カナエさんの軽重を問う
彼はなんとなくを装って、真横に座っている女子に何の気無しに話しかけた。
隣の席の彼女はカナエさんという。
今時あんまりいない三つ編みで、見た目はどこか木訥で可愛らしい。
ちょっと天然が入っている、と言われることもあるが、学校の勉強はしっかり出来ると評判で、成績だけ見ればクラス上位にあたる。
実は彼、カナエさんのことが気になっていた。席替えで隣の席になってからまだ数日であり、話しかける機会を今か今かと待っていたのだ。
ちなみにカナエさんは巨乳である。クラスメイトと比較すると、どうしても目立つ。
「いやー、参ったよ。今日の朝ご飯はバナナだったんだ。漬け物もあったけどあんまり美味しくないし、普通にご飯と一緒に食べたかった」
「え? シン君、朝からバナナ……を食べたの?」
「何その目。え、俺なんか変なこと言った?」
「だってバナナ……あ、でもシン君って男の子だよね。それなのに」
「ちょっと待って。男がバナナ食べて何がおかしいのかサッパリ分からないんだけど」
カナエさんは目を丸くした。
「兄弟いるんだよね、シン君ち」
「いるけどさ」
「どっちのバナナ食べたの?」
「いや、どっちのでもないよ」
「それって……まさか! お、お父さんのバナナ食べたの?」
びっくりしたのか、カナエさんの声は甲高くなった。
「あの、カナエさん。どういう想像をしてらっしゃる。誰のでもないって。俺の」
「……シン君、自分のバナナを食べたんだ。……すごいね」
「もしかしなくても、カナエさん、何かヘンな想像してない?」
「してないよー。ところでどんなバナナだった?」
「ちょっと黒くなってたけど」
「そっか。黒かったんだ」
カナエさんの少し赤らんだ顔と満面の笑みを見て、彼は、ため息をぐっとこらえた。
◇
授業中のことだった。
カナエさんが教師に当てられて、ノートも見ずにすぐに答えた。流れのせいか、隣の席だった彼が次に答えることになった。
「というわけで地方では特産品を前面に押し出して商売する方が良いと判断されたわけだ。外国、特に後進国の場合も同じだな。まず余所にないもの、他の土地にあっても売れるもの、こうしたものが何故必要になったかを……最部君、簡単にで良いから説明してみなさい」
「はい、えっと」
少し考えてから彼は答えた。
「どちらの場合も価値が高くなるからです」
「その理由は」
「他にないもの、他にあっても必要とされるものってことは、需要があるってことです。需要と供給のバランスで物の価値が上下します」
「良し。ちゃんと聞いていたみたいですね。いま最部君が説明したように世の中は需要と供給があります。物とお金の交換もそうですし、物同士の交換でも同じ。足りないものは高くなり、余っているものは安くなる。このバランスは基本的には釣り合いが取れるようになっています」
教師がクラスを見回し、黒板に二三、文字を書き起こした。
「どれほど高騰しているものであっても、不足している状態が解消されれば、自動的に価値が下がっていく。これを神の見えざる手などと呼んだ経済学者もいました。基本的には、と枕を付けたのは、意図的に価値を保持、保護しようとする場合もあるからです」
白チョークの粉が舞うが、おかまいなしに話は続く。
「貴金属……特にダイヤモンドなんかはこの典型ですね。供給元や流通を独占してしまえば価値ではなく価格の操作が可能になります。独占禁止法って言葉は聞いたことがありますか? ええ、そうです。一つの会社だけが独占したり、複数の会社が手を組んで寡占状態になることで、供給の量や価格を少数が身勝手に調整できるわけです。ある程度は仕方ないとはいえ、これが度を超すといろいろな問題が出るから法律で禁止するわけですね」
教師は二度頷いて、クラスを見回す。
数人の顔を見て、また別の生徒の表情を眺め、静かに続けた。
「一方でブランドという形を取り、商品価値に付加価値を与えようとする手法もあります。物品そのものの価値とは別に上乗せされる、ある意味では名前による保証ですね。それが一定の価値ある良品であると示すもの。米沢牛や松阪牛、千疋屋のマスクメロンなどが分かりやすいですが、商品そのものにブランドイメージが存在する場合もあります。はい、中沢君。何か思い浮かびますか」
「ウナギ、とかですか」
「はい正解です。以前は国産の、と付いていましたが最近はウナギそのものに希少価値がつきつつありますからね。……菊池君、他には」
「あ、マスクメロン」
「ええ。よく気づきましたね。千疋屋に限らず、マスクメロンはそもそも高級品のイメージがあります。味としてそこまで差があるのか、についてはこの際置いておきましょう。皆さんが高級だと思う。この部分に価値があるわけです。皆さんが高いと思っているから高いままだ、とも言えますが……関連する話ですが、昔は電卓が一つ十万円なんて時代もありました。信じられますか? ええ、安物なら百円ショップで売ってますがね。まあ、今でも高機能版であれば数千円するわけですが。田中さん。他にはどうです」
「はい、クジラです!」
「うーん。まあ良いでしょう。高級とは言い難いですが、昔より希少になったのは事実です。ただ先生の時代にはうんざりするほど給食で出てきましたからね。わざわざ食べたいものではなかった。今食べるとなるとちょっと高いのはひとえに捕鯨の量が減ったからです。需要はむしろ減っているが、供給がそれ以上に減った。だから高くなった。とはいえブランドイメージとしては微妙なところです。さて鈴木さん、他にはありますか」
「しめじ、ですかね」
「おや、それが出ますか。鈴木さんの言うしめじは……」
「本しめじです。あと松茸も」
「どちらも高級食材ですね。香り松茸味シメジ、とよく言います。皆さんがよく口にするのはブナシメジであって本しめじではありません。ブナシメジを食して分かった風に言って恥を掻かないように。松茸の話が出ましたが……まあ、これも昔ほど高級品という感じではなくなったように思います。高いものは一万くらいしますが、安物であれば皆さんのお小遣いでも買えますし、スーパーで普通に売ってますからね。昔は滅多に出て来なかったんですよ」
「先生」
「なんです」
「松茸って美味しいんですか」
「ううむ、人に寄るでしょうね。……食べたことがあるひと、挙手。おや、ほとんど女子ですか。男子は二人だけと。まあ、皆さんの年齢でキノコが大好きというのも不思議ですからね」
チャイムが鳴った。
「はい、今日はここまでにしましょう。ああ、余談ですが良い松茸の見分け方をお教えしましょう。軸が固いものを選んでください。ふにゃふにゃなものはダメですよ。次に湿り具合ですね。上の方が乾いているものは避けた方が良いです。最後にカサですね。少しこう、開いた感じのやつがいいです。閉じきっているものも開ききっているものもあんまり良くありません。出来ればじっくり見て、触って確かめて、味わうのはそれからです。分かりましたか?」
教師は饒舌に解説してから去っていった。
◇
次の休み時間は、どう控えめに表現してもカナエさんの独壇場だった。
「さっきの授業でシン君、手を上げてたけど……松茸食べたこと、あるんだ」
「あの、カナエさん?」
「わたし、口にしたことがないんだけど……シン君の食べたのって良い松茸だった? 美味しかった? 匂いはどうだった?」
「いや、そんな身を乗り出して聞かれることじゃないよね。あと俺が食べたのは安物だよ。香りもそんなになかったし」
「そっか。感触は?」
「ぷるんとしてたけど」
「ぷるんってするんだ。そっか。そうなんだ」
カナエさんは頬に手を当て、嬉しそうに目を細めた。
「じゃあシン君、シメジは好き? あ、ブナシメジの方だけど」
「いや、あんまり」
「……やっぱり大きい方がいいんだ。男の子だね」
「……どういう意味かな?」
「うふふ」
「うふふじゃなくて」
カナエさんの視線は逸らされた。彼は何とも言えない表情をした。
身体ごと向きを変えて、カナエさんは下方から窺うように上目遣いをした。
「牛はどう?」
「好きだよ」
「ってことは、お乳がいっぱい出る方がいいんだ?」
「いや、乳牛はあんまり食肉にしないと思うんだけど」
「え、もしかしてホルスタインは嫌い?」
彼は肩をすくめた。質問の意図が分からない。
いや、分からないわけではないのだが、あまり考えたくない。
「嫌いじゃないけど」
「そっか。雄も雌もどっちもいけるのかあ」
「牛の話だよね?」
「牛の話だよ!」
カナエさんの目の色は穏やかである。微笑ましいくらいだ。
「ならメロンも好きだよね?」
「まあ」
「ふーん。だったら今度美味しいメロンを食べさせてあげるね」
「え、メロン農家の親戚がいるとか?」
「ううん。いないよ?」
「じゃあ悪いよ」
「いいの。シン君になら。……話は変わるんだけど、シン君、クジラの潮吹きってどう思う?」
「面白いよね」
「……へー、面白いんだ。じゃあ今度一緒に見ようね」
何か、返答を間違えているような気がしてならない彼だが、だからといってこの会話を切り上げる理由にはならない。今日はやたらとカナエさんが積極的に話しかけてくるのだから、なるべく長く喋っていたいと考えるのは男のサガであった。
先ほどの授業で出てきたものを駆使して会話を長続きさせようとお互いに工夫している感じだ。つまりサナエさんは自分に気があるんじゃないか。彼がそう考えるのも無理はなかった。
そんな彼は、自分たちの会話を見守っている周囲の凄まじい視線に気づいていない。
「あ、メロンを食べさせてあげる代わりに、わたし、シン君のウナギが食べたいな」
「え? いや、でもうちにウナギなんて」
「シン君ちの裏手にある川で採れるって聞いたよ? 今度シン君ちにメロンを二つ持ってくから、代わりにシン君が大きく育てたウナギ、わたしに食べさせてほしいの」
ここまで来て気づかない彼も彼である。
いや、彼にとってカナエさんのイメージは清純無垢であり、天然であって、この会話の裏側に罠が潜んでいるなどとは全く思考の外にあるのだ。だがカナエさんはそんな彼を優しく見つめ、最後の一押しとばかりに畳みかける。
「シン君、需要と供給の話についてなんだけど」
「神の見えざる手ってやつ?」
「そう。でもそれって成り行き任せってことだよね。それじゃダメだと思う。それに自動的にバランスを取る必要はないんじゃないかな。だってわたしたちの関係に独占禁止法なんてないんだし」
「え」
「そうでしょ?」
ようやく話の意図が掴めた彼は、にっこり笑ったカナエさんに撃沈された。
放課後ドナドナされていった彼のことをクラスの皆は敬礼して見送るのだった。
◇
「最初に出てきたのはブナシメジだったけど、メインは松茸じゃなくて……エリンギだったね」
とカナエさんは感想を一言述べてから、言い回しに難があるとして首をかしげた。
「あ、いや、違うね。なんていうか、すごく茄子だった。いや、キュウリ……違うね、ゴーヤかな。少なくともバナナって感じじゃなかったよね」
「カナエさん」
「今度は良いアワビを食べさせてあげる約束をしてたんだけど」
「カナエさん!」
「あ、ごめんね。アケビだった。植物繋がりの方が分かりやすいか。でもシン君、わたしが飲ませてあげた牛乳美味しかったでしょ。代わりにミルクもらったからそれでおあいこだけど」
「……もういいです」
「怒った?」
「怒ってません。大体、クジラじゃなくてマグロだったし」
「あ、ひどい!」
「ひどくない」
「そういえば……シン君ちの漬け物、あんまり美味しくなかったね」
「露骨に話を変えてくるし」
「せっかくぬか床もあるんだし、上手に付けられるよう頑張るから。ね」
「……ぬか床を上手に?」
「これが本当の床上手、なんちて」
「カナエさん……」
こうして彼とカナエさんは付き合うことになったのであるが、二人の会話に割ってはいる剛の者はクラスにはいなかったため、語っている内容のどこまでがそのままの意味で、どこまでが含意があるのかについては明らかになることはなかった。
「でもシン君ちでゴーヤを四本出されるとは思わなかったよ。一本持ち帰っちゃったけど、あとで怒られたりしなかった? なんならうちにある赤貝、三つあるからどれか自由に持って行っていいけど」
「!?」
最後にカナエさんが呟いた。
この一言で耳を澄ましていたクラスメイトが騒然になった。
なお、彼は川でウナギを捕獲し、その後養殖に成功した。その大きく育てたウナギをカナエさんに盛大に振る舞った。ウナギの大きさはこれくらいだった、とカナエさんが手で指し示した大きさは二十センチを越えていた。これを聞いた者たちは二つに分かれた。彼のウナギの小ささを嘲笑するものと、彼のウナギの巨大さに恐れおののく物とだ。だが彼は決して自慢することはなかったという。




