十一話
二話同時投稿、二話目です。
少しでも情報が掴めないかと、視界を畑の南東部ギリギリに移動させた。
この畑から見て村は南東の方角に有り、オータミお婆さんもそこに避難している。
南東に移動させたところで上空しか見えないので、村の様子を観察できるわけでもないのだが。
耳に神経を集中――耳も神経もないだろうが気分の問題だ。集中するがこれといった音は聞こえてこない。
キッチョームさんが以前「わしの足で一時間もかかってしまうのぉ。いやー、一時間もかけて行くのは、苦労でも何でもないんじゃがの」と頑張ってここまで来ているアピールをお婆さんにしていた。
お年の割にはキッチョームさんもなかなかの健脚らしいが。それでも一時間を必要とする。お婆さんを見ていると、この世界の人は体が頑丈で身体能力が高い。
となると、自分が一時間歩くと考えて……大げさに表現していると見積もっても駅二つ分は離れていそうだ。だとしたら、声が聞こえるわけがない。
ここは小高い山の上で村から離れている。それは理解していたのだが、改めて距離を考えると、お婆さんはかなり辺ぴな場所に暮らしていたということか。
お婆さんの過去が気になるが、今はそれどころじゃない。
村の人口はそんなに多くない。日常会話から察するに100人前後だろう。
さっき聞こえた魔物たちの声は、2、30か。いや、距離がありすぎて曖昧すぎるな。
子供や女性、老人は戦力にならないだろう。魔物の種類は緑魔と黒魔犬と言っていた。
緑魔は一度見たあの時の感じだと、強力な魔物と言った感じではない。人間の大人なら一対一でも勝てそうだ。
黒魔犬は見たことが無いが、大型の黒い犬っぽい。これも戦力的には大人一人として仮定しよう。となると、敵が30だとすると、男性の大人が30人は欲しいところか。
ギリギリだな。
料理店の店主は元戦士でキッチョームさんも頼りにしていたから、戦力としては期待していいのだろう。だが、魔物側にも秀でた身体能力の個体が存在していてもおかしくない。
くそっ、何もできないのが悔しくて、情けない!
畑ごと移動できるなら、村の入り口に移動して泥の罠で足止めしてから、村人に遠距離攻撃をしてもらう手もあるというのに!
みんな、無事でいてくれ。どうかどうか、生き延びてくれ!
何もできない俺は夜空に向かい、懸命に祈りを捧げるしかできなかった。
魔物たちの声を聞いてから一時間、いや、もっと経過したかもしれない。
相変わらず、風が枝葉を揺らす音が時折、聞こえるのみで、夜の静寂が辺りを支配している。
どうなったのか。お婆さんたちは無事なのか。どうにか調べる手段――何だ? 南東の方角が少し明るい?
視界の隅に明かりが見える。誰か灯りを持ってここまできたのか?
にしては、お婆さんがたまに使用しているランタンの灯りとは違い、もっと明るく、空までその光が届こうとしているように見える。
それに、微かに漂ってくるこの臭いは、何かが焼けた臭い。
この二つから考えられるのは――村が焼かれている。
おいおいおいおいおいおい!
マジか!?
い、いや、ただの山火事だという線も……って、このタイミングでただの山火事ってことはないだろう。魔物が森に火を放った可能性も無きにしも非ずだが。
って、可能性云々じゃない。事実が証拠が情報が欲しい!
何とか土を移動させて、突起物を作りそこに視界移動をして――
「は、たけは……無事……かのぅ」
今、微かにお婆さんの声が聞こえたぞ!
何処だ何処にいる!?
姿は見えないが声は今どの方角から聞こえたんだ。
「ああ、荒らされて……へんなぁ……よかっ……たわぁ」
近い、近いぞ!
畑の東側、声が途切れ途切れなのは急いで走ったせいだろう。そうに決まっている!
オータミお婆さん、何処だっ! 神経を集中しろ!
何かが畑に落ちた音がした……そこに視界移動で飛ぶ!
目の前にお婆さんの顔がある!
血塗れで、額に大きな傷があるっ!
目は閉じたままだが、呼吸は、呼吸はしているのか。
お婆さんの唇が触れている土から、呼吸音と吐息を感じることができた。
生きている、ただ気を失っているだけだと、思う。
俺は医学の知識もないから断定はできない。早く治療した方がいいのはわかっているが、畑の俺にはどうしようもない。
血を失って体が冷えている可能性がある。それに、季節は初夏らしいが山奥なだけあって、朝晩は冷え込むのだ。
土の温度を上げてお婆さんの体を温めて上げたいが、倒れ込んだ位置が悪い。
上半身だけしか畑に触れていない。どうにか畑に全身を引き上げたいけど。
「ゴルルゥ……」
なっ! ここで魔物の声だと!?
まだ遠いようだが、お婆さんを追ってきたのか!
やばい、やばい、やばい!
このままでは確実に見つかってしまう。今は生きているが発見されたらそこで終わりだ。俺が土質変化で守ろうにも、畑の外に下半身が出ている。
畑の真ん中へ引き寄せることができたら、守ることは可能だというのに!
どうにか、お婆さんを引き寄せられないかっ!
土よ動け! お婆さんを引っ張れ! 頼む、頼むから動いてくれっ!
人型になれ何て贅沢は言わない! お婆さんを引き寄せるだけの力を、掴んで運ぶ……力が欲しいっ!
その時、俺の土に確かな感触が伝わってきた。
がっしりと何かを抱え込むような、力強い手応え。
こ、これは、土の――腕かっ!
畑から見上げた俺の視界に、逞しい土色の腕が一本見える。
土が凝縮し腕と化している。俺の強い想いが形となったのか。
理屈は今、どうでもいい。俺の腕なら動いてくれ。大切な、オータミお婆さんを抱えたまま、畑の中心部へ移動するんだ!
その腕は俺の意思通りに動いてくれる。転生前の自分の腕と同じく、思い通りに動かすことができる。
一本しかない腕だが、贅沢は言うまい。これだけでも、今は充分すぎるぐらいだ。
小柄なお婆さんとはいえ、それなりには重い。だが、腕一本で小脇に抱えると、軽々と畑の上を運んでいく。
どうやら、この腕、畑の上なら自由自在に動くことができるようだ。例えるならプールの水面に腕だけ出して動いているかのような光景だろう。
お婆さんを横たえさせるのは野菜を育てている場所がいい。そこなら、丈の長い作物で姿を隠せる筈だ。
比較的土の柔らかい場所を選ぶと、その上にそっと寝転ばせた。
お婆さんの体温はかなり冷たい。体を温める為にテンションを、いや、ここは優しい気持ちに成ればいいか。お婆さんを温めたい、そう願えば俺の畑は答えてくれる。
お婆さんの背が接している地面がほんのり熱を帯びてきたのがわかる。この調子なら体温の維持は何とかなりそうだ。
問題は体中の怪我か。浅い怪我が数え切れないほどあり、深い怪我も背中と肩口にある。
どうにか血を止められればいいのだが、そんな能力は俺に……ない。
どうすればいい。こういう時こそ冷静に頭を働かせろ。今できること、自分の能力から何か糸口が……生命力が失われているオータミお婆さん。その体を癒すことは本当に不可能なのか?
俺の能力は、土質変化。視界移動。吸収。この三つ。そして、ついさっきできるようになった、土の腕。
これらの能力で怪我を治す方法は、思いつかない。だったら、発想の転換だ。
自分ではこの能力しかないと思いこんでいるが、実は別の力があるのではないか。気づかないだけで、当たり前の様に――怪我を癒す。怪我を治すには治癒力が必要になる。当人の治癒力を上げるには……栄養を与えたらどうだ?
いけ……るんじゃないか。やってみる価値はある!
いつも土から農作物に栄養を与える感覚で、畑に蓄えられたエネルギーを注ぎ込む。
力が僅かにだが抜けていく感覚がする。上手くいっているのか?
お婆さんの比較的浅い傷口から流れ落ちる血が止まり、傷口が塞がり一本の線が残る程度の傷跡に変化していくのがわかる。
大怪我部分は徐々に傷が塞がってはいるが、まだまだ、完治には程遠い。地道にやっていくしかない。
「駄犬よ、本当にここへ逃げ込んだのだな」
今の声近いぞ。お婆さんに集中していたので、周りの警戒を怠っていたか。
それに、今のは人の声。村人と思いたいが、今の発言はどう考えても、
「少し、ふざけ過ぎたな。愚民どもが無駄に抵抗しやがったせいで、手駒が減った鬱憤は少し晴れたが。魔物たちはこの程度の命令はこなせるか。上々と言えるな。殺さず、いたぶる様にして追い詰める。これぐらいは理解できたようだ」
やはり、敵側か。
そして、今聞き捨てならない発言をしやがったな。
そうか、てめえが村を襲い、お婆さんをこんな目にあわせた張本人かっ!
「黒魔犬よ、臭いを探れ。ババアの薄汚れた臭っせえ血を嗅ぎ取れ」
ほう、お婆さんを傷つけた上に罵倒までするか。
ああ、いい根性してやがる。頭は無いが血が上って沸騰しそうだっ。怒りが、憤怒が心の底から、地面の底から、畑の内部から、沸々と湧き出る――
「はっ、そのみすぼらしい作物の中に隠れていやがるのか。緑魔、黒魔犬、鬱陶しい雑草を薙ぎ倒して、ババアを引きずり出せっ! ちっ、汚ねえ土で汚れやがった」
黒魔犬6匹。緑魔8匹に続いて、声の主である男が俺の視界に入り込んできた。
足首まですっぽりと覆うフード付きのローブを着込んでいる。顔は痩せこけていて、眼球が飛び出ているよう見える。その目がぎょろぎょろと忙しなく動き回っているな。
神経質そうで落ち着きが無いようだが、そんなことはどうでもいい。
てめえは、言うに事を欠いて、精魂込めて育て上げた農作物を雑草呼ばわりしやがった……へええええ。
お婆さんを傷つけたこと、畑を荒らそうとしたこと、村を襲ったこと――貴様は万死に値する!
「お前らババアは好きにしていいぞ。どうせ穴が開いていれば美醜は関係ないのだろ。犯すのも食うのも自由だ。憂さ晴らしに、地獄を見せてやれ」
ああ、そうかい。
俺に人間の体があったら、怒りのあまり頭の血管がぶち切れているだろうなああっ!
もう我慢する必要もなければ、する気もない。感情の赴くままに、怒りの業火を俺の畑で表現してやる!
地獄を見るのは、お前の方だっ!




