十三話
「畑さんや。お婆を作物んところまで連れてってくれへんか」
突然の申し出に、俺は咄嗟に反応ができなかった。
お婆さんはあの日以来、体が憔悴していき、今では歩くことすら困難になっている。
本人曰く、「これは寿命なんやから、気にせんでええんやで」らしいが、俺としてはあの時の対応をもっと上手くやれば、お婆さんは元気になれたのではないかと、後悔に後ろ髪を引かれる思いだ――髪は存在していないが。
「頼むわ、畑さん。もう一度、ちゃんと野菜たちを見ておきたいんや」
懇願するオータミお婆さんを断れるわけもなく、俺は畑の隅に移動すると土の腕を巨大化させ、大人の男性と変わらぬ大きさへと膨張させた。
大きさは自由自在とまではいかないが、人の小指程度の大きさから、最大は二メートルまで腕を大きくすることが可能となっている。
これは、あの日、魔物とそれを使役していた男を倒してからできるようになったことだ。多くの栄養というか経験値を吸い取り、また俺の能力が強化されたおかげだろう。
でも、腕が増えることは無かった。どうせなら、もう一本腕があれば色々便利なのだが、贅沢は敵だ。
「あんがとうな。畑さんの手の平は温かこうて、ええ気持ちやわぁ」
そりゃ、労わる気持ちと愛情に満ち溢れているからね。
気分はお姫様をエスコートするイケメンの騎士だ。
お婆さんを乗せたまま、できるだけゆっくりと上下の振動が無いように、目的地まで運んでいく。
お婆さんは青々と茂る葉物野菜や、たわわに実る果実を見て、顔をほころばしている。
周りの人々は俺とお婆さんの邪魔をしないように畑から退出して、家に入ったようで、周りには誰もいない。
「畑さんが、こっちの世界に来てしもうてから、もう一年が絶つんやね」
そうだね。長いような短いようなそんな一年だったな……えっ?
今、オータミお婆さんなんて言った? こっちの世界に来てしもうてから……って言わなかったか。
「驚いてはるみたいやね。畑さんが異世界から来て、土に宿っているのは、端から知ってたんや」
え?
はい?
う、嘘だろ……じゃあ、今までの言動は、俺がいるとわかった上での発言や、知らない振りをし続けていたってことなの……か?
「急に変なこと口走ってもうて、ほんま堪忍な。お婆の話きいてもろうてええかな?」
まだ、頭が混乱しているが、わからない状態で色々余計な事まで考えるぐらいなら、話を聞いた方がいいに決まっている。
同意を示す為に、お婆さんが乗ったまま手の平を軽く縦に振った。
「ありがとう。私はね神の寵愛を受けた者って呼ばれているのよ。って急にそんなこと言ってもわからないわよね。この世界には加護と呼ばれる生まれ持った特殊な能力があるの」
急に口調が一変しているぞ。関西弁に似た訛りの強さは完全に消え失せている。それに話し方が若々しい。
「加護っていうのは一人に最低でも1つ、多くても5つといわれているの。でも、私は100もあった。だから、神の寵愛を受けた者。加護は神が弱き人間に与えた恩恵。ほんと、過剰に神様に愛されたのね」
100の加護!?
それは凄いなんてレベルじゃないような。
だったら、何で、こんな山奥でひっそりと暮らしているんだ。そんな人材を国が放っておかないだろうに。
「今、何でこんなところに住んでいると思った?」
もしかして、お婆さんは俺の心の声が聞こえているのか。
それも、わかっていながら知らない振りを続けていた。と考えるのが妥当か。
「困惑してから冷静に判断している最中って所かしら。信じてもらえないかもしれないけど、貴方の声は届いていないわ。それに始めの頃は貴方の感情の揺れも察知できなかったのは本当よ」
悲しそうに笑っているな。今にも泣きだしそうだ。
今は、邪推をするだけ無駄か。余計な事を考えずに話を聞こう。全ては聞き終わってから判断すればいい。
「納得してもらえたのかな。そう判断して続けさせてもらうわね。加護ってね殆どは超常的な能力で人に有益な力。でもね、それだけじゃないわ。この世界には何人もの神様がいらっしゃるの。芸術の神。知恵の神。剛力の神。生命の神。他にも多種多様な100もの神が存在する。そして、神の中には邪神と呼ばれる神も存在するわ。畑さんは頭がいいから、ここまででわかりそうよね」
100体の神が存在し、100の加護を得たお婆さん。そして、神には邪神と呼ばれる存在もいる。つまり――
「碌でもない加護も与えられたの。名前だけ上げるなら『不幸』『魔物寄せ』『呪い』『腐食』『老化』とかかしら。もっと酷いのもあるけど、まあ、そんな感じ」
そういうことだよな。
酷い話だ。人がうらやむ加護を持ちながらも、人が忌避する力も有する。
「でもね、殆どの負の加護は他の加護で打ち消すか、和らげることができた。不幸は幸運で。昼夜問わず集まってくる魔物寄せは、聖なる保護という一定距離に魔物が寄りつけない加護で。呪いは破呪。腐食は超回復、老化は不老といった感じでね」
そう語るお婆さんの目は地面に向けられているが光が感じられない。その瞳は過去を見ているのだろうか。
「でもね、それは完璧じゃなかったの。私に対する不幸は幸運で掻き消すことは可能だった。でもね、周囲にいる人は私以外の人は別なの。私に集まる不幸や呪い、魔物を引き寄せる力。それの影響を与えてしまうの。だから私は人の来ない山奥で暮らすことにしたわ。誰も寄せ付けず、長すぎる生が終わるその時まで」
100の加護と訊いたときは正直、最近良くあるチートと呼ばれる苦労を一切せずに、余裕で敵を倒していく主人公のような、人生イージーモードのイメージを抱いてしまった。
だが、その実は……何て寂しく、不幸な人生なのだろう。
「私はここでずっとずっと、一人で生きてきた。老化の能力は不老よりも効果が薄かったから、私は人が十の歳を重ねる時間で一しか歳を取らなかった。加護の一つにより、家の周辺に人を寄り付かせずに、ただ時だけが過ぎていった……私はね寂しかったの」
そう言って小さく息を吐いたお婆さんの表情が、昔、スーパーで保護した迷子の女の子と重なった。
今にも消え入りそうな程か細く、助けを求め泣きじゃくっていた女の子。
オータミお婆さんはずっとそんな人生を歩んできたのか。
「独りの辛さが限界に達した私は、禁忌を犯した。幾つもある加護を組み合わせ、新たな力を発動させた。前例のない複数の加護の同時発動。私の傍にいても加護の影響を受けない存在。そんな人はこの世界にはいない。ならば、別の世界なら、異世界の住人なら」
藁にも縋る想いだったのか。孤独に打ち震え、人の温かみを、会話を誰よりも求めていた。
それは、本当に最後の手段だったのだろう。
「そして、私は転移、召喚、降霊術、疑似生命創造の四つの加護を同時に使った。今まで二つ同時の発動は何度もしてきたけど、四つ同時は初めてだったわ。貴方が宿る予定の仮初の体として、土を焼いて作り出した精密な人型の器も用意していたのよ」
上手くいっていたら、俺は土人形に宿る予定だったのか。ファンタジーで言うところのゴーレムとしてか。でも、人型ならそっちの方がかなりマシだったな。
「なんせ、初めての試みだったから、万が一の事態に備えて屋外の元畑で召喚の儀式を執り行ったの。発動が容易な四つの加護同時なら、たぶん上手くやれたと思う。でも、一つ一つがかなり扱いの難しい加護。それを同時に……あの時は切羽詰っていて冷静な判断ができなかった。今ならその行為がどれだけ無謀だったか理解できるわ」
お婆さんはそこで言葉を区切ると、その目から大きな滴が一つ零れ、俺の体にしみていく。
その顔に浮かぶのは後悔。自分の行いを心から悔いているのだろう。
口元を押さえ、感情と共に何かが溢れるのを必死で堪えているかのようだ。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……あの時の私は狂っていたのだと思う。人の事を考えられずに自分の事しか考えられなかった。精密な操作が必須だった加護の発動だというのに、私の心は冷静さを失っていた。その結果……儀式は失敗した」
成功していたら俺は今頃、土人形だったのか。自分の事だというのに憤りもない。そこまで追い詰められていたオータミお婆さんが、可哀想で、哀れで、俺は……。
「四つの加護が暴走して、依代となる筈だった土人形は砕け散り、異世界から運ばれてきた魂は拠り所を失い畑へと消えていったの。そして、無理な力の行使により暴走した加護の影響で、私も少なくない影響を受けた」
手の平に寝そべりながらも、地面を見ていたお婆さんの視線が夜空へと移る。
「幾つかの加護を失い、残った加護もその威力が激減したの。例えば不老の効果が亡くなり、老化速度が急激に上がった……とかね」
それが、今のお婆さんの状況なのか。
出会った当初も老人ではあったが、今とは比べ物にならないぐらい生気があり動きも機敏だった。それが今は見る影もない。
痩せてはいたがそれなりに筋肉のついていた腕が、今は触れたら折れてしまいそうな程に弱々しい。顔の肉も殆どなく、頬が痩せこけ、唇がひび割れている。
たった一年だというのに数十年も月日が流れたかのように老化が進んでいる。
「悪い効果の加護も同じぐらい弱まってくれたら良かったのだけど、実際は一部の望んでいない加護だけは、効果が殆ど変わらず残っていた。その結果、村の惨劇を招いてしまったの。あの日までは、私の悪い効果は出てない、同様に弱まったのだと思っていた。老化だけが残っていたと……いや違うわ、都合の悪い現実からは目を背け、思いこんでいた。もう一度だけ、多くの人が住む場所で少しの間でいいから、過ごしてみたいという欲が勝ってしまったの」
魔物もそうだが獣が頻繁にやってきたのは農作物狙いだと思っていたが、実はお婆さんの加護の一つ、魔物寄せの効果だったのか。
俺が撃退していなければ、お婆さんも加護が残っていることに気づいたかもしれない。
だが、それだとお婆さんが死んでいた可能性があった。どちらが正しかったのか……きっと、答えの出ない問いなのだろうな。
「ごめんなさい……本当に、謝っても許されないことだとはわかっているけど、私にはこうすることしかできないの……私は長い時の鎖から、あと少しで解放されるわ。でも、貴方は永遠に近い時を生き続けることになる。あの時、暴走したことにより加護が失われたと、ずっと思っていたけど、それは違った。おそらく、失われた加護は貴方へと流れ込んだ。私の不老も貴方に……」
不老の加護か。俺は畑だ。たぶん、物理的に殺す方法は無いだろう。
そして寿命もない。まがい物ではあるが不老不死と呼べる存在かもしれない。
この先の事を考えると、例えようのない不安と孤独がのしかかってくる。
永遠の時を畑として生きる。それに何の希望があるというのか……。
「ごめんなさいっ、私に償えることがあるなら何でもしたい。だけど、もう私には力も時も残されていない。だからせめて、貴方に流れた加護だけでも伝えさせて」
俺がそれを拒む理由は何処にもない。
「ありがとう……私から消えた加護は土操作、視界操作、体質変化、栄養注入、不老、吸収、それに……腐食と呪い」
土操作、視界操作、体質変化、栄養注入、吸収は理解できる。実際今も活用しているからだ。
不老はさっきの説明できいているのでわかる。
腐食は予想外だったが、これって土の中に取り込んだ相手を吸収すると同時に腐食させていたということなのか?
だから死体は吸収が早いということなのだろうか。俺が人だったらこの加護は厄介だっただろうが、土である俺にはむしろ好都合だ。
最大の問題は呪いだが、これはどんな効果なのか予想すらできない。畑に転生した時点で呪いの条件は満たしていると思うけど。
「加護は使えば使う程、その威力が増し、操作性も上がるわ……いつの日か、貴方は土の体ではあるけど……人型の体を手に入れる日が……くるかも……しれない」
話が途切れ途切れになってきている。呼吸も荒く、顔色も血の気が抜け紙の様に白い。
もういい、もういいんだよ、オータミお婆さん。
全く怨んでないと言えば嘘になるけど、俺はお婆さんと過ごした日々は本当に嬉しかった。それは偽りのない本心だ。
だからもう、謝らなくていいんだ。
「温かい……許してくれると……言うのかい……この愚かな女を……」
ああ、許す、許すよ!
被害者である俺が許すと言っているんだ。だから、罪の意識を感じる必要はないんだよ。オータミお婆さんは、一生懸命生きた。
だから、悔いも未練も残す必要なんてない。
ほら、今は手だけしか操れないけど、結構楽しんで充実しているからね。
更に進化できるのなら、人生の目標ができてやりがいがあるってもんだ。だから、お婆さん、今まで本当にご苦労様でした。
もう、いいんだよ。
もう、休んでいいんだよ。
「ありがとう……ありがとうなぁ……」
それが、オータミお婆さんの最後の言葉だった。
閉じられた瞼からスーッと流れ落ちた涙を、俺は指ですくい地面に横たえらせる。
そうして俺は、お婆さんを失った。




