一話
視界に広がるのは突き抜ける蒼だった。
何処までも広がる青い空。
ポツリポツリと浮かんでいる白い雲。雲の形というのは何かの生き物や形に見えてくるのは何故なのだろうか。
あれも、よく見ると猫が背伸びしているかのようだ。
のどかだな……平穏な日々というのはこういうことを言うのだろう。
そろそろ、ツッコミ入れてもいいのかな。
何で目が覚めたら空を見上げているんだよっ!
何処だここ? いや、それ以前に体が微動だにしないんですけどっ!
体が全く、指の一つも動かない。というか感覚が無い!
落ち着け、落ち着け俺。焦ったり取り乱して状況が良くなるなんてことは無い。考えろ。体は動かないが、思考は自由にできる筈だ。
手足の自由は利かないということは、俺は体を固定されて空しか見上げられないようにされているってことか?
それも屋外に放置って、どんな過酷なプレイだよ。
まずは状況と自分の体がどうなっているか、冷静に考察しないとな。よっし、俺は冷静だ冷静だ。
手、足、体のどこも、これっぽっちも動いてくれない。力を入れてみるが、感覚すらないってのはかなり危なくないか。土の中に埋められているとしても、体へ土の圧迫感があってもいいのだが、そういう感じも一切ない。
それに、今気づいたけど……瞬きすらできない。
これ冗談抜きで、かなり危険な状態なのでは。薬物でも使用されて全身麻痺状態なのかもしれないな。
しかし、こんな理不尽な状況に陥る意味がわからん。恨みを買う真似をした覚えがないし、我が人生のポリシーは面倒なことからの全力回避。友達を作れば、人との関わりが面倒だし、反感を買うような態度をしていれば、色々とややこしいことになる。
味方も作らず、敵も作らない。これが一番に決まっている。
上辺は友達といった関係の相手もいるが、相手の誕生日も知らなければ趣味も興味ない。ただ、会話を交わし、時折LINEで繋がっているだけの関係。
色恋沙汰にも無縁だから、女性関係での揉め事もあり得ない。
だったらどうして、こんなことに……。
考えるだけ無駄か。どうしてこうなったかというのは、後回しだ。このピンチを切り抜ける方法を模索しよう。
まず、体は動かない。感覚もない。声も……でない。瞬きすらできない。つまり、顔面の神経も麻痺しているのだろう。
音は……風に流れてくる子鳥のさえずりが耳に届いている。聴覚は大丈夫のようだ。
目も問題が無い。むしろ、以前より良く見えているような。最近視力が落ちてきて、そろそろ眼鏡かコンタクト必須なのかと焦っていたのだが、今日はやけに視界がクリアだ。
鼻も大丈夫そうだな。青臭いのは植物の匂いか。それ以外の匂いは特に感じられない。土の中に埋まっているなら土の匂いがしそうなものだが、まさか、コンクリート詰めの状態で放置されているんじゃないだろうな。
い、いやいや。それはない。俺はそんな悪党じゃない。
この状況を好転させるには、自力の回復を待つか、誰かに助けてもらうしかないだろう。
さっきからお空を眺めているが、人はおろか生物すら現れてくれない。ここで、野犬でも現れたら一巻の終わりだから、そういうのはご遠慮願いたい。
俺をここに埋めた犯人も来ないで欲しいが、状況の説明はしてもらいたい。理想を言うなら、温和で人当たりの良さそうな美女が颯爽と現れ、助け出してくれるのがベストなのだが。
兎にも角にも、今は何もできそうにない。このまま回復を待って、せめて声だけでも出る様になって欲しい。
そんな風に考えていた時期が、俺にもありました。
体感時間で、たぶん二時間は過ぎたか。燦々と俺の顔面に降り注ぐ太陽の位置が頂点に達しようとしている。つまり、今は昼なのだろう。
ということは逆算して、目覚めたのは10時か9時ぐらいか。何と言いますかね、瞬きもせずに直射日光を浴びれば眼球が乾きそうなものなのだけど、全く違和感がない。
痛みが無くてもドライアイどころじゃない騒ぎになりそうなものなのだが、相変わらず、お空が鮮明に見えている。
体の感覚は今もなく、指一本動かせない。これだけ時間が経てば空腹や尿意が顔を出しそうなのだが、そういったものもない。
感覚が無いだけで、実際は垂れ流し状態なのかもしれないな。
はっはっはっは……やめてくれよ、十代後半でお漏らしなんて、笑えもしない。
あー、どうしようかな。こんな状況だというのに、何故か不快感が皆無なのはありがたいけど、だからと言って何も変化が無いというのはかなり辛い。
そういや、オヤジの時代は会社をリストラさせたい相手を、自主退社に追い込む為に机と椅子しかない部屋に移動させて、一日中何もさせないという嫌がらせをすると聞いたことがある。
あの時は、そんな環境で仕事もせずにお金が貰えるなら、こんなに楽なことは無いと思っていたが、その辛さが今は身に滲みて良くわかる。
たった二時間だというのに泣きそうだ。刺激を、何か刺激をプリイイイイイズ! 何でもいいからカモオオオオオオン!
……と心の中で叫んでも何も変わらないよなぁ。って、おおおおっ! 何か足音が聞こえるぞ!
ここにいるぞー!
俺はここにいるぞー!
ここにいますよー!
若い男がここでほとばしるエキスを垂れ流しながら埋まっていますよー!
今なら、即惚れ、愛人も可です。お勧めの物件ですぞ! 少々年増でも受け入れる所存であります!
だから、誰でもいいから助けてくださいいいいいぃ!
俺の心の絶叫が届いたのかどうかは不明だが、視界の隅に一人の女性が現れた。
おおおっ、待望の救助隊だ! さあ、俺を見て! 俺の全てをルッキング!
テンションが上がり過ぎて、少々うざくなってしまったが声は出ないのだった。こういう時こそ、客観的に状況を見つめることが大切だ。
落ち着け、落ち着けえええ。まずは観察から始めよう。
髪は白髪でかなり小柄に見える。服装は地味な色合いで前開きのシンプルな上着。どうやら腰の荒縄のようなもので縛っているようだ。
ズボンも上着と同じく染色もしていない素材の色を引き出した感じで、太股の辺りが大きく膨らんでいるのが、鳶職の人が履いているニッカポッカに似ている。
そして、一番重要な顔なのだが。昔は美人だったのだろうな……顔には年輪代わりの皺が刻まれているが、とても穏やかそうな柔和な感じが見ているだけで伝わってくる。
少々どころか、かなりお年を召しているようだが、この人なら俺を助けてくれるに違いない。ここに美少年……すみません、言い過ぎました。平均ランク……いや、それよりちょっとだけ落ちるかもしれませんが、心根は優しいジェントルマンが埋められていますよ。
今、助けていただけるなら、実の孫より貴方に優しく接する自信があります!
だから――
「今日もいい日和やねぇ。お天道様が元気なようやわ」
ええそうですね。
じゃねえ! って、俺に話しかけてくれた!
にしてはお婆さん冷静過ぎませんか?
ここに美少年に成りたかった紳士もどきが埋まっているというのに、何で驚かないの?
「ああ、こんなに乾いてしもうて、ほんなら、水やらんとなぁ」
え、ちょっと、確かにドライアイ待ったなしだけど、水掛けるのは何か違いませんかっ!?
それって、古びているけどじょうろですよね? え、それで、ワタシニミズヲカケル? はっはっは、ナイスジョークです。ってマジか! あぶあぶあぶぶぶっ。
ああ、老女にぶっかけられてしまった。でも、この体に水が浸透する感じ、嫌いじゃないわっ! くっ、悔しいけど感じちゃう。
何て言ってる場合かっ! しかし、この老女。見た目に反してドSだな。良い笑顔で水をぶっかけやがる。ま、まあ、気持ちいいからそれはいいとしよう。
好感度は下がってしまったが、ここで助け出してくれたら、全てを水に流すよ! 水に流すよ!
上手く言えたことに満足したのだが、ドヤ顔の一つもできないのが悔しいところだ。
「これで、少しは潤ってくれたらええんやがのぉ」
ええもう、水も滴るイイ男ですよ。だから、そろそろ、ほらあれですよ。もう、男の口からそんなこと言わすなんて……いけずな人。わかってますよね。ぴちぴちな男をゲットするチャンスですよ!
俺の思念が老女に届いたのか、一度視界から消えた老女が再び戻ってきた。さっきまで手にはじょうろがあったのだが、今は代わりに鍬がある。
なるほど、それで俺の周辺の土を取り除いて、掘り出してくれるのか!
さあ、頑張っておばあ様! 一仕事終えたら、肩揉んであげるから!
ほら、掘って、掘って、掘って! 掘って、掘って、掘って!
テレビで学んだ、ホストの盛り上げ方を参考にしてお婆さんを全力で応援する。
「ほな、仕事せんとあかんな。んだら、よっこらしょっと」
そういってお婆さんは鍬を振り上げたのはいいのだが、ちょ、ちょっと、お婆さん、そのまま振り下ろしたら、俺の顔面に一直線なんですけどっ!
それもう、ドSってレベルじゃないからっ!
ま、待って、待ってくれ! お、おいおいおいおいおいおいおい、ぎゃああああああっ!
瞬きもできない俺は、顔面に鍬が突き刺さるまで凝視するしかできないでいた。