十二話
「お前たち、さっさと行け! 何をちんたらしてやがるんだ!」
男が命令を下したというのに、緑魔と黒魔犬が動かないことに苛立っているな。
動きたくても動けないんだよ。足元をちゃんと見やがれ。
「な、なんだ、地面に足が埋まっているだと! 畑が泥に変化している!?」
驚いているな。だが、本当に驚くのはこれからだ。
「まさか、土魔法の加護を持つ者が潜んでいるのかっ!? いや、黒魔犬の鼻はババア以外の匂いを嗅ぎ取っていない。他に人がいることはありえない筈だっ」
人はいないさ。人はな。
俺の悔しさ無力さ情けなさ。何もできなかった後悔に打ち震える、俺の哀しみ全てを土に流し込んでやる。
困惑しろ、取り乱せ、そして――
「くそっ、か、体が沈んでいく! 緑魔、黒魔犬! 俺を泥の中から引っ張り出せ! このままじゃ、完全に沈んでしまうぞっ」
怯えろ。
「なんだ!? 急に土が氷のように冷たくっ!」
助けを求めたところで無駄だ。お前らは畑に足を踏み入れた時点で詰んでいたんだよ。
俺の畑に入って無事帰れるなんて思うな。
だが安心しろ、そのまま窒息なんてことはさせない。そんなに楽に殺す気は毛頭ない。
「な、なんだ、今度はっ、体が熱い、熱いいいいいぃ! 泥が泥が沸騰しているぞ!」
まだだ、俺の怒りはまだ、こんなもんじゃない!
もっとだ、もっと滾れ!
燃え盛れ怒りの炎よ!
押し留めていた感情を爆発させろ!
「な、な、なにいいいぃ、これは沸騰なんてもんじゃない。土が赤黒く溶けて、まるでマグマじゃないかああああああっ」
畑に半分以上埋まっている魔物の周辺が粘着性のある赤い光を含んだ溶岩へと変化し、魔物が次々と炎上していく。マグマの温度は800~1200度と言われているらしい。
その熱量に魔物が耐えられるのか。その答えはここにある。
「ひ、ひいいいぃ! 土の加護に、炎の加護を操る者が何処かにっ! 参った降参だ! 金なら幾らでもやる! だから、助けてくれっ!」
周囲の熱に煽られ肌が焼かれていく状況で、馬鹿なことを口走っている。
魔物たちは完全に炭化してボロボロと崩れ落ちていく。男だけが生き残っているのには訳がある。俺が感情の発動場所を調節しているからだ。
お前は絶望と恐怖を味わってもらわないとな。
今日、この力に目覚めて本当に良かった。
「な、なんだ、土の腕が生えてきただと……」
この男をこの手で殴れる。
「土の腕が赤黒くぅぅ、よ、溶岩の腕……嘘だ、嘘だろ! や、やめてくれ! そんなもので殴られたらっ!」
俺は握りしめていた溶岩の手から、人差し指だけを立たせ左右に振ってやった。
口が聞けるなら、ちっちっちっ、と言いたかったところだが。
その動作で俺が何を言いたいのか、これから何をされるのか理解したのだろう。男の顔面は熱気に煽られているというのに、血の気が引いて青くなっている。
溶岩の拳を全力で握りしめる。そして、腕を一気に畑の南西の端ギリギリまで移動させた。
一瞬、男の顔に希望の色が浮かんだが、直ぐに絶望の色に染まる。
溶岩の腕が地表を滑り、高速で唸りを上げ接近してきたからだ。
「やめ、やめ、やめろおおおおおっ!」
お婆さんと村人の恨み、全てを受け取りやがれええええええええええええええっ!
凄まじい高温で大気が歪む。熱と暴力の塊が男の顔面を捉えた。
手ごたえはほんの一瞬だった。じゅっと肉が焼ける音と匂いがしたかと思うと、男の顔は溶解されながら砕け散り、首から下も溶岩の熱により一気に燃え上がる。
灰となった男の体が夜風に流され、畑へと舞い降りていった。
こんな性根の腐った男を吸収したら栄養どころか毒に成りそうだが、栄養は栄養だ。他の魔物と同様に吸い取っておく。
終わったな。
あれ程の怒りがすっと冷めていくのがわかる。畑に感情を吐き出すと、苛立ちも発散されるようだ。
畑限定ではあるが、強大な自分の力に酔いそう……なんて言っている場合じゃない!
お、オータミお婆さんはどうなった!?
傷は……塞がっている。出血もない。溶岩化の影響が出ないように心を切り離して。農作物とお婆さんに影響を与えないようにはしていたが、上手くやれたようだ。
呼吸も前より落ち着いているし、体温も正常だと思う。
何とかやれたか。体が有れば安堵の余り地面に崩れ落ちているところだよ。
村の現状も気になるところだが、俺の手はお婆さんのことで手一杯だ。
ここまで逃げ延びてきたら幾らでも手を貸すが、お婆さんが回復するまではどうしようもない。
せめて、キッチョームさんの家族と料理店の夫婦は生き延びていて欲しい。
安らかに眠るお婆さんの目が覚めた時、村人が全滅していたら、お婆さんは本当に独りぼっちになってしまう。
それだけは避けたい。
俺はお婆さんがぐっすり眠れるように肩付近まで、この腕で土を被せると、程よい硬さに土を調節した。
こんな酷い現実を経験したのだ。せめて夢ぐらいは、幸せなものであって欲しい。
そう願わずにはいられなかった。
「畑さん今日もよろしゅうな」
いつものように俺へ挨拶をしてくれるキッチョームさんに、土の手を振る。
「ツッチー、ツッチー、土のお城作って―」
「駄目だよ。今日は僕とお絵かきするんだから!」
こらこら、喧嘩をするんじゃありません。キッチョームさんのひ孫娘とおかっぱ頭の男の子の間に割り込み、二人の頭に軽く手を当てる。
「ツッチーに怒られちゃった」
「ごめんね、ツッチー。後で一緒に遊んでくれる?」
もちろんだ。今から農作業があるから午後からになるけど、目一杯遊ぼうな。
俺は手を頭に見立てて手首を曲げ、頷いたように見せた。
「いい天気ですね畑さん」
そうですね、料理店の奥さん。
俺は今、畑に宿る生命体として、皆に認識されている。
あの日、村人の殆どが殺され、生き残った数少ない人々が、唯一壊されずに済んだ、お婆さんの家に集まり共同生活をしている。
あの惨劇を乗り越えられたのは、キッチョームさんとそのひ孫。食料保存用の地下室に逃げ込んでいた男の子。最後まで戦い抜いた料理店の店主に守られ生き延びた奥さん。
そして、オータミお婆さんの五人だけだった。
お婆さんの家は元々、お爺さんと息子夫婦に孫と一緒に暮らしていたので、部屋数にも余裕があり全員が暮らすのに何の問題もなかった。
ただ、人数が増え、育ち盛りの子供もいるので作物を育てるゾーンを移動させて、拡張した。前までは三分の一も使っていなかったが、今は敷地の半分以上を畑として有効活用している。
そして、作物を育てる場所は畑の中心部へと変更した。
そうすることにより、害虫や害獣。魔物が現れた時も農作物を守りやすく、罠にかけやすいからだ。今のところ鉄壁の防御を披露して、農作物は一度も荒らされていない。
「畑さんや、ちょいと耕すのを手伝ってもらえんかのぉ」
了解だキッチョームさん。
親指と人差し指で丸を作り、OKのサインを出すと畑の隅に新たに設置された農耕具入れから、鍬を取り出してキッチョームさんの元に駆け寄る……は、違うか。地表を滑り寄る。
「すまんなあ。ほいなら、今日も頼んます」
任せてくれ。自分の体を自分で耕すという何とも言えない状況にも既に順応した。
ここは、畑を耕しやすくする為に陽気に耕すか。
おう、兄ちゃん耕されるのは初めてかい?
はっはっは、緊張しているみたいだな。オーケイオーケイ、硬くならなくていいんだぜ。
もっと気楽にハッピーにいこうじゃないか。
んー、ならノリノリでホットなナンバーが聞きたいだって?
オーライ、そんなお前さんにお勧めのミュージックがあるぜ。
今月のヘビーローテーション、D・コーンによる、ボンバーカリフラワー!
カッ、カッ、カッリフラワー!
オウエイ!
カッ、カッ、カッリフラワー!
弾け飛ぶぜ、そのヘッド!
「畑さんは動きが機敏じゃのう。まるで踊るように鍬を振っておる」
ノリノリだからね!
生き延びた人数は少なすぎたが、それでも俺は幸せな日々だと思う。
全員が心に傷を負い、表面上は笑っていても、何処か影を落としている。特に、両親を失った子供二人は初め泣いてばかりだった。
でも、一か月が過ぎてくると段々と落ち着きを取り戻し、一年近くが過ぎた今ではこうやって眩しい笑顔を見せてくれる。
旦那を失った料理店の奥さんも、そのショックは計り知れないだろう。だが、気丈にも泣きごとの一つも言わず、毎日子供の相手や畑仕事の手伝いや家事を頑張ってくれている。
そして、俺にとって一番大切な存在であるオータミお婆さんは、今――
「今日もええ日和やなぁ、畑さん」
縁側で背もたれのある椅子に座りながら、穏やかにこちらを眺めていた。
顔の皺は以前より深みを増し、手足が枯れ枝のように細い。
もう長くないのは、誰の目にも明らかだった。




