謎めいた若き画師
ちょっと目をやれば、埃っぽい路地の角からにぎやかな声が聞こえてきた。
「――ちょろが、ちょろが参じましたァ! 嗚、ちょろを見る者、福来たるゥ!」
目をやれば、福禄寿を模した大きな張り子の顔が騒がしく大通りを練り歩いている。
「ほう。威勢がいいなあ」
大人ぶって、春坊は呟いてみた。
福禄寿の両脇には、布袋を顔に被った男二人がびんざさららを鳴らして口上を述べている。
「長老が参じました! 大福長老じゃ! 長老を見る人は福徳来たるよゥ!」
その決まり文句と練り歩く姿の面白おかしさに、金離れのいい江戸っ子達が一文二文と投げていく。
ちょろけんは、上方から流れてきた大道芸だ。
ああいうのの中身は大概が無職の若い男で、子供や年頃の娘を見ると声をかけてからかってくるから、結構人気があるのだ。※
春坊だってまだまだ気を惹かれるのだが、いかにも子供騙しの大道芸を追いかけているところを知己に見られたら恥ずかしいから我慢した。
大道芸の脇を素通りし、唐辛子売りに茶筅売りとすれ違うと――。
いつの間にか、往来に差す陽の光に赤味が増している。
♢ 〇 ♢
気がつけば、刻は黄昏。
「……?」
辻に当たったところで、春坊はちょっと足を止めた。
このあたりを縄張りにする老辻売卜が、今日は見当たらないのだ。
代わりに、紙と炭を持ったどこか面妖な風体の男が立っていた。
(何だ? あの男は……)
総髪はボサボサと長く、手入れがなっていない。
身に着けているのは、総髪に釣り合わぬ極上の縞物。
着流姿は浪人めいてはいるものの、腰には刀どころか、脇差もなし。
顔はどうやら涼やかな美男子と言えようが、肌艶が悪く、瞳も濁っている。
そんななりなのにどこか品の漂うその男が、夕暮れの辻に影を長く伸ばし、虚空を見上げてサラサラと紙に炭を走らせている。
しかし、彼の視線を追って空を見上げても、そこには夕焼けに染まった茜雲があるばかり。
不思議に思って、春坊はつい、若き画師のなで肩をぽんと叩いた。
「――そこなる画師殿、夕雲をお描きですか?」
そう問いかけてみて、春坊はハッとした。
そうだ――以前聞いたことがある。
公方様お気に入りの若き異才の画師がいるという噂は、江戸の町では有名だった。
確かその画師は幕府御坊主家系の若君で、その画才は音に聞こえた天下の奥画師達にも一目置かれているらしい。
公方様のお気持ちを鑑みた老中御自ら名のある御用画師の内弟子にと勧めてくださるのを、寵に乗じて大した理由も述べず、いつまでも固辞しているという。
乱れた総髪に似つかわしくない、奥から下賜されたという身にまとう逸級の品々。
顔面はなるほど綺麗だが、中に入っているのは奇妙奇天烈な変わり者で、描くのはきっかいなモノノケ・妖かしの画姿ばかり。
かくり世から現れたというのがもっぱらの彼を、世の人は〈画妖先生〉だとか、〈モノノケ先生〉と呼ぶ。
雅号は確か――……、【鳥山石燕】といったか。
噂から出てきたようなその御仁――〈モノノケ先生〉の姿に、春坊は思わず、その手許を覗き込んだ。
その途端、眉をひそめる。
「むっ……」
どんなおどろおどろしい物の怪かと思えば――、それは普通の美人画だった。
さすがに筆致は精彩で美しい。
しかし、意外だった。
この画妖先生は、こんな普通の画も描けるのか。
だが……。
(これは、まさか……)
画に描かれた女人の容貌には、はっきりと見覚えがある。
春坊は目を剥いた。
(まさか、千代殿か)
思い当たると同時に、頭にカッと血が上る。
何ゆえ、この見知らぬ画師が春坊の大事な許婚の姿を描いているのか。
「そこなあなた!
画妖……、いえ、鳥山石燕先生とお見受けしましたが、なぜ、その女人の画姿を描くのです」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
続きも読んでいただけたら嬉しいです!
※零れ話
「ちょろけん」は、漫画「ちびまる子ちゃん」2巻のほのぼの劇場の運動会の話でも出てくる大きな顔の被り物の元となったものだそうです。
上方で流行ったそうですが、今も文化が残っているのが凄い。とあらためて感じます。
↑こんな感じで、これからも零れ話等々載せていけたらと思います!
ホラーですし、雰囲気が壊れるかもしれないので、苦手な方は読み飛ばしてくださいませ。




