春坊に、死相
「そこなあなた!
画妖……、いえ、鳥山石燕先生とお見受けしましたが、なぜ、その女人の画姿を描くのです」
気がつけば、春坊は画妖先生をそう詰問していた。
春坊の剣幕に、画妖先生は総髪の下で怠そうに眼を光らせた。
「んん……? 何だ、てめえは。この百魅の生する逢魔刻に、餓鬼が気安く出歩くもんじゃねえぞ。怖ァい目に遭っても知らねえぜ……」
「……」
こんな奇人中の奇人にまで小童扱いされ、春坊はムッとした。
だいたい、画妖先生だって、まだまだ若造と呼ばれるような齢の男じゃないか。
眉をひそめて、春坊は、幼く見えないように肩を怒らせて言い返した。
「そ、それがしは小僧ではありませぬ。この町で同心を務める久慈新兵衛が末子、久慈春右衛門と申しまする。無礼は承知でお声かけさせていただきましたが、先生は何ゆえ、その女性を……日下部千代殿をお描きになるのです?」
声を上ずらせている春坊をちょっと見て、画妖先生は画筆で描いたような柳眉を持ち上げた。
「千代……? ふぅん……。この女、千代というのか」
「は……?」
「なかなかどうして、それらしい名を持ったもんだな」
「……?」
先生が、頬を持ち上げてニヤリと笑う。
自ら描いたくせに、彼はその画をしげしげと眺め始めた。
……このモノノケ先生は、いったい何を言っているのだろうか?
さっぱりわけがわからず、春坊はますます顔をしかめた。
だって、普通、絵というものは画題を知覚して描くものじゃないか。
何と知らず、こんな抽象性の一切ない千代そっくりの美人画を描けるものだろうか?
謎めいた独り言に春坊が戸惑っていると、男がさっさと画具を仕舞い始める。
目を瞬いて、春坊は画妖先生に訊いた。
「先生、どちらへ行かれるので?」
「決まってるじゃねえか。日が暮れたから、帰るンだ。画を描くにゃ、行燈がいる……」
「……」
春坊が呆気に取られていると、夕日の残光を頼りに画妖先生が濁った目をまん丸にして、春坊の顔を覗き込んできた。
どこか妖しげな光を閃かせた画師の瞳に、春坊の童顔が映る。
「――ふむ。どうやら、オヌシには死相が出ておるようだな。せいぜい気をつけることだ」
「な……」
脈絡もなくモノノケ先生の口からおどろおどろしい言葉が飛び出て、春坊はつい頬に手を置いた。
「し、死相でござるか?」
「ああ」
そう頷くと、春坊を放って画師が歩き出す。
「お待ちくだされ! 先生!」
死相とはどういうことか訊こうと慌てて引き止めたのだが、男が振り返ることはなかった。
夕暮れに溶けるようにして――、彼の背中は消えていった。
♢ 〇 ♢
奇妙な画師の背を見送って、春坊は眉をひそめた。
俺の顔に、死相が?
(――あのモノノケ先生は、いったい何を言っておられるのだ……?)
……モノノケ先生が人相を視るという話は小耳にも挟んだことがないが、明日からはそんな風聞が噂好きの江戸っ子達の間を駆け巡るのかもしれない。
忍び寄る夜闇とともに賑やかだった行商や大道芸の声もいつしか絶え、野犬の鳴き声が驚くほど側からふいに響く。
「!」
犬公方と呼ばれた五代将軍が発布した生類憐みの令により、人を咬む凶暴な野良犬の多くがお犬小屋に召された。
あれからずいぶん経つから、近頃また江戸に野犬が増えてきたのかもしれない。
どこかの寺で、捨て鐘が鳴る。
声はすれども姿は見えぬ野犬にぞっとし、春坊は足早に辻を立ち去った。
その背を、いつまでも何かおぞましいものが追ってくるような黄昏であった。
♢ 〇 ♢
(……しかし、千代殿は、いつどこで、あの画妖先生と会ったのだろう?)
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