“with my bow and arrow.” -3-
アオサギが部屋を出て、オナガがティーセットを片づけ、そしてシロサギが何やらキッチンの奥(のさらに奥にある部屋)に入ってガサゴソと作業をし始める。するとツミがカナリアの肩に手を置いた。
「すまないが、少し時間をもらっても?」
カナリアが頷くと、ツミは一度外に出て、螺旋階段を最上階である4階まで登った。上に来るほど風が強く、階段の脆さも目立つようになる。少し不安になっているとツミが手を繋いでくれた。
「私も最初来たときは怖くてね、階段がいつ抜けるかと冷や冷やしたもんだ」
カラカラと彼は笑った。フットを疑う以外は、気の良い人物に思える。よく見るとさほど若いわけでもなく、三十路は明らかに過ぎているとカナリアは感じた。所々微かに刻まれた皺が、今までの人生でどれだけ苦労をしてきたかを表しているようだった。
「さ、着いたよ」
ツミがそう言って一つの扉の前に立ち止まった。そこは最上階の4階だった。
あれ、そういえば事務所長の住居より上だ。そう思ってカナリアはツミを見上げた。
「ここはとある人物の部屋なんだけど…その人がカナリア君にぜひとも会いたいと言っててね」
そう言ったツミは目の前の扉を開く。そしてカナリアの背を押した。
「さあ、行っておいで」
不安げにツミを見上げたが、ツミは微笑んだままだった。
扉の中は暗い。外からでは何も見えない。
恐る恐る足を踏み入れる。途端、勢いよく後ろの扉が閉まった。ツミがやったのかとも考えたが、しかしこの扉は内開き式で、ツミが湿る場合には一歩足を踏み出して、扉に手をかけなくてはならない。だが全く何の気配もなく、ただその扉は閉まった。
「ようこそ」
部屋の奥から声がする。ボーイソプラノのような澄んだ少年の声だった。よくよく目を凝らすと正面にベッドが一つ、そして窓が一つ、カーテンが引かれた状態でそこにあった。ベッドには凹凸がある。それがもぞもぞと動いて、頭のようなものが出てきた。
「ああ、キミがカナリアか。ホントにカナリアだ。ふふふ」
少年は嬉しそうにそう言った。そしてベッドからカナリアに向かって両手を差し伸べた。上半身は何も身につけていなかった。
カナリアは何か悪寒がして一瞬体が止まった。が、好奇心には逆らえず、一歩、また一歩とベッドの方向へ進んでいった。
彼の両の手が、カナリアの両頬に触れた。氷のように冷たい。
よく見ると、少年はとてもやせ細っていた。手も骨ばっている。顔もこけているが、しかし美少年のように感じた。しかし、それ以上に違和感を覚える。何だ、何が原因だ。
カナリアは気づいた。そうだ、この人の体のほとんど全てが火傷の痕で覆われている。
「気づいたかい? ボクは全身火傷してしまったんだ、ある事故のせいでね。大丈夫、触られてももう痛くないから」
少年はベッドから立ち上がった。黒いダボダボとした緩いズボンを穿いており、黒い髪の毛は肩のあたりまで伸びていて、少し先端がカールがかっていた。
なんなの、この人。なんで、ボクに興味なんかあるの。
「ボクはちょっとワケありで人よりゆっくり年を取るんだ。キミに興味があるのは、ボクと同じ匂いを感じたからさ」
少年は一言もしゃべっていないカナリアにそう答えた。
「ボクは特殊で、人の考えてること、なんでもわかっちゃう。世の中の事も、未来も、過去も、わかっちゃう」
一歩カナリアは身を引いた。
「怖がらないで…っても無理か。面白い話があるよ、キミは自分の両親を知っているかい? 知らないよね、知らないはずだ。でもボクは知ってる、教えないよ。でもキミがボクに出会ったのは偶然なんかじゃあない。キミは最高の素材…いやもはや神と言っていい存在」
また一歩カナリアは下がる。
ねえどうして君は何者。
「ボクはカラス。町中を監視する者であり、秩序を守る者」
じゃあ、どうしてミセス・ロビンは死んでしまったのか解るの。
「それも知ってるけど教えない。キミには成長してほしいんだ、そのために教えない。ただ、ツミたちが必ず答えを導いてくれるよ」
カラスはツミを信頼しているようだった。キミとカラスはどういう関係なの。
「ツミは…ボクの弟子、といったところかもしれない。あまり深くは聞かないほうが良いよ。さあ、お帰り。ここは生と死が混ざり合った場所だから」
どういうこと。
「そのままの意味。カナリア、キミも生と死の真ん中に、それも死神のすぐ横に居たんだ。だからあまりここに長く居てはいけない。死神がやってくるから」
カナリアは足を後ろにゆっくり進めた。しかし何かが足に当たる。コルクで栓がされた、黄褐色の液体の入った瓶だ。
「ああ、それ危ないから、なるべく刺激をしないように。咬みつかれる前に離れて」
カナリアはそっと壁際へ寄った。
「いや案外…死神が来るかもと言ったけど、もしかしたらボクと同じようにキミも死神に見捨てられたのかもしれない」
独り言のように、そしてどこか他人事のようにカラスが言った。
はっと思い振り返ると、カラスは「ただの戯言」と唇を歪ませて独特の微笑み方をした。
カナリアは心の中で、もうしばらくは来れないから、とただ一言思った。
「うん、わかってる」とカラスはそう答えた。
最後に聞こえた声は、「でもまた、いつか会おうね…」という言葉だった。
カナリアを待っていたツミは、ただ静かにカナリアを抱きしめた。落ち着かせるように優しく背中を叩く。
「怖かったか?」
カナリアは首を振った。それにツミは少し驚いたらしい。
「これはまた…てっきりアイツはカナリアを怖がらせたのかと思ったけど。すまなかったな、こんな不気味なところに1人で行ってもらって。カナリアは彼と、とても似ているんだ。アイツは悲しい運命を背負っている…なんて言ったら馬鹿にされそうだけど、それを打ち破る人物がいるとしたら、カナリア、君だけなんじゃないかと俺は思っている。それほどまでに君たちは似ている」
ツミの顔は真剣だった。
「アイツにまた会ってやってくれ。頼む」
そして彼は深々と礼をした。
「そしてそのお礼というわけではないが、今回の火事の一例は、私の持てる全ての力をもってして、解決に導けたらと思う」
ツミの目は真剣だ。彼の目は吸い込まれそうな宵の空の色をしていた。虹彩が金色に輝いて、まるで星空のようだ。
カナリアは力強く、ただ頷いた。




