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石燕先生、モノノケでござる!  作者: 玉水ひひな
第一話 春坊の縁談

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仕掛けられた罠

(……しかし、千代殿は、いつどこで、あの画妖先生と会ったのだろう?)


 あばら家に住む千代は病弱の身で外へ出るのもままならないのだとばかり思い込んでいたが……、自分の勘違いだったのかもしれない。


 ……では、ひょっとして、二人は自分の知らぬうちにどこかで会ったということだろうか?


 そう思い当たると、春坊の中で沸々(ふつふつ)と男の悋気(りんき)が起きる。

 たかが(ツラ)の皮一枚のこととはいえ、画妖先生が顔立ちのきりっとした綺麗な男なものだから、余計に腹が立った。


 そんなことを考えているうちに――ほんの数日も我慢できずに、鉄砲玉の春坊の足は、気がつけば日下家のあばら家の前まで己を運んでいた。


 見上げれば、春の青空だった。


 川向こうで美しい花を開かせている桜の古木を眺め、春坊はその花弁のはらはらと舞うさまを眺めた。


(そういえば……)


 いつかの夢を、ふいに思い出す。

 あの夜、千代は確か、自分に……。


 その瞬間、丑三つ刻に春坊の耳を濡らした彼女の囁きが蘇る。



『――どうか、日下部の家には来ないで。あたしのことは、お忘れください……』



 その時だった。

 ふと気がつけば、いつの間にか古めかしい振り分け髪の見知らぬ幼い娘がどこからか現れ、春坊の前に立っていた。


「!」


 驚いて思わずたじろぐと、まだ(とお)にも満たないであろうその娘が、無表情に言った。


「どうぞ」


 娘が、ぐいっと白い扇を春坊に押しつけてくる。


「お、俺にか?」

「はい。中の、方から」


 少女が頷く。

 手の中に押しつけられた扇を見て、春坊は目を瞬いた。

 まるでひいな人形そのもののようなその娘が、驚いている春坊を尻目にさっと踵を返す。

 少女は、瞬く間に通りを走り去ってしまった。


「あっ、待て、娘!」


 どういうことか訊こうとして小さな背を追いかけると、もう今にも手が触れるというところで娘が角を折れる。

 春坊も続いて角を曲がって――……、息を呑んだ。


「……⁉」


 角を曲がった先の路地に、娘の影も形もなかったのだ。

 つい今、少女はこの角を曲がったはずなのに……。


(いない……)


 見間違いをしたかときょろきょろ辺りを見まわすと、地面に、小さな紙人形が落ちている。


 拾い上げると、それは〈女童(めのわらわ)〉と文字の書かれた古い紙切れだった。

 怪訝に眉をしかめると、紙人形からはかすかに古風な香りが立ち昇っていた。


(薫香が……)


 ふと思い立って娘に手渡された白い扇を眺めれば、それにも同じ花の香が移されている。


 これではまるで――源氏物語絵巻の一幕だ。


 わけもわからぬまま、春坊は、その千年前から現れたようないやに古式ゆかしい扇に書かれた歌を読んだ。




〈思いやる 境遥かになりやする 惑う夢路に 君をば求め〉





 ♢ 〇 ♢





〈思いやる 境遥かになりやする 惑う夢路に 君をば求め〉




 しばし呆気に取られてから、春坊は呟いた。


「……どういう意味なのだろう? この歌は……。

 近頃巷で流行っているという狂歌ではないようだが……」

 

 少し考え、春坊は思った。

 どうやら、これは古めかしい和歌――やまとうたのようだ。




和歌(やまとうた)は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれ

 

 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ――〉




(やまとうたとは、人の心を種として、(よろず)の言の葉となったものを言う。


 なにくれかの力を使わずとも、天地の心を震わせ、鬼神や妖しのモノ達をすら魅了する――)



 いつだか、そんな文句を聞いたことがある。

 確か、紀貫之(きのつらゆき)が平安の千年京にて記したという古今和歌集の序文だったはずだ。※

 教えてくれたのは、母のたまだっただろうか。

 母は、娘時代に和歌の手習いに通っていたことがあったのだ。


 しかし、春坊には和歌の教養はない。

 和歌など学んでまたおなごのようだとからかわれるのが嫌だったのだが、おかげで意味は何もわからなかった。


 それでも、扇に舞う繊細な手蹟に胸がどきっとして、春坊はついその歌を何度も読んだ。




(……思いやる 境遥かになりやする 惑う夢路に 君をば求め……)




 ……どうやら、これは恋の歌であろうと思われた。


 もしかして……、春坊の姿を見て、あの愛しい日下部千代がこの恋文めいた和歌をしたためた風流な扇をあの少女に贈らせたのだろうか?


 これまで春坊は彼女とは視線を交わし合っただけで、話したことは一度もない。

 当然、名を名乗ったこともなかった。

 彼女は、縁談の相手が自分だとはまだ気づいてはおるまい。


 春坊以外の男と縁談が決まってしまったと思い込んで、意を決して……ひょっとすると、自分に想いだけでも告げようとしてくれて、こんな恋の和歌を贈ってくれたということだろうか?


 あばら屋敷の前に戻って春坊がぼうっと立ち往生していると、垣根の向こうの軒下に女人の真っ白な相貌が見えた。



「――まあ。あなたは……」



「!」


 垣根越しから声が上がり、急いで振り返ってみて――、息を呑む。


 驚いたようにこちらを見ているのは……、軒先に立つ、彼女だった。






ここまで読んでくださってありがとうございます!

続きも読んでいただけたら嬉しいです。







以下、本文には大きく関わりませんので、お嫌な方は読み飛ばしてください!


※零れ話

紀貫之が執筆した古今和歌集の序文がとてもいいので、冒頭を載せさせていただきます!

現代語訳が要らないくらい美しいです。




「やまとうたは、人の心を種として、(よろず)の言の葉とぞ なれりける


世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり


花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける


力を入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり


この歌、天地(あめつち)の開け始まりける時より、出でにけり……」


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