現実主義者の信条
しばらくその場でじっとしていると、宗谷英規に後ろから声をかけられた。
「あれ?宗谷さん。お疲れ様です」
振り返り、挨拶をする。
習慣というのは恐ろしいもので、おはようございますとお疲れさまは、ほぼ挨拶の定番と化している。
異世界だっていうのに、いまだにこれらのあいさつが出てくるのだからなんだか可笑しい。
職業病だな。
「あ、ああ、お疲れさ…」
そこまで言いかけて、私の顔をじっと見る。
いや、正確には首筋を。
そして、宗谷英規は思い切り眉をひそめた。
急に表情が変わったので、私は少しびっくりした。
「どうかされましたか?」
「どうしたもこうしたも、君、怪我をしてるじゃないか」
と言って、宗谷英規はさっとハンカチを取り出す。
あ、そういえばナイフで傷ついてたんだっけ。
痛みがなかったので忘れていた。
「じっとしていろ」
宗谷英規は、首元にハンカチをあてがい、まだ乾ききっていない血をそっと拭ってくれた。
首元がハンカチに擦れて、僅かにちりっとする。
「どうして君はあんな無茶をした?」
ハンカチで拭いながら、静かに聞いて来る。
表情は無表情だが、声音から怒っているのがよく判る。
「あの場で君はじっとして居るべきではなかったのか?少なくとも、この場には何人もの騎士たちがいた。君が行かなくても事は済んだはずだ。違うか?」
宗谷英規が、まるで言い聞かせでもするように言ってくる。
ああ、確かにそうだろう。
別に私が動かなくても、事態は収まった。
団長もキョウキーニさんも強いのは一目瞭然だ。
それにヴォイドが強いのなら、その他の近衛も実力があるのは考えるまでもない。
そう、あの場で私が出ていく理由などなかったのかもしれない。
だからと言って、私が何とかできる問題を何もしないで、ただ見ているだけというのは私の性には合わない。
その場でできる事があれば、状況が許す限り行い、出来ないと判断をした時はすぐに退く。
それが私のやり方だ。
「そうですね。ですが、自分が何とか出来る範囲で何もしないのは、私の信条に反しますから」
と、苦笑気味に答えた。
「あの場を何とかできるとでも思ったのか!?」
ムッ。
「そうではありません。敵だと認識される前に、幾人か減らす事ができると判断したから行動したまでです。あの場全体を収めるのは私1人では到底無理です」
「そうではなく、実際に君は怪我をしているだろう?」
宗谷英規は、先ほどとは打って変って、弱々しく呟く。
そして、どことなく悲しげに見えなくもない眼をこちらに向け、首に当てられていたハンカチをそっと離す。
代わりに私の傷口をその長い指でゆっくりと撫でる。
ゆっくりと。
首筋から背中にかけてゾクッと電気が走った感じがした。
体がびくっとなる。
思わず、宗谷英規の目を見てしまった。
切なげに揺れた瞳が、私を捕える。
私は不覚にも目が離せずにいた。
宗谷英規との視線が絡み合い、金縛りにでもあったかの様に、私はその場を動けなかった。
彼の長い指はやがて首の傷から離れ、首筋をなでながら顎へとゆっくりと移動する。
顎を親指で2撫でし、徐に私の顔を上に向かせた。
瞳に吸い込まれそうになり、そのまま目が離せずにいると、顔が少しずつ近づいて来る。
このままいけば何をされるか解っているのに、私の体は相変わらず動けずにいた。
近づいた彼の瞳が一瞬困惑の色を宿し、すぐに顔を横に向き反らされる。
そして、小さく切なげなため息をつき、名残惜しそうに私の顔を撫でてから手を放した。
「とにかく、無事でよかった…」
かすれ気味に呟かれたその言葉が、すっと私の耳に入ってきた。
それは、何よりも彼の本心から出た言葉であったからかもしれない。
私には、その言葉が宗谷英規の本質を現している様な気がした。




