まるであの時見た絵のままの夜
どこからか、水の流れる音が聞こえていた。
三途の川――ではなくて、この浄閑寺の門前を流れる音無川のせせらぎだ。
音が無き、という名の割に、老僧が言うように、せせらぎの音は春右衛門の耳をつかず離れず撫でていた。
夜風が吹く度に持ってきた提灯の炎が揺れ、物の怪が踊るように春右衛門の影も揺れる。
(確か……、新しい塚が集まっているのはこの辺りだったか)
提灯の弱々しい明かりで照らすと心許なかったが、目をやれば、仕舞い忘れられたらしい墓穴を掘るための鍬が夜風に晒されていた。
腰を着いて土を撫でてみると、日中の熱気を残して生温く柔らかい。
「……」
提灯を脇に置くと、春右衛門は置きっ放しになっていた鍬を手に取った。
そして、おもむろに最も真新しい合葬の墓を掘り始める。
ザクリと鍬を土に入れると、ますます腐臭が強くなった。
……死体が死の臭気を噴き出しているのだろうか?
不吉な腐臭が、汗の浮いた身体に絡みつくようだった。
妖しのモノがかたわらに立っているような不気味な感覚以上に、死者を冒涜するような行いに、春右衛門の肩が震える。
(……哀れな人を救うためなのです。どうかお許しくだされ)
何度もそう頼みながら、どんどん墓の土を掘り返す。
腐臭はますます強くなっていく。
すると――、ついに、濡れたような土の中から、白い額が現れた。
若い女だ。
瞼が、半眼に開いている。
その濁った目と視線が合って、春右衛門はぎょっとのけ反った。
……が、次の瞬間、春右衛門はさすがに腰を抜かしてしまった。
「――……ひっ‼」
墓の盛り土から現れた女人の遺骸には――、顔しかなかったのだ。
(首から下は、どこだ)
目を見開いて彼女のまわりを見ると、腐れかけた手が土の中からおいでおいでをするように覗いている。
死体の脆い肌をいたずらに傷つけないようにそっとその辺りを掘ると、白い腕が出てきた。
それから、膝を折った両脚も……。
首が身体から離れているこの遺体には、……胴がなかった。
(な、何と……!)
あまりのおぞましさに、春右衛門は全身がガクガクと震えるのを感じた。
(これは、やはり九郎先生が、この女人の胴を斬って盗んだということだろうか……)
九郎先生は、そんな猟奇じみた残酷な所業ができる人だとはとても思えない。
それとも……彼は、あの優しい柔和な笑顔のまま人の身体に刃を振り下ろせるような狂人だったのだろうか?
すると、その時だった。
急に背中に声がかかった。
♢ 〇 ♢
「――夜中に他人の墓暴きか。おまえさんも、存外趣味が悪いなァ」
「っ‼」
突然すぐ背後から声をかけられ、春右衛門は飛び上がった。
ガバッと振り返ると、そこには――石燕が立っていた。
「あっ……!」
目玉が飛び出しそうなほどに目を見開いて、春右衛門は何度も石燕の姿を眺めた。
……どうやら、物の怪ではなく本物のようだ。
ほーっと大きく息を吐いて、春右衛門はぶるぶる震えている自分の腕を掴んだ。
今もなお、身体中が総毛立っている。
石燕の声が響いた途端に墓場に渦巻いていた不気味な空気が一掃されたような気になって、力の入らない全身を叱咤し、春右衛門はよろよろと立ち上がった。
「せ、石燕先生……。どうしてこちらに?」
「午にうちに来た時におまえの様子がおかしかったから、きっとこうなるだろうと思って来てみたのさ。どうせ夜は目が冴えて大して眠れんしな」
「で、では……」
夜闇の墓地に立つ石燕に、はっと思い立つ。
己の行いを恥じて、春右衛門は訊いた。
「……もしや、あの墓を掘る画の男は、それがしを描いたものでしたか」
春右衛門の問いに、石燕はあっさり首を振った。
「いいや。ありゃ確かにあの医術先生だよ」
「えっ」
「おまえさんも鋭くなったねえ。モノノケと縁深くなったお陰かな」
軽く笑って、石燕が顎に手を置く。
驚いて、春右衛門は目を瞬いた。
「それはいったいどういう意味です?」
ニヤリと笑って、石燕は戸惑う春右衛門を手招いた。
「悪趣味ついでだ。ついてこいよ」
「は、はぁ……」
熱い大汗が冷えて、べったりと着物に貼りついている。
急いで墓の盛り土を戻し、拝借した鍬を返して提灯を持って、春右衛門は石燕の後を追ったのだった。
♢ 〇 ♢
石燕と春右衛門が向かったのは、彼が住んでいるあばら屋敷の方角だった。
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