胸に抱える、消えぬ後悔
「……さあどうぞ、手を合わせてやってください。きっと亡き女人も喜びます」
「はい。案内ありがとうございました。和尚」
春右衛門が頷くと、老僧は会釈をして去っていった。
一人になると、まず腰を下ろして花を手向け、春右衛門は唇の中でむにゃむにゃと下手な念仏をした。
それから目を開け、どこまでも続く合葬墓場をじっと眺める。
(確かに和尚の言う通り、この辺りの塚が一番新しいようだな……)
しかし、春右衛門がいくら念入りに調べても、卒塔婆が差された穴にはまだずれた様子もなく、土を掘り返した痕跡も見当たらない。
(……何だ。石燕先生が画に描いたあの墓荒らしは、ここへ来てはいないのか)
ぱっと頭に閃いた考えに居ても立っても居られずにここまで駆けてきてしまったが……、どうやら見当違いだったのかもしれない。
肩透かしを食らいながらも、どこかほっとする。
春右衛門が浄閑寺を去る頃には、もう日は傾いていた。
「あの墓掘り男は、九郎先生ではなかったということかな……。
……まあ、それならそれでよかったが」
あんな悲しい死に方をした女が、死んだ後に墓まで暴かれたとあっては、とてもやりきれたものではない。
「しかし……」
黄昏が近づき、長く伸びていく自分の影法師を眺め、春右衛門は腕組みをした。
――では、なぜ石燕は、墓を掘り返す男の画などを描いていたのだろうか?
♢ 〇 ♢
(もう一度、石燕先生にあの画のことを訊いてみようか……)
腕組みをして、春右衛門は考え込んだ。
だが、あの晩の様子を思い出すと、石燕がそう簡単に教えてくれるとは思えない。
(……俺一人の力で、果たしてこれ以上何かできることがあるだろうか?)
あの物の怪となってしまった、哀れな女のために。
浄閑寺を出てぷらぷら歩いていると、ちょうど、あの老僧と同じように柄杓を突っ込んだ桶を提げた九郎先生と出会った。
「――おや。春さんではないですか。奇遇ですねえ。こんなところでいかがなさいました?」
垂れた目を細め、九郎先生が微笑む。
待ち合わせたわけでもないのに往来で知古に会うと、何だか嬉しい。
そんな表情だった。
しかし――、出会った場所が場所だ。
動揺して、春右衛門は彼が手に提げたものをついじっと眺めた。
「い、いえ、あの、ちょっと墓前に手を合わせたい方がおりまして……。
ひょっとして、九郎先生もお墓参りですか?」
「ええ。死んだ家内のね。実は、家内はこの浄閑寺に埋葬したのです」
「なるほど。亡き奥方の……」
世間話をしながらも、春右衛門はさり気なく九郎先生の風体を観察した。
が、隈なく目を走らせても、彼の身体のどこにも不自然な土汚れや泥はついていなかった。
当然ながら、墓荒らしに必要な鍬やら鋤簾やらの道具を持っているわけでもない。
(……何だ。よかった。やはり、あの画に描かれた墓掘り男は九郎先生ではないのだな)
ほっとして肩を下ろすと、しかし、春右衛門は眉をひそめた。
彼が墓荒らしではなかったのはいいが……、ずいぶんと顔色が悪い。
心配になって、春右衛門はげっそりとして青白い顔をした九郎先生を見つめた。
「九郎先生。もしや具合が悪いのではないですか? ずいぶんとお疲れのようにお見受けしますが」
「あぁ……、すみません。実は、ここ数日ほとんど寝ておりませんで」
恥ずかしそうに、九郎先生が目元を揉む。
彼の目の下には、濃い隈が刻まれていた。
「最近僕が診ていた患者が亡くなりましてね……。病状が急変してからほとんど付きっ切りで、亡くなった後には埋葬にもお供したものですから」
「そうでしたか……。
では、どうぞ無理はなさらずに、ご自愛くだされ」
「はい」
九郎先生は頷き、それからふとしげしげと春右衛門を眺めた。
その視線を不思議に思って、春右衛門は小首を傾げた。
「……? いかがしました? 九郎先生」
「……いえね。ひょっとして、春さんも何か後悔を抱えておいでかと思いまして」
「えっ?」
急に訊かれた予想外の質問に、思わず目を丸くする。
どういうことかと春右衛門が見上げると、九郎先生は、どこか遠くを眺めるような目をして呟いた。
「医術を行っていれば、人はいつか死ぬと嫌でも思い知るものですが……。誰かを亡くした後では、後悔ばかりが残るものです。
人が墓参りに来たいと思う時は、得てしてそんな後悔に胸が疼くような時でしょう?」




