第一話 父の死
平安時代初期、朝廷を揺るがす大事件が起こった。「薬子の変」
稀代の悪女と呼ばれ、服毒して果てたという薬子が果たしてどのような人物だったのか。伏せられた記録の隙間から漏れる姿からその行方を追う。
「薬子よ。」
朝餉を済ませ、朝堂院に向かう支度をする父の部屋に薬子は呼ばれていた。
藤原薬子。藤原式家 種継の娘である。父 中納言種継はつい先頃正三位の官位を戴き、同時に式家の代表となっていた。今上帝(のちの桓武天皇)の右腕としてその手腕を振るっており、現在は都を長岡に移すための造成工事を指揮していた。
「そなたは親王様の妃となるのだ。」
親王様というのは帝の弟君、早良親王様か。御年は三十を過ぎておられるはずだ。親王禅師と呼ばれ、長らく仏門におられたために当然ながら妻子はなく、還俗なされてからまだどなたかが妃に入られたという話は聞いていない。その方の妃になれということか。政略結婚と分かっていても従うのが私の役目だ。私は式家 藤原種継の娘なのだから。
薬子は父を見上げて答えた。
「仰せのままに。」
出仕する父の帯を整えながら母君が尋ねた。
「早良親王様へのお目通りはいつになりましょう。」
「早良様ではない。安殿様だ。」
父上は何を仰っているのだろう。安殿様はまだ十になるかならないかという幼君ではないか。元服まであと何年もあるのに、何故今そんな話をなさるのか。
しかし、薬子の口からその問いが出ることはなかった。いつものことだ。疑問はあっても質問することはない。不満があっても逆らうことなどない。返事は常に「はい」か「仰せのままに」しかないのだ。
薬子の代わりに口を開いたのは母だった。
「殿は何を仰せですか。薬子はもう十六になりますのよ。幼い安殿親王様のご元服まで待てと仰るのですか。それはいつになりますのか。その時薬子はいくつになるとお思いですか。」
「確かに薬子は少しばかり年上ではあるが、それがかえってよい。親王様を我が家の思い通りに出来てよかろう。」
「安殿様がご元服あそばされたら、他の姫君様も次々と入内なさるでしょう。薬子が東宮妃となれる保証がどこにありますか。殿は帝の信頼厚いお方ではありますが、身分の高い姫君は他にも数多おられますのよ。それなのに薬子が後宮の主となれる証がありますのか。それに何より、今は還俗された早良親王様が皇太弟でいらっしゃいます。次の帝は早良様なのですよ。」
「まあ待て。還俗なされたとはいえ、早良様は東大寺とのご縁の深い方。仏門から完全に離れられたわけではない。今後とも宮中と寺との調整にご尽力いただくことになろう。帝が進めておられる長岡の都が整って、帝がお移りになられたあかつきには何もかもが新しくなる。見ておれ。反対勢力を抑え込んでそのご威信を現したのちには、帝は様々な改革をなされるおつもりだ。薬子はその帝の長子であられる安殿親王様の妃になるのだ。これこそが、我が式家と今上帝の強い絆を知らしめるおおいなる入内となるのだ。」
種継はそう言うと、まだ何か言おうとする妻を制し、薬子に小さく頷いて朝堂院に向かった。
自分のことなのに何一つおのれの意思を通すことは出来ない。いつも父と母の命に従ってきた。しかし、貴族の姫というものは常々そういうものだ。入内して、居並ぶ妃の中でただ一人の皇后になる。我が子が春宮になり帝位につくと国母、その皇子が次の帝になれば祖母である皇太后、そして曾祖母となれば太皇太后と呼ばれるようになる。それは女として他に並ぶもののない、揺るぎなき最高の位だ。
が・・と薬子は思う。女人が出世するにはその他に道はないのか。同じ式家に生まれながら、兄は貴族の男子として勉学にいそしみ、進むべき道を歩んでいる。女人にそれは出来ないことなのだろうか。女人にも同様の場さえ許されたら。
いつとも知れぬ先の入内を私に命じて、父君は出仕なさった。帝が急かしておられる新宮造設工事のため、そのまま長岡に向かわれるという。今上帝の片腕である父君でなければこの工事は進まない。それほど信頼されている父君の娘である私が、どなたであれ親王様に入内するのは当然の流れだろう。親王禅師様ではなく幼い安殿親王様の妃にと仰せなのも、父君に何かしらお考えがあってのことだろう。長岡からお戻りになられたらお尋ねしてみよう。入内する私にも覚悟というものが必要だ。そのくらいは許していただけるだろう。
三笠山の見えるこの地に都が造られるまでは、新たな帝が即位される度に新たな宮をお創りになられていたと聞く。しかし奈良のこの地が都となってからは幾久しい。既に何十年もの年月が経っている長安の都に倣ったという巨大な都。そこを今上帝は離れるおつもりだ。寧楽の都を何故「今」お捨てになるのだろう。そもそも貴族の娘は屋敷から出る事自体が少ないのだが、なんと都そのものが遷るというのだ。生まれた時から暮らしているこの都から出ることなど、薬子は微塵も考えたことがなかった。朝夕に平城京に響く金鐘寺の鐘。長岡の都には金鐘寺のような大きな御仏は造られるのだろうか。新しい都にも唐人達が珍しい品を運んでくるのだろうか。新しい屋敷はどんなだろう。長岡とはどんな場所なのだろう。いや、素晴らしいに決まっている。なぜなら我が父上が今まさに造っておられる都なのだから。父に対する誇りと入内の不安、そして新しい都への期待とが入り混じって、その夜薬子は寝付かれなかった。
父君が長岡京の造成に向かわれてから、およそ一月が過ぎていた。変わらぬ屋敷での日々ではあったが少しずつ季節は移ろい、いつの間にか庭の草花は夏から秋へと入れ替わっていた。この日、帝は長岡の造成現場から平城の都にお戻りであった。朝原内親王様が伊勢の斎宮として出立されるというので、帝自らお見送り参らせるとのことだった。帝と斎宮という稀有な立場のお二方が次にお会いになれるのはいつになるだろう。数年、いやもっと長い年月ののちだろう。それゆえ帝は遷都の準備から離れてまで奈良の都にお戻りになられたのだろう。私が入内する際には我が父上も同じようにしてくださるだろうか。それほどの愛情をお示しくださるだろうか。
陽が傾き屋敷の大門が閉ざされた。人の出入りが途絶えた前庭を行き来する者は誰もいなくなった。陽が沈みきり、静まった庭では今度は秋の虫たちが羽を擦り合わせて音を立て始めていた。その音色を窓の外に聞きながら、お付きの世話係に閨の支度を手伝わせたあと薬子は床に入り、深い眠りに落ちていった。
「・・・さま・・」
「ひめさま・・」
何だろう、床を離れるにはまだ早くはないか。体を起こした薬子の傍らに世話係がかしずいている。
「お方様がお呼びでございます。」
虫の音は止んでいた。代わりに廊下を慌ただしく移動する従者たちの足音が響く。ただならぬ気配に薬子は上衣も羽織らず部屋を飛び出した。
「お母さま!」
薬子の母は居室の肘掛けで体を支えていた。
「お父様が長岡の工事中お怪我をされた。」
「え」
「仲成がいま、伝令から詳しい話を聞いている。」
お父様が?造成中に?大きなお怪我なのだろうか。長岡から屋敷に戻って治療なさるのだろうか。帝が長岡に居られないこんな時に。
現地に医師や薬師はいないのか。いや、無為に気を揉むのはよそう。お兄様から聞くまで何もわからないのだ。お兄様はどこに。
侍女が運んできた上衣で身支度を整えてからどのくらい時が経ったのだろう。兄の仲成が部屋に入ってきた。
「母上。父上は長岡で工事の指揮を執っている時、何者かに矢を射られたとのこと。私は今から内裏に向かいます。」
「なんと」
母の体がぐらりと揺れた。母付きの侍女が慌ててその体を支えた。一体何が起こっているのか。母上を頼むと言い残し、兄上は部屋を後にした。
屋敷の明かりが次々と灯される。只ならぬ空気に従者たちが一斉に動き始めた。「お母さま、気を確かにお持ちくださいませ。きっとたいしたことはありません。私はここでお兄様を待ちます。お母様は寝所にお戻りください。白湯など持たせましょう。」
自分もここで兄を待つという母を促して寝所に送り、まんじりともせず迎えた夜明け。朝餉も喉を通らず只々待っていた薬子たちのもとに、内裏から戻ってきた仲成が父の死を告げた。
葬儀が執り行われた。
白い装束 屋敷の喪屋の中、立ち込める線香の白い線が、喪屋の前に並んだ哭女の泣き声に揺れる。幾重にも重なった読経が線香の煙の間を響いていた。前かがみになりながらようよう座っている母君に兄上が寄り添っていた。今上帝の片腕として絶大な権勢を誇っていた種継であるが、その葬儀となると貴族たちの反応は複雑だった。長岡京遷都に反対勢力とされていた者たちは内心ほくそ笑みながらも己の保身に走っていた。父側についていた貴族たちは大仰にその死を悲しんでみせていた。
何が起こっているのだろう。目の前で繰り広げられているこれはなんなのだろう。悲しみよりも喪失感よりも前に、そこにあるのは受け入れがたい現実でしかなかった。
帝は種継の事件を知るや否や長岡京に向かわれ、首謀者の発見に手を尽くしているとのことだった。内裏を邸を頻繁に行き来する兄上から事態の変化を聞かされる度、薬子は父上の掌握していた権力と影響力を思い知るのだった。
間もなく首謀者とされた者が捕縛された。早良親王の側近たちだった。親あ王禅師様も加担していたとして帝は皇太弟様を幽閉なされた。当然のことながら皇位継承者としての地位は剥奪。親王様は無罪を訴えておられたが、乙訓寺で身罷ら(みまから)れたと聞いた。食を絶たれたという。そして間髪入れず、わずか十におなりになったばかりの安殿親王様が立太子された。
父上が仰っていたことが現実となったのだ。ただ違っていたのは、此処に父上はなく私が親王様に入内する機会も永遠に失われた、ということだった。
喪に服している間に薬子は一つ年を重ねた。種継という巨大な後ろ盾がなくなり、入内は勿論のこと他宮家との政略結婚も考えられる状況にはなかった。このまま年を重ねるのは忍びないという母君の勧めもあり、喪が明けてすぐ薬子は同氏の縄主と結婚した。




