第1話:4月の嵐と、ガラス細工の嘘
はじめまして。数ある作品の中から目にとめていただきありがとうございます。
たくさんの漫画を読んできて絵は描くの苦手だけど文なら…と創作活動を始めてみました。
身長183cm、同じ視線の高さを持つ二人の、甘くて不器用な物語です。 少しずつ溶け合っていく二人の境界線を、一緒に見守っていただけたら嬉しいです。
1. 静かな始まり
『4月のあの日。教室の真ん中で弾ける墨染海星の笑い声は、春の嵐みたいに騒がしくて、どこかひどく作り物めいた響きがしたんだ。』
窓から差し込む春の陽光は、俺の視界を遮る長い前髪を透かすだけで、その奥にある閉ざした世界までは届かない。
俺は机に突っ伏したまま、耳を塞ぐように腕の中に顔を埋めた。
2. 嘘と憧れ
「——おい墨染、お前もいつまでお預け食らわせてんだよ。早く入部届持ってこい」
教室の入り口から聞こえた太い声に、俺の心臓が嫌な跳ね方をした。
中学からの付き合いであるサッカー部の先輩が、脇に真新しいボールを抱えて、ニカッと笑っている。
「先輩……」
「みんな待ってるぞ。お前が来なきゃ、今年の夏は始まんねーだろ?」
差し出されたサッカーボール。その白と黒の幾何学模様を見つめた瞬間、頭の中が真っ白になった。
一秒。たった一秒、返信が遅れた。 それだけで、周りにいた「いつめん」たちが一斉に俺の背中を叩く。
「当たり前っすよね! 海星がサッカーしないとかあり得ないっすよ」
「こいつ、冬の雪道でもボール蹴りながら登校してたんすから。正真正銘のサッカー馬鹿なんですよ」
友人たちの悪気ない言葉が、今の俺には鋭いナイフみたいに刺さる。 (……っぶね。今、顔に出てなかったか?)
「ははは! なあ、俺どんだけサッカー馬鹿に思われてんだよ。先輩、そんなに期待しないでくださいよ、ハードル上がるじゃないっすか」
俺はいつものトーンで、いつもの笑顔を貼り付ける。
本当は、今すぐそのボールを奪ってグラウンドに飛び出したい。
でも、今の俺には部費を払う余裕も、遠征に行く時間もない。
逃げるように視線を逸らした先、窓際の特等席で、クラスで一番やる気のない男——日高岳陽が、また深い眠りに落ちるのが見えた。
(いいよな、あいつは。……何も考えてなさそうで、気楽で)
前髪のカーテンに隠れて、周囲の期待も、視線も、全部無視して寝ていられる日高が、その時だけは猛烈に羨ましかった。
3. 委員会の決定
俺が先輩の勧誘を「また今度ゆっくり考えますから!」と、当たり障りのない嘘でかわした直後、ガラガラッと教室のドアが開く。
「おい、いつまで騒いでる。全員席につけ」
担任が、丸めた出席簿を教卓に叩きつけた。
その手には、部活動の最終集計リストが握られている。
「墨染、お前いつまで粘るつもりだ。サッカー部の顧問が泣いてたぞ、お前が入らないと今年の夏は終わったも同然だってな」
「あはは……。すみません、今はちょっと……他にやりたいこともあって」
俺は苦笑いしながら、あいまいに言葉を濁す。
クラス中からは「他にやりたいことってなんだよー!」「墨染が帰宅部とか宝の持ち腐れすぎ!」と、親しげなヤジが飛ぶ。
だが、それらを全部、爽やかな笑顔という壁で跳ね返した。
「ふん。まあいい。部活に入らないなら、その余った体力は学校のために使え。……代わりにお前は学級委員な」
俺に「えっ」と言う暇も与えず、担任は有無を言わせぬ口調で続けた。
クラス中から「おー、墨染なら適任だわ!」「頼むぞ級長!」と、圧倒的な賛成の声と拍手が上がる。
その信頼の厚さが、今は少しだけ肩に重くのしかかった。
「……了解です。やるからには、しっかり務めさせていただきますよ」
俺が明るく引き受けたのを確認すると、担任はそのまま教室の最後尾、窓際の席へと歩を進めた。
「……それと、おい日高! 寝るな! お前は保健委員だ」
バチン、と机を叩く音。 ビクッ、と肩を揺らして、ようやく日高が顔を上げた。
前髪の間から覗く目は、ひどく眠そうで、そして周囲を拒絶するような冷めた色をしていた。
「保健室なら、仕事がない時は寝てても文句は言われないだろ。お前にぴったりだ」
担任の適当な采配に、クラス中がどっと沸く。
いつめんの一人が、おどけて俺の肩を組む。
「おい墨染、お前あの日高と『帰宅部枠』コンビじゃん。おなじ高身長チームとして仲良くしろよ。な、日高!」
友人が日高に向けて無邪気に声をかける。しかし、日高はピクリとも表情を変えず、ただ虚空を見つめて無視を貫いた。
教室に一瞬、気まずい空気が流れる。俺は即座にその空気を読み取って、友人を軽く小突いた。
「おい、仲良くもないのにいきなり話しかけたら悪いだろ。日高だってびっくりしてるって」
そのフォローの瞬間、一瞬だけ、日高と視線がぶつかった。
俺は慌てて、いつもの営業用の愛想笑いを浮かべた。
けれど、日高はすぐに汚いものを見るかのように視線を逸らし、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……最悪」
その言葉は、何もしなくていいはずの静寂を奪われた絶望と、クラスで一番の人気者に自分の存在を把握されてしまったこと、そして、そんな些細なことで動揺している自分自身への、ひどく惨めな吐息だった。
4. 廊下での空白
担任が去り、日高は無言で席を立ってトイレへ向かった。
その帰り道、重い学級日誌の束を抱えて職員室へ向かう墨染の背中を見かける。
いつもなら背筋を伸ばしているはずの墨染が、誰も見ていない廊下で、ふっと肩の力を抜いて深くため息をついた。
その瞬間、墨染の体がわずかにグラッと揺れる。
(……あいつ、ふらついてたか? ……いや、俺には関係ない。保健委員なんてだるいだけだ。もしあいつが本当に倒れたりしたら、俺が面倒見なきゃいけないのか? 最悪だ)
日高は教室に戻り、また机に突っ伏した。
5. 庇う言葉、刺さるトゲ(日高視点)
墨染が職員室から戻ってくると、いつめんたちがまだ教室にたむろしている。
「お、海星おかえり。学級日誌、もう出してきたのか? お疲れ」
「おう、サンキュー。……みんなまだいたのかよ」
墨染がいつものように笑って応えると、友人の一人が窓際の席——俺が座っているあたりを顎でしゃくった。
「なあ、日高ってさ、さっきも全然喋んなかったじゃん。マジで何考えてるか分かんねーよな。」
「背は高いけど静かでちょっと不気味だしな」
「あいつ、せっかく保健委員になったのに、あのヒョロっとした感じだと逆に自分が倒れちゃうんじゃねーの?」
「はは、確かに。あいつ、いつも眠そうだ」
別の友人が悪気なく笑って乗っかる。その言葉には悪意というより、ただの「自分たちとは違う人種」への好奇心と、少しの揶揄いが混ざっているだけだった。
けれど、墨染はそれを聞き流さなかった。
「……ははっ、言い過ぎだって。日高にだって、あいつにしか分かんない事情があるんだろ。ひょろがりとか、外見だけできめつけるなよ」
墨染の声のトーンが、わずかに低くなる。いつめんたちは一瞬、意外そうな顔で墨染を見た。
「やる気がないんじゃなくて、やれないこともある。な? ……ほら、放課後まであいつの噂話するより、お前ら早く部活行けよ。遅れるぞ」
最後はいつもの明るい口調で追い立てるように言い、墨染は笑って手を振った。
(いつめんが去り、教室には墨染の衣擦れの音と、遠くの部活の掛け声だけが響いている)
腕の中に顔を埋めたまま、俺は止まっていた呼吸をゆっくりと吐き出した。
(……なんなんだよ、あいつ)
庇われたことなんて、これまでの人生で一度もなかった。
マイルドに、でも確実に俺の側についてくれた墨染の言葉が、じんわりと胸の奥に熱を持って広がる。
正直、……ほんの少しだけ、嬉しかった。
けれどそれ以上に、苛立ちに近い感情が込み上げる。
あいつは今、俺のために怒ったんじゃない。 「やれないこともある」なんて、自分に言い聞かせるように、自分を守るために言ったんだ。
(……嘘ばっかりだ)
顔を上げなくてもわかる。 あいつは今、また「誰も傷つかない完璧な笑顔」に戻っているはずだ。
クラスの誰もが信じているその聖人君子のような笑顔が、俺には酷く脆い、ガラス細工の嘘に見えて仕方なかった。
第1話をお読みいただきありがとうございました! 嘘の笑顔を貼り付ける海星と、それを見抜いてしまった日高。 全然違う二人の「保健委員」と「学級委員」としての日々がここから始まります。
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次回、第2話は近日中に更新予定です。




