少女、犬、そして男。
一人は幼さを残した少女。ベッドの上にいて、脅えたような顔で見上げている。
もう一人は、二十代後半の男。脱ぎ捨てたシャツを振り返りもせず、無言で近づく。
男は首輪を投げる。
少女はおそるおそる、それを手に取る。
自分の手で、首に、はめる。
男は厳しい視線を送り、少女を見下ろす。
少女は薄い色の毛をそっと撫でて、息は荒くなる。
犬。
犬は、腹を出している。
男の手が、そのむき出しの腹を撫でると、気持ちよさそうに、声を漏らした。
「……わん」
◇
「ごめん……なさい」
少女の懇願するような謝罪の声に、男は一顧だにしない。
「こういうとき、どうするってオレは教えたっけな」
はっとして、少女はすがりつくような瞳で、男を見上げる。
「お願いします……」
「で、オレは、どうすればいいんだ」
「この犬のこと、かわいがって……ください」
首輪は、きつくしまっている。
繋がれている。
少女は苦しそうだ。
ベッドの上で、少女が息を漏らす。
男は、静かに言う。
「仕方ないな」
少女はほっとしたように、目を潤ませる。
それを見計らって、男は続けた。
「なら、外で散歩でもしてくるか」
「それは……」
「へえ。イヤか。オレと一緒じゃ、イヤってことか」
わずかに面白そうに、男は口角をあげた。
「さて、どうしてやろうか」
「その……」
「犬は、犬らしく。そうだろ」
声が、小さく聞こえた。
「……わん」
◇
裸の犬が、そこにいる。
首輪をしていて。
繋がれて。
男の手には、その首輪に繋がるリードがある。
リードを引っ張ると、犬は苦しそうに、うめく。
外にいると、他人から声をかけられることもある。
男はそういうのはあまり好きではない。
だから、あまり人に会わないような道を選ぶ。
犬は、四つん這いのまま、進んで行く。
「どうした」
男が連れているのは犬だ。犬には人間の言葉は使えない。
わん、と鳴くしかできない。
「おしっこか」
答えはない。
「……するなら、そこの電柱にしろよ。それともなんだ、見てほしいのか」
犬は、道ばたで、してしまった。
◇
「なるほど。一匹、大きいのを飼ってるんですか」
「ええ。手間がかかるやつで」
「繋いどかないと逃げますからね。最近はうるさいですから」
「飼い主の責任ってやつですよ」
「道具は使ってます?」
「いや、あんまり。ただ……餌はちゃんとやってますよ」
「それは良いことですね」
「あと、毎晩かわいがってます」
「……スキンシップをしないと、すぐに拗ねますからねえ」
「結構大人しいですからね。うちのやつは」
「いいですねえ。うちのはうるさくてうるさくて。周りに聞こえないよう気を使うんですよ」
「まあ、けっこう叫びますからね」
「静かにするよう、躾してはいるんですが……なかなかね」
「ま、犬ですからね。難しいですよ」
「ええ。最初はキャンキャン鳴くやつを、従順にする。それもまた楽しいというか」
「おっと、オレはこっちなんで」
「ああ、これは失礼。では、また機会がありましたら」
「ええ。あ、そうだ。今度うちのやつの写真でも持ってきましょうか」
「うちは動画で撮り貯めてますよ。そのうち鑑賞会でもします?」
「それもいいですね。では」
「では」
◇
裸の犬が、首輪に繋がれている。
逃げ出せないように。
犬は、逃げようという気などないかのように、その部屋の中で大人しくしている。
男が部屋に入ってくる。
犬は、期待に満ちた目で、男を見上げる。
「……わん」
「ああ、今日も可愛がってやるよ」
お尻から生えている、大きな尻尾を、そっと撫でてやる。
犬はくうぅんと甘えた声を出す。
気持ちよさそうに、犬はごろんと転がる。
その腹を、男は素足で軽く踏んでやる。
犬は嫌がらない。
素直に、その足を受け入れて、息を荒くする。
今は夜だ。
頭の良いこの犬は、大声で喚くようなことはせず、声を抑えている。
「そら、ご褒美だ」
突き入れたそれを、犬は嬉しそうにくわえ込んだ。
とても美味しそうに、恍惚とした表情で、よだれを垂らしながら。
◇
犬は、裸だ。
いつでも、裸だ。
つけているのは、首輪だけ。
それだけで、十分だった。
主人と飼い主。
その関係に、犬はとても喜んでいた。
遊んでくれる。
優しくしてくれる。
怒られるときもあるが、気持ちよくしてくれる。
服従のポーズをするのも、嬉しい。
彼は、最高の飼い主だった。
◇
少女は、男を睨んだ。
男は楽しげに笑っている。
少女は、犬ではない。
男に好き勝手にされたことを、少女は怒っている。
犬は男を飼い主だと思っている。
男を見ると、つい尻尾を振ってしまう。
もう、それは身体に刻み込まれた関係だった。
手遅れだった。
少女はしばらく怒っていたが、もうどうしようもないことだと受け入れた。
犬は、男のモノになった。
犬ならば何も考えなくて良い。
それはとても幸せなことだと、少女はぼんやりと、思った。
「……わん」
何もかもを諦めて、少女は切なげに、笑った。
代わりに、男のモノとなった犬は、ただ、その幸せに浸っていた。
ネタバレ。犬。少女。男。部屋の中にいるのは二人と一匹です。