する様に身振り手振り、いや、手振り手振りで伝え、元々口は無いが一切口出しをしなかった。
筆談で会話に参加する手段があるのではないか、と以前の俺なら思っていただろう。
だが、それは無意味なことなのだ。この腕を得てから地面に文字を書いて意思の疎通を図ったこともあるのだが、通じなかったのだ。
そう、話す言葉は理解できるのに、文字は全くの別物らしい。
っと話が逸れたな。二人は夜が更けるまで話し合い、ここを発つことを決めた。
その結果が今だ。
「づっぢぃぃぃぃ、嫌だよぉぉぉぉ」
「ぼ、僕はもうなかないよ、なかないからっ」
キッチョームさんのひ孫娘の手をしっかりと握る、生き残りの男の子――キークゥとダイゾ。二人とも元気でな。一年間本当に楽しかったよ。
「いつかまた、ここに戻れる日が来ることを願っています。夫の眠るこの村に」
また再会できたら、俺も嬉しいな。
「本当に、本当にお世話になりました。オータミさんは今思えば不思議な人じゃった。いつからここに住んでいたのかもわからず、わしもいつからここに通いだしたのか、全く覚えておらんのじゃ。まるで記憶にもやがかかっているかのように」
おそらく、オータミお婆さんの加護の一つに、相手の認識を誤魔化すか、記憶を操作できるようなものがあったのだと思う。
「だが、悪い人ではなかった。それだは確かじゃったよ……オータミお婆さんのこと、お頼み申します」
任せてください!
畑もお婆さんも俺がちゃんと守り続けますから。
四人は最後に畑に隣接して作られた、オータミお婆さんの墓に手を合わして、ここを去っていった。
何度も何度も、何回も何回も、こちらに振り返りながら大きく手を振る。
俺も手を振り返したかったが、護衛の騎士団が居るのでぐっと堪えた。俺の様な異質な存在が明らかになったら、興味を持って手を出してくる輩が絶対に現れる。
俺が逆の立場なら好奇心が疼くだろうからな。
あー、静かだ。
この一年騒がしくも楽しい日々だった。
お婆さんも本当に幸せそうで、村はあんなことになってしまったが充実した一年だったと思う。
これからは独りか……。
村は廃墟となり、誰もここには寄り付かなくなるだろう。
俺はここで、畑とお婆さんの家と墓を守る役割がある。
それに、大切な、二人の思い出が詰まった作物。この子たちも立派に育ててやらないとな。これからは獣たちにも少し分けてやってもいいかもしれない。
問答無用で駆除してきたが、食べるものがいなくては、作物はただ腐り果てるのみ。それでは、この子たちがあまりにも哀れな気がする。
美味しくなるように丹精込めて育てた作物なのだ、やはり誰かに食べてもらいたい。
哀愁を帯びている場合じゃないか。
やることは山積みだ。
昼の水やりに、まだ手を付けてない畑の開発。
お婆さんの墓も綺麗にしないと。いずれ石も加工できるようになったら、四角い立派な墓石を建てたいな。それまでは、この漬物石みたいなので我慢してください。
畑の周囲に塀というか柵でも作りたいな。風通しを良くしたいから土の塀というわけにもいかないか。木を切り倒せたらいいのだけど、これも今後の課題だ。
あと、自分の加護を強化するのも忘れてはいけない。
いつか人型に成れたら……まず……お婆さんの家の掃除だな。
戸締りを完璧にして、虫一匹は入れない状態だが風化は待ってくれないからな。いずれ、大掃除しないといけないだろう。
もちろん、作物の世話も忘れてはいけない。実れば収穫は必要だし、季節が変われば種蒔もしないとな。
ほら、寂しがっている暇もないぐらいに、やることがある。
毎日が大忙しで、充実した日々が待っている。
だから、お婆さん。安心してください。
俺は元気に楽しんでいくから。
見慣れた大空を見上げ、その先にいるであろう、お婆さんに向けて俺は大きく手を振った。
強い風が吹き抜け、作物が大きく揺れる。
それはまるで、お婆さんが俺に手を振り返してくれているかのようだった。
俺は大丈夫だ。
ここには、お婆さんが残してくれたものが沢山ある。
だから、大丈夫。元気にやっていけるさ。
よおおおし、気合入れていくぞ!
久々にテンション上げて、いきまっしょい!
さあ、俺の畑を俺の手で蹂躙してやるぜ!
それから月日が流れ、近隣の村や町に妙な噂が、まことしやかに囁かれるようになる。
人里離れた山奥に妙な形をした民家と、見事に整備された畑があり。そこには誰もいないというのに見るも鮮やかな作物が実り、その実は豊潤で意識が飛びそうになるほどの美味だということだ。
ただし、その畑に近づくときには守るべきルールが幾つか存在する。
畑の脇にそっと建つ墓にお参りをすること。
自分で実をもぐのではなく、手を合わせて目を閉じ、どの作物が食べたいか言葉にする。
そうすると、目を開けたとき、採れたての野菜がそっと置かれている。
そして、畑に気に入られた者は畑に隣接する家の鍵が開き、一晩そこで過ごすことが許されるそうだ。と言っても、玄関とその先の広間だけ立ち入ることが許され、他の部屋の鍵は開かないそうだが。
帰り際には多くの野菜が盛られた籠が家の前にそっと置かれていて、持ち帰ることが許される。
だが、万が一、畑や墓や家を荒らした場合、その者は無事山を下りることはない。
怒れる土地の守護者により骨まで溶かされ、畑の養分にされてしまうからだ。
あれ程の甘露は人の命をすすった作物だから、成し遂げられる味だと伝えられている。
そんなことを知ってか知らずか、今日も今日とて畑では、にょきっと飛び出た腕が畑を耕すいつものシュールな光景が繰り広げられている。
土の腕が忙しなく働く姿というのは奇妙でありながらも、その光景を偶然目撃した人々は怖いと思うことは無かった。
物言わぬ土の腕が、何故か、楽しそうに農作業をしているように見えたからだ。
第一部、お婆さんと一緒編はこれにて終了となります。
第二部は、一部と同じぐらいの分量を目指していますが、予定は未定ですので変更される場合もあります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。




