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もう片方の靴下は (短編集)  作者: 三澤いづみ


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13/15

やっぱり翻訳は難しかったね

 語り手による言い訳という名目の前書き(物好きのために用意した枕話に過ぎないので別に読む必要はありません。これでいいわけ?)


 平素わたくしどもが自然と扱つている言葉といふものはひとつとして生まれながら幾重にも異なる貌を見せる摩訶不思議なる存在でありましてそれはたとえば直喩のような(などとこうして喩えるという行為そのものと直喩といふ表現を用いたことによる比喩すなわち共通項を見出して読者様方に想像や共感あるいは思案していただくことを旨とする直接的なイメェジの)使い方もあれば隠喩や暗喩として(と比較する形での単純明快なギャップ操作から作者と読者あるいはキャラクタァ間の視差もしくは情報量に端を発した形而上の用い方もあるにはあるのですが)表現をただひとつぽんと置いて重ね合わせる方法もありこれはあくまで付加価値的に後付けされた利便性であるため本来言葉は意図や意味の疎通たる伝達を狙ふものであつたことはお気づきの通り、しかし言葉の持つ機能や有用性は当初求められていた意思の発言を大きく通り越していつしか現在に発せられておきながら過去と未来の双方を表現できてしまうほどに多くの形態を内包することとなり結果的に多機能を極めたのでございますがこれは同時に無意味や齟齬あるいは誤謬性を同時に有しているのみならず同音異義や異句同義さらには擬音擬態などといつた表記上の手法並びに文字そのものに付随せしめるヴィジョンやグラフィカルな技法果てには時代性までをも筆者話者作者から読者聞き手その双方にて担保し精通し尚且つ共有しなければ己のみでは確固たるものを持たぬある種不確定性の申し子として振る舞うことを宿命づけられてしまつたのでありましてこれにより言語が根本として担うべきコミュニケェションの媒介能力には幾ばくかの欠損さえも生じることと相成つたことは皆様ご承知の通りで、すなわち言葉は言葉のみでは自らの正確さを証明することが出来ないことを踏まえた上で語らせていただくこのお話は彼我の元に一定の前提を有しつつかつ多元的もしくは自由な発想による私的解釈を常に必要とすることを先に宣言させていただきたく存じます。

 なおこの物語に含有せしめる言葉の解釈によりましては読者諸氏に何らかの生理的現象が起きる可能性はありますが作者の想定した筋や描写であるとする根拠とはなり得ませんことをご容赦くださいますよう平にお願い申し上げる次第にてそうろう。


 以上、そうろうでそうろうなそうろう文でした。

 そうろうそうろうと連呼しつつこんな文言を書き連ねる行為そのものが本当にそうろうですことをお詫び申し上げますで候。 


 その長さを縮め続ける夜闇の頃、城の中ほどに隠された銀色の庭を通り過ぎると、細やかに揺らめく襞の内側で、夜露のごとく浮き上がった好奇心に誘われた二輪の花が、光の届かぬ沈黙の園に身を潜めたまま、闇の中に灯ったささやかな光、影二つの重なる窓の内側へと熱き眼差しを送っています。


 そこは小さき庭、余人の入ることを許されぬ遊戯の場。他者を寄せ付けぬよう取り計らわれた慎ましやかな聖域にございました。しかし隠されたものを覗き見たくなるのは人の常、それは城に招かれた若き蕾たちの時を動かすには十分な秘め事だったのです。


 けれど磁石のように引き寄せられた二輪の花、その葉が触れ合った瞬間、N極同士が弾かれるようにして、その手をどちらからともなく引いてしまいました。

 しばしの無言、それでもまた、若く花弁も小さき沈丁花の飾りが揺れ、同じく麗しき薔薇を差した波打つ髪に覗く耳元へと、興奮も冷めやらぬまま、ぐっと声を抑えて語りかけるのでした。


「ああ、ここより見えるあの燃え盛るような赤毛の御方、あれはきっとコーネリウス様でございましょう」


 数多の星々が煌めく空には目もくれず、小さく身を竦めた薔薇は広がった花弁を折り曲げながら、恥じらうように赤く染まりました。


「とすれば今その寝台として揺れ、軋みながら、楽器のような可愛らしい音を鳴らされている方は」


 一方の沈丁花は膝や指先を震わせながら、食い入るように影の動きを見つめ、耳を澄まして何が起きているのかを目に焼き付けようとしています。


「ええ、ええ、きっと銀の庭に遊んでいたあの可愛らしい小鳥に他なりません。炎のごとき情熱でありながら指先は類い希なる細やかさをもって麗しき音色を奏でておられますわ。ちらちらと覗く燭台の光によって仄明るく照らされた羽はあたかも朝露のように雫に濡れております。ほらご覧になってくださいまし、昼の光の下にあってはあんなにも優しくか細かった小鳥の歌は、寂しき夜を目指して燃え上がる太陽に攻められて、あんなにも激しく揺らめき、まるですすり泣くかのように激しさをいや増してゆくのですね……」

「ですが、こうして目にしていると、いささか可哀相にも見えますわね。ほら、あんなにも震えて、脅えた様子で、きっとこのお庭で遊び続けるだけと思っていたに違いありませんわ。まだ羽の色も染まりきっていないというのに」


 小鳥の翼はしっとりと濡れており、その色合いと手触りを楽しむのでした。

 それは空に舞う優美さとはかけ離れ、地を這うがごとき有り様ではありましたけれど、伏せて横たわる姿にこそ計り知れぬいじらしさを覚えようものです。

 掌中の珠を転がすようにして啄むのです。小鳥が? いいえ、小鳥を。


「この美しい庭と同じで、刻が過ぎれば姿をすっかり変えてしまうものでございましょう。そのようなこと、あの美しき夢の主にとっては些細なこと。わたくしたちが招かれたのは昼の席ではありましたけれど、こうして銀のお庭で遊ばせていただいているのも、あの背の高き太陽は、もしかしたらご存じなのかもしれません」

「では太陽はわたくしたちの目があると知ってますます燃え盛ると。まあ、まあっ。ですが確かにその通りかもしれませんわ。どのような花も見られてこそ美しさを増すと申します。自慢の花であればなおさらですわ。蕾から花開く瞬間を見せつけたいと思うその気持ち、分からなくもありませんし……」


 その芽生えを誰かに、ましてや神になど感謝する必要はありませんでした。

 それは、ささやかながら当然のように現れる兆し。

 蕾はだんだんと色づき、固く縮こまっていたその身をゆるやかに開いていくのです。


「あ、ああ、見てくださいまし。これまで感じたことのない風の冷たさを知ってか、腕の中で小鳥が脅えておりますわ。その足に、その指先に、身体の隅々に吹き荒ぶ新たなる風の息吹を感じ、きっと恐ろしくなったに違いありません。何事も初めては恐ろしいものですもの。それが痛みであればともかく、芯から生まれ、背筋を貫くような蕩ける心持ちであればなおさら……」

「まさか、あの無垢さ、本当に籠の中の小鳥だったのやもしれませんわね」


 たとえば新雪に土足で跡を付けてゆくような楽しさ。

 それは残酷で、だけれど必ず起こることだったのです。


「何も知らぬ小鳥ですもの。やはり大きく温かな太陽も、小鳥が迎える初めての夜を己が輝きで照らし尽くすにはまだ早かったのかもしれませんね……」

「ですが太陽はいつでも夜を塗り替えるものですわ。どれほど深くとも、明けぬ夜はないのですから」


 ひとたび太陽を受け入れた夜はもはや抗う術はなかったのです。

 深く冷たい暗闇は融かされ、その内側を熱いもので満たされてゆくのです。


「……それは……ああ、なんてこと! 目を離せませんわ! か細く小さな夜が少しずつ太陽によって貪られてゆく姿を垣間見ることになるなんて……、ああ、ああ、太陽が冷え切った夜の全身に自らの熱を移していくそのお姿! ああ、いけませんわ! まだ宵の口だというのに、閉じられた夜の帳が太陽の熱き光によってこじ開けられてゆく……」

「仄明かりに照らされて、花が咲いておりますわね。昼の光の中では決して見られぬ、夜にのみ咲く花が……なんて可憐な……その小さな姿で必死に堪え忍ぶ、幼くも美しい、無垢なる銀の花……」


 それは花が咲き、そして無惨にも散りゆく姿でした。

 散るさまですら美しい。それが花の命、花のあるべき姿だったのです。


「溢れ出た透明な朝露が太い茎を垂れてゆく姿も夜明けを感じさせますわね……」

「ぴっちりと閉じられた蕾の恥じらいを感じさせますわね……」


 恥じらうように身をすぼめ、蕾に戻る花もあります。

 けれど、一度開いた姿、その美しさを、可憐さを知られてしまっては、再び咲き誇るようにと手を伸ばさずにはいられないのが人間の業というもの。


「あ、ああ、ついに太陽が大きな顔を出しましたわ……!」

「なんて大きな太陽ですこと!」

「眩く、力強い太陽ですわね!」


 下から上へと、高く付き上がるようにして昇ってゆく太陽でした。

 大きな太陽はどくどくと脈打つように燃え盛り、触れた場所を熱くしてゆきます。

 それは自然の理でした。


「起伏のない夜を遍く照らしていた太陽も、ついに雲に包まれて小さく隠れていた姿を現しましたわね!」

「やはり雲に隠れていては太陽の魅力も半減ですものね」

「ああ、太陽が谷間に埋もれていきますわ!」

「平坦な夜にあっては上の谷間は見当たりませんけれど、下の谷間からは湧き水が溢れておりますわね。あれこそ狭き門をこじ開けるため、乾いたものに与えられる愛の潤いですわ!」


 なだらかな稜線もあれば、険しい山岳もあるでしょう。

 そのなかに未だ未踏であった谷があり、その中間から太陽が顔を出します。

 谷間のくぼみにあてがわれた太陽が沈む姿は、まるで呑み込まれるかのようです。


「ご覧になって、ついに太陽が夜に割って入っていきますわ……!」

「ああ、夜が震えておりますわ!」

「それでも静寂に響かぬよう、喜びの歌は呑み込まれていきましたわね!」


 もはやそれは小鳥のさえずりなどではなかったのです。

 夜に咲く音の花。

 漏れ出ることを止められぬ、命の叫びでした。


「その代わり、太陽はするりと呑み込まれていきますわ」

「随分と鮮やかな侵入ですわね」

「ああしてたっぷりと蜜を垂らしておけば、いざ食べるときに苦労しないのでしょうね。花にある蜜をいかにして増やすかは、育てる方の手腕ですわ」

「自ら育てていた花ですものね……喜びもひとしおでしょう……ああ、身をよじりながら喜びに震える花の姿にわたくしもまぶたから熱い涙があふれてしまいそうですわ」


 舐めて欲しいかのように蜜が溢れてくるのです。

 命の仕組みがそうなっているのですから、蜜に吸い付かずにはいられません。


「その花を散らす様をこうして見せつけるだなんて……ああ、ああ! ついに花が咲きましたわ! 赤い花! 誰でも一度だけ経験する、満開の赤い花……蕾が開き、花弁はめくられ、そして痛みと共に来たる散華の瞬間……ひっそりと閉じられた花びらの奥から溢れ出る甘い蜜……やわらかな茎に滴り垂れてゆく雫は真っ赤な果汁のようですわね」

「ああ、そんな! そこでひっくり返すだなんてご無体な……ああ、いえ、現れたのは可愛らしい桃ですこと。桃の産毛をそろそろと指先で弄び……そこに先端で触れて……」


 用意されていたのは、ひとつだけの桃です。

 ぺろりと皮を剥くような、そんな瑞々しさがありました。

 茂みすらなく、召し上がれとばかりに差し出された桃。

 産毛だけがあり、撫で上げると、つるりとしていました。


「素晴らしいですわ……ほら、見てご覧なさい。幼かった小鳥が飛ぶための羽をむしり取られながら、それでも浮かべた真実のお顔を。あれはまぎれもなく夜の表情ですわ。幼さを奪われた、はしたなき夜の姿ですわ」

「そうですわね……太陽によって何度も何度も夜を明けさせられてしまった、あられもない空ですわ。隠すための雲は剥ぎ取られて、すっかり床に落ちて……まるで夕暮れのように赤く穢されてしまい、もう二度と清らかな元の空には戻ることはないのでしょう……」


 そう、ひとたび二つに分かたれた八の字は、もはや元の形に戻ることないのです。

 時の流れと同じく、ただ一度だけの経験は過ぎ去ってしまったのでした。

 夜は衣を剥ぎ取られ、光の最中で高みに上り詰めてゆくようでした。

 翼を拡げるように夢中のまま手足の伸びきった夜を、太陽は隅々まで解かしてゆきます。

 夜が生来閉じていたありとあらゆる隙間を太陽は己の手で拡げ、激しい光の柱で貫くと、白い輝きを放って埋め尽くし、一つ残らず染め上げ、太陽の持つ巨大さと熱を夜に刻み込み覚え込ませ、やがて夜も内側から光が自然と漏れてくるのですが、これを太陽は音を当てて啜るのでした。


「ええ、ですが見てご覧なさいあのお顔を。熟した果実のような蕩けた姿を。もう二度と元に戻ることはないというのに、突き出された太陽を己の未成熟な根で絡め取り、ただ与えられる命の水をどん欲に飲み干そうとするみだらな花ですわ」

「蔦のように絡みついて離さず繋がったままの夜と太陽……ああ、これですわ。これこそわたくしたちが見たかったものですわ」

「繰り返し繰り返し、太陽が強く光を放ち、それを夜は己の入り口から呑み込んでゆく……目じりに浮かんだ雫と共に煌めいて……なんて神秘的なのでしょう」

「ああ、太陽が離れてしまいましたわ……」

「夜の入り口から大量の白い光が溢れていきますわね……ああ、そんな、今度は夜の出口にまで!」


 谷間から再び顔を出した太陽は、ゆっくりと時間をかけて、二つの山に挟まれた火口へとその身を沈み込ませてゆきました。

 完全に活動を止めていた狭い火口ではありましたが、長らく降り続いた光混じりの雨、あるいは太陽の熱を受けて得られた雪解け水によって、少しばかりの恵みをもたらされていたのです。


「なんてこと、決して衰えることのない太陽が!」

「それはあまりにも……ああ、太陽の大きさで、小鳥が悲鳴を上げておりますわ……」


 ですがやはりそこは夜の出口でした。

 入り口ではなかったのです。

 元より太陽が納まるような場所ではありません。

 なのに太陽は、己の巨大さを思い知らせるかのように、なおさら膨れあがりました。

 そして、ついに噴火したのです。

 どろどろに燃え盛った赤混じりの輝きが、火口から垂れて流れて噴き出してきました。


「太陽の太陽はやっぱり大きいですものね……そして夜の静寂を楽しむために、開いたままの上の口を塞ぐなんて!」

「太陽を押しとどめようと腕を伸ばし、そのままもたれかかり、しがみついておりますわ……ああ、太陽がすっかり夜に納まって隠れてしまって……」


 そして、太陽と夜は繰り返し繰り返し、入れ替わっていくのです。

 夜が明けてしまうまで。

 あるいは、その輝きが曇るまで。

 けれど太陽は手ずから分厚い雲を呼び寄せ、自分たちの姿をすっかり隠してしまいました。


 漏れし灯りは完全に閉ざされ、二輪の花は真の闇に取り残されました。

 とはいえ、まるで猛暑のごとき太陽の熱に当てられた沈丁花と薔薇は、水浸しになった鉢植えを代えなければなりません。

 濡れた根の潤いゆえに、花は匂い立つように開いています。 


「……わたくしたちは太陽と夜の混ざり合う姿を見てしまいましたわね」

「素晴らしい光景でしたわ」


 たとえば接ぎ木、蔓と蔦のように、どちらからともなく指先が絡み合います。

 磁石の異なる極が噛み合うのと同じに、引き寄せられ、繋がったのです。


「わたくしも太陽の光を受けたことで新たな芽が膨らむのを感じますわ」

「まあ! ではその芽をわたくしの手で育てさせてはもらえませんでしょうか」

「わたくしの花芽は誰にも触れさせたことのないものですけれど……でも、あなたが大切にしてくださるのでしたら……」

「ええ、決して傷つけることなく、優しく、育ててみせますわ」

「よろしくお願いしますわね。どうぞ何も知らぬわたくしを導いてくださいませ……」


 そして残るのは、散りゆく定めを持つ、美しくも愚かな二輪の花でしょうか。

 あるいはお互いを貪る二匹の蛞蝓、その透明で艶めかしい銀色の軌跡やもしれません。

 すべては闇の中、誰の目にも触れぬ場所で行われるささやかな宴。

 そこには正しさも間違いもなく、揺るがぬ「今」だけが燦然と輝いているのみなのです。

 

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