面倒なやり取り
男が二人、長らく睨みあっていたが、よく見ると少し違う。
片方の男は睨み付けている。
もう一人はその険しい眼差しを静かに見返しているだけだ。
「貴様は桃の割れ目にあった真珠を取ろうとして手を伸ばした。違うか」
「いいえ閣下。私は目を逸らしたのでございます。元より我が情熱の錫杖を彼女の手に寄って握られていたなどという事実はございません。ましてや麗しき白磁にこの汚らしい手で直に触れるなどもってのほか。閣下は数多の雫が深き茂みに大量に絡まっていたと仰るが、決してそのようなことはあり得ないのです」
「しかし使い込まれていない器に命の水を注ぎ込んだはずだ」
「誤解です閣下。私は命の水を持ってはいないのです。その素晴らしいとされる器が一度も使われていなかったことは閣下の第三の手によって証明されたのではありませんでしたか。全ては閣下が望まれた通りなられていたはずにございます。開かれたる実をこの目で見たわけではございませんが、花瓶には傷一つ無かった。それは最初に確かめられていたと召使いの一人より詳らかに聞き及んでおります」
「おれにあるのは第三の足だ。手ではない」
「では腕と」
「違うと言っているだろう。それよりも、だ。おれの手に寄らずとも、その器は磨かれていた。執拗にな。おれが見たのは蕾ではなかった。すでに開ききり、触れるまでもなくはしたなくも花弁を濡らした散り際のそれだった。かき混ぜたものが貴様の火掻棒ではないとは信じられん。器を中身で満たしている最中に小鳥の喜ぶ声を聴いたはずだ。何度となく上げられた獣の叫び声でも良い。貴様は子猫と遊んだのだ。いや、子猫で遊んだ」
「違うのです……違うのです閣下、私は」
「まだ認めぬか。ふん、本当に貴様ではないのかもしれん。だが、どちらにせよ未熟な果実を食い散らかした者がいる。人を受け入れたことのない美しい青い湖の水辺に土足で踏み込んだ挙げ句、持ち込んだボートと櫂で散々に漕ぎ回り、その痕跡をすっかり隠しきった極めて不愉快な存在がな。貴様にこのおれの気持ちが分かるか。いいや分かるまい。分かるはずがない。ああ、おれがその静かで清らかな湖に己を解き放つことをどれほど心待ちにしていたか。五年だ。五年ものあいだおれはずっと楽しみに待っていた。くだらぬ商人の臭い手と卑しい目から守るために大金を費やした。まだ誰の目にも触れていなかった湖を買い取り、痩せ細って雑草に覆われていた不毛の土地に果樹園を作り栄養を与え、獣は好かぬゆえ厳しく躾け、しかし人形にならぬよう環境を整えさせ、ようやく全ての準備が整ったはずだった。それを、それを……ッ!」
「閣下、一つだけ申し上げたく存じます」
「言ってみろ」
「青い果実が熟れていなかったのであれば怒りこそすれ、熟していたのであれば閣下の望みから外れているわけではなかったのではございませんか」
「戯け。誰とも知れぬ者に作られたスープを飲みたいと誰が思うか。ましてや中身に何が混じっているのか分からぬのであれば尚更だ」
「しかし」
「まだ口答えするか、貴様」
「青い果実が食べていただくために、自ら熟れようとすることが無いとは言い切れませぬ」
「……なに」
「使われぬ器とて美しくなりたくもあるでしょう。固いままの果実とて囓られることを望むやもしれません。美しい湖がそこを泳ぐ者がために深きを捨て、知らぬ間に砂を集めて浅くなろうとすることすら、無いとは言い切れぬのではありませんか」
「であれば、あれは獣ではなく御遣いだったと。無知を嫌ったがゆえに無垢ではなくなったに過ぎず、清流であったものが濁流と身を変えたに過ぎぬと、貴様はそう言いたいのか」
「閣下もご存じの通り、あれは下賤の獣でもなければ天の使いでもありませぬ。耕されておらぬだけの畑であり、閣下が鍬を振るうことを待ち望み、自ら小石を選り分けていた。であれば閣下が仰る蛇など存在せず、ただ報われぬ賢者が一人置き去りにされたと泣きはらしている、とも」
「……こうしてはおれん。おれは確かめねばならん。鞘に突き入れた、あの血に濡れた剣ではなく、この曇った二つの硝子玉を磨く必要があるな」
「閣下」
「なんだ」
「花を手折るのであれば、決して傷つけぬよう。そう申したはずです」
「二本の足を上げて待っていれば、枕を見まごうこともあろう。だが……おれが欲しかったのは枕ではなかったな。獣でもなく、人形でもない。ましてや花でも湖でも畑でも果実でもなく、ましてや得体の知れぬ御使いなどでは決してありえぬものだ」
「では」
「ああ、……おれは行く。後は頼むぞ」
「無論にございます、閣下」
そして一人の男が慌ただしく足音を響かせ、部屋から出て行った。
残された男は長いため息を吐くと、任されていた本来の仕事に戻るのだった。
なんでも遠回しにすれば良いってもんじゃないですね。